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マニュアルを外れても、誰かの人生を良くするためにはたらきたい

「ほら、私も歳でしょ? 遺品のことで息子が困らないようにしたくて」

ネット通販の電話窓口で、こんな相談を受けたことがある。相手は80代の女性。知的障害のあるご子息が混乱しないよう、購入したエアコン2台の保証内容を変更したいと言うのだ。

私がはたらいていた通販サイトでは、一部の商品限定で、オリジナルの延長保証に加入できる。

簡単に説明すると、通常1年間のメーカー保証に、うちの延長保証が4年。計5年間の修理保証を受けられる、といったサービスだ。延長期間は商品によってまちまちで、5年だったり10年だったりする。

で、件の女性が変えたいと言っているのが、この延長保証なのである。

2台のエアコンのうち、1台は10年、もう1台は8年の保証に加入しているところを、2台とも10年保証にしたいとのこと。

「この保証が切れるときまで、私が生きてるか分からないじゃない? こっちのエアコンが8年でこっちが10年、なんて息子は理解できないのよ」

ヘッドセットから聞こえる品の良い声に「左様ですか」と親身に相槌を打つ。打ちながら、頭では猛スピードで電卓を叩いていた。

保証の変更手続きは煩雑だ。加入料が変わるのはもちろん、新しい保証書を発行しないといけないし、行使ポイントと進呈ポイントを新たに計算し直さなくてはならない。伝票だって山ほど発伝することになる。

とにかく面倒くさいのである。手数が多いだけにミスも発生しやすく、会社からも顧客の都合による変更依頼は受けないようにと、指示されていた。

マニュアルに則って判断するなら、この女性の相談は聞けぬ相談だ。注文をやり直してもらう他ない。のだけど、この相談は無碍に断ってはならないような気がしていた。

齢80を超えた彼女が、慣れないネット通販で注文を入れ直すのは難しかろうという思いもあったけれど、最も気がかりだったのは、女性亡き後に遺されるであろうご子息のことだった。

たかだか保証1つの変更で、注文者だけでなくご家族にも影響が及ぶ。まだ取り付けてもいないエアコンの処分に腐心する彼女との会話を通じて、私はそれを強烈に思い出した。

初めてはたらいた幼少の記憶と同時に。

私が初めてはたらいたのは小学2年生。自営業の父の手伝いだった。

狭い事務所で父が梱包したダンボールに、新商品のチラシと注文用紙を入れる。それが私の仕事だ。

定期的にデザインが変わるチラシを入れるのはとても楽しい。写真や値段を確認するのはもちろん、紙の手触りや画面構成を観察するのも面白かった。

手伝いのたびに、チラシのデザインが新しくなっていないかワクワクしながら事務所に向かった。渡されたチラシを確認し、お客さんが喜ぶのを想像しながら丁寧に入れていくのは充実感があった。

一方で、のっぺりした味気ない注文用紙を入れるのは嫌いだった。

いつ手伝いにきても何一つ変わらない。同じ紙、同じデザイン、同じ色。退屈だ。まったく退屈だ。こんな面白くもなんともない紙切れを入れるくらいなら、封入するチラシの枚数を増やしてほしい。

お客さんもチラシを見ている方が楽しいはずだ。母だって、新聞よりもそれに挟まっている特売チラシを熱心に観察している。そこで父に提案したのである。

「この紙(注文用紙)入れるの辞めたい」と。

父になんでそう思うのか聞き返された。チラシの方がお客さんが喜ぶと思ったから。この紙(注文用紙)はチラシみたいに綺麗じゃないから。そう素直に答えた記憶がある。

私のゆっくりした話を最後まで聴いた父は、この“綺麗じゃない”紙について説明してくれた。この紙は、新しい注文を入れるのに必要なものなのだと。この紙を入れ忘れたら、お客さんはうちに注文できなくなって困ってしまうのだと。

父の説明に、私は深く、深く納得した。この紙にはそんな役割があったのか。私がこれを入れ忘れると、お客さんは困ってしまうのか。

流れ作業的にやっていたお手伝いが、突然、責任ある重大な任務に思えてきた。小学2年生に任せられるお手伝いでさえ、誰かに影響を及ぼすのだ。私は幼いながらにそれを学んだ。

ふと我に返る。目の前のモニターには、あの女性が入れたエアコンの注文情報が折り目正しく表示されていた。顧客の氏名、商品、そして保証内容。

私が仕事を遂行するのに必要な情報は、この画面を見れば大方分かる。だけれど、ここには注文者の上品な話し方や、ハンデのあるご子息のことは髪の毛一本分も書かれていない。

この画面だけを見ると「エアコンの延長保証を2台とも10年にしてくれ」という相談は、ますます却下するべきものに思えてくる。しかし、私はこの相談を受け入れることにした。

私の仕事は、モニターではなく、その向こうにいる人間を相手にしているからだ。女性は今、困っている。ご子息の未来を案じて、切実に相談している。マニュアルよりも彼女一家を助けることを優先しての判断だった。

「ご事情もよくお伺いしましたので、今回は変更をお受けいたしたく存じます」

そう伝えると、ヘッドセットから安堵のため息とともに「良かった」という声が漏れてきた。

「助かるわ。そしたら息子には、新しいエアコンは10年経ったら処分してって言えるわね。ありがとう、これで安心して死ねるわ」

最後の冗談(?)は笑って良いのか分からなかったけれど、私の仕事が女性とご子息の役に立てたようで嬉しくなったのを覚えている。人に感謝されるのは、何度経験しても良い気分だ。

マニュアルを破ったことで、私にはこれから山ほど伝票を発行する未来が待ち受けているわけだけれど、10年後、彼女たちがエアコンの処分に右往左往しない未来を約束できるなら安いものである。

女性との通話を切った後、私は大急ぎで通話記録を残し、保証の変更手続きへと席を立った。


“はたらく”とは、他人の人生に関与することだ。私たちが携わっている仕事の向こうには人間がいる。はたらいた成果を受け取る人間が。

あの女性とそのご家族は、安心してエアコンを使えているだろうか。私が封入した注文用紙を受け取ったお客さんは、あの紙で新しい買い物ができただろうか。

たとえ関わった時間が数秒、数分でも、私のはたらきが誰かの人生に良い意味で関与できていたなら、これほど嬉しいことはないと思う。

あの相談を受けてからしばらくして、私はコールセンターを退職したけれど、仕事を離れた今もその思いは変わらない。誰かの人生に良い体験を刻むために、人生をかけてはたらいていくのだろう。

“はたらく”の先にある、誰かの人生がより良いものになるように。

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