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小説家Aの手記/異世界の穴

(これは、2019年6月の個展「歌と光の記憶」で展示した文章の一部です。ぜひDMの文章を読んでから読み始めてください。残念ながらこの展示内では物語が完全な完結をしていなかったので、後の話をどこかで発表できればと思います)

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小説家Aの手記/異世界の穴


一乗寺の書店にたどり着いた私は、ひとまず日記の中に書かれた本棚を探した。
その別世界の覗き穴は「一番奥の本棚の隙間」にあるという。私は心を躍らせながら、まるで宙に舞い上がる様な足取りで、例の本棚の前へと来た。早速、端から端まで隈なく見渡してみる。しかし、そこにいわゆる「書物と書物の隙間」などは見当たらない。どこを見てもない。全部びっしりと書籍が並べてあるだけだ。私は自宅の本棚から持ってきた日記を改めて眺めてみた。この表紙のくたびれた加減から書かれて数十年は経っているのかもしれない。もしかしたら、この日記が書かれた当時と店内の本棚の配置も違うかもしれない。すぐさま違う本棚を調べたが、どれも書籍がびっしりと詰め込まれており、やはり隙間は見当たらなかった。


「なんだ、本当に見つかれば、ちょっとは面白くなると思ったんだけどなあ。」 

そんな独り言が口から出てしまった。こんな独り言を言うと、気が狂っているのかと思われそうだが、私だって本棚に穴が空いていて、本当に別世界の入り口がそこにあるとは思っていない。当たり前の事だが、本が売れた場所には店員の手によってすぐに新しい本が補充される事だろう。穴の空いていた場所がどの位置かなどわからない。そもそもこの日記のような事が実際に起きたということは考えにくい。仮に実際、穴が空いていたとして、書籍を補充する際には、店員もその穴の存在に気づく事だろう。壊れた本棚はとっくに修理されているかもしれない。
ただ、本当に本棚に穴が、もしくは空いていた様な形跡でもいい、何かがそこにあった跡を見つけたとしたら、それは私の想像力を駆り立ててくれ、何か新たな物語のアイデアが湧き出てくるきっかけになるのではないか。そんな淡い期待があった。

私の職業は物書きだ。小説を書いている。
今日は、二週間ほど作業が進まない書きかけの原稿を机に放り出してここにきた。
いわゆるスランプだ。20 代に比べたら、今はそこそこ物書きの仕事だけでご飯が食べられる様になったものの、 表現すればするほど、世間の人に受けたり当たる方法もわかり、どことなく似た様な仕事 の繰り返しになってしまった。次第に世界が色あせた様な心持ちになり、新しい事が描けなくなる。

小説というものは、一つのキャラクターを描く為に、そのキャラクターの人生を 生まれた瞬間から現在までなぜその様に生きてきたのか、その人生設計をまるで実際にあ る事の様に考える必要がある。そうする為にはより作者が自身の人生をえぐり出す覚悟を しないと乗り越えられない様な体力のいる部分があるのだ。想像は作者の経験や知識から 作られる。何事にも主となる部分において自身の経験は大事で、経験をするには探究心も 必要だ。例えるなら恋を知らない小説家に生々しい恋愛小説が書けない様に。 日常に心惹かれる物が何も起きないと言う事は私にとって死活問題である。


退屈。


そもそも私が小説を書き出したのも、己の日常が退屈で耐えられないからだった。
いつからか、毎日つまらないという気持ちが影響して、妄想癖になった。この脳内の妄想が、現実に形になればどんなに面白いだろう。退屈ならば脳内に浮かぶ理解不能な面白い事件を自ら作ればいいんじゃないか。そう思い始めた私は、いつしか小説家になっていた。そんな事を考えていたら、ふと気づいた。退屈はクレイジーをきっかけに変わっていく事に。どんなファンタジーでも異世界とは最初に驚くべき出会いをするものだ。アリスは時計を持って走るウサギを追いかけたし、シンデレラは魔女の力で自ら舞踏会に繰り出したではないか。きっかけはいつでも目の前にあり、物語の主人公はそれを追いかけるのだ。

私は物語の主人公になった様な気持ちで、目の前の本棚に並んだ書籍の背をじっくりと眺め、 一番わけのわからないタイトルの書籍を探した。きっとこういったわけのわからない書物の 裏にこそ、この日記に出てくる様な異世界への入り口があるに違いない。そう考えたのだ。
(その書籍の名は・・・失礼に値するので、ここに書くのは控える事にする。) 私は これだと思った一冊の書籍を引き抜いた。

そして、そこに出来た「書籍と書籍の隙間」を恐る恐る覗いてみる。そこに穴は・・・空いていなかった。私はがっくりと肩を落とし、大きなため息をついた。現実はフィクションの様にはいかないもの。しかし、これだけ書籍があるのだから、この書店に通って様々な書籍を手にしているうちに、何か面白い事が見つかるかもしれない。そう考えていると、不意に誰かに背中を叩かれた。


「お客さん、何かお探しですか?」
私が熱心に本棚の穴を探しているものだから、何か書籍を探していると勘違いした書店員が声をかけてきたのだろう。私は現実にありもしない物を探していると言う事実に急に恥ずかしくなりつつ、背後を振り返って、驚き、凍りついた。そこには、私が思っている様な書店員の姿は無く、場違いに思える大きな竹笠の様なものを被った男、といっていいのだろうか。到底人間の様には思えない姿をした生き物が、二本足で立っていた。いや、彼は人間に近いには違いがない。服を着ている。ただ肌が緑色でその口元はまるでカエルの様な・・・その口元が人間に近い微笑みを浮かべた。次の瞬間バタバタと背後の本棚から大きな音がして飛び上がった。
見ると先ほどまで綺麗に並べられていた書籍がひとりでに床に散らばっていくではないか。中には空を蝶の様に舞い飛ぶものもある。まるで店内のありとあらゆる書物が自分の意識を持っているかの様に動き回り、飛び跳ねている。なんだ、何が起きている。本棚から嵐の様な風が吹き起こると、全ての書籍が飛び去った後の本棚に大きな亀裂が生じているのが見えた。奥が光っている。


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グニャリ。
急に視界が歪み始めた。


「ぎゃあああ!!!」
なんてもしかしたら叫んだかもしれないが、叫び声もあげたのか自分でもわからないくらいに何も考えられなかった。何か目に見えない強大な力が私と、この書店とを歪ませて、その本棚に生じた亀裂に引き摺んでいく。


ドタン! 次の瞬間には、ものすごい勢いで椅子に投げ飛ばされてしまった。気がつくと私は書店で は無く、見知らぬ建物の一室にいた。辺りは一面、赤や青や緑、原色の賑やかな色合いだ。 周囲の壁と言う壁は隙間なく棚になっており、何処もぎっしりと丸や四角、三角形の何かの 容器の様な物体が飾られており、どれも蠢く不思議な光を内部に宿していた。私の目の前には先ほどの竹笠のカエル男が立っている。 

「うふふ、驚かせてすまないね。だけど、おまいさんは、怪しい人じゃないだろうって思ってね。それを持っているから。」

 カエル男はそう言って、私の手元の日記を指差した。 その指と指の間には水かきの様な物が付いているらしかった。

「ちょうど実験をしているところだったんだけれども、誰かの気配がするからびっくりして ...あ、すぐ片付けますよ。」

カエル男は特段、私に驚くことはない様だった。楽しそうな声をしながら、その場に散らかった小瓶やフラスコらしき物を片付け始め、忙しそうに部屋を行ったり来たりしている。男の尻には爬虫類の様な恐竜の様な長い尻尾が付いていて、しきりに楽しそうに左右に揺れていた。片付けの最中、時たま何か荷物を引っ掛けて歩くので、その尾は彼の意思で手の様に自由に物を掴めるらしかった。
さて、肝心の私の方はと言うと、本当に怖い時は恐怖で全く声が出ないと言う事を思い知らされているところだ。


「あはは、その驚いた顔。無理もない。まあ、詳しいことはゆっくりと話しましょう。何か飲むかい?」
カエル男は笑った。


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