見出し画像

育児や教育に関しての助言は、相手が求めていないと『クソバイス』になるだけでなく、相手を追い詰める。

今日は、たくさん悩んでぐるぐる考えて、ようやく頭でまとまったことを、書いてみようと思います。

それは、

育児や教育に関しての助言こそ、相手に求められない限り、言わない方がいい

ということ。


理由はいたってシンプルで、

もしもその助言が、他の誰から見ても正論で100% 正しい意見だったとしても、
助言される相手が求めていないものだと、相手は受け入れることができず、反感を買ってしまうだけだから。

もっと言えば、双方の間で信頼関係が十分構築されていない状態では、その助言は残念ながらクソバイスになってしまう可能性が非常に高いから、です。

さらにもっと怖いことを言うと、そうしたクソバイスは、お母さんやお父さんの心を追い詰めてしまう危険性も孕んでいる、と思うからです。




きっかけ。習い事の指導者からの『助言』


考えるきっかけとなった出来事が起きたのは、ある土曜日の昼下がり。

とある少しご年配の指導者の方(以下、指導者の方と統一します)から、小2息子の現在の性質と、私と夫の息子への関わり方について、ご意見を頂いたことでした。

そのご意見とは、率直に表現すると「息子の自立心が少し遅れている。私と夫の関わり方を改めた方がいい」という、ご助言でした。

その指導者の方のところには、1年半ほど、小2息子と年中の娘を通わせています。
世に言う習い事の一つです。

その習い事に関して、息子が1ヶ月ほど前から「楽しくないから行きたくない」意思表示をという意思表示をしていました。
好きで始めた習い事で、今が楽しくないのであれば、無理やり通う必要もないよなあと、私と夫の意見は一致。

そこでその日、指導者の方に『息子だけ習い事をやめたい』ことを、伝えました。
その際に、一応息子の近況を共有する意味で、最近登校を渋ることがあることも伝えました。

指導者の方からは「やりたくないものを無理やりやってもしょうがないので」と了承いただきました。
そして帰り際、この1年半、息子の様子、私や夫の息子への関わり方を見てきて感じていたことを、良かれと思って私に伝えてくださった、という経緯でした。


そのアドバイスは、私にとっては『クソバイス』になってしまった


最初に断っておくと、今回頂いたご指摘に関しては、確かにそうだと思い当たるところがあったことも、事実です。
むしろ、子育てに関する客観的なご意見というのはなかなかいただけないからこそ、私が息子の行動を先読みして、息子が考える・決める機会を奪っていたかもしれない、と言う気づきにはなりました。
その点では、感謝しています。

ただ、今回の指導者の方からのアドバイスは、正直、私の心にじんわりと響くような感動的なものは一切なく、『余計なお世話だ』と感じるものになってしまいました。

息子は、夏休み明けの学校行き渋りから、ようやく最後の授業の時間まで学校に居られるようになってきて、すこし安心しています。
それでも、この1ヶ月、息子の登校拒否への対応で、私はかなり心身ともに疲弊していました。今もまだ、悩みや葛藤に苛まれている最中です。

心が不安定な今このタイミングで、あの助言をいただいたことは、突如自分の育児のやり方を否定されたように感じ、「私の育児はダメだったのか?関わり方は良くなかったのか?」と、もっと私の心を挫くことになりました。

詰まるところ、言葉を選ばずに言えば、指導者の方の助言は、今の私にとっては『クソバイス』になってしまった。というわけです。


助言を言い合えるほどの『信頼関係』が、無かった


では、なぜそうなってしまったのか。

それは、その指導者の方と私たち家族の間に、十分な信頼関係が構築できていなかったから、と考えています。

ほぼ毎週その習い事には通っていましたが、その指導者の方は口数が多いタイプではなく、必要最低限のコミュニケーションをとるのみ。
怖いというわけではないんですが、時折厳しい言葉が飛びます。

ただ、技術についてはとても信頼を置いていましたし、これまで20年ほどお子さん方をご指導された実績もあり、友人の紹介で通い始めて、続けていました。
また、教育や保育に対しても課題意識が強い方で、関連書籍などの紹介をしていただいたこともあり、勉強にはなってました。

一方で、子どものそれぞれの良いところや、伸ばした方がいいところを伝えてもらった記憶は、全くありません。
教育、保育や育児に対して厳しい視点をお持ちの方なので、いつも監視されてる、とまでは言わないけど「なんか見られてるなー」という好ましくない印象を持っていました。
夫もたぶん、同じような印象を持っていると思います。

つまり、指導者の方と私たち家族との間には、コミュニケーションが足りず、十分な知識や情報も共有されておらず、信頼関係が構築されているさなか。。

もしお教室に行くたびに「息子くんは今日はよくかけてるね」とか「娘ちゃんはこの絵が好きだね」とか声をかけてくれていて、保護者から見ても子供のことをよく見て理解してくれているという『信頼感』があれば、クソバイスと私は感じなかったかもしれません

しかし、残念ながら今回は信頼関係がほぼ無い状態で、突然正論を振りかざされたため、私の心は戸惑い、傷つき、反感を感じてしまったのだと考えました。


『子どもとの関わり』への助言は、相手を追い詰める危険がある


『求められていない助言がクソバイスになる』ということは、今まで勝間和代さんの発信を見て、学んできていました。

それが今回、育児などの子供との関わりに関する助言においては、さらにセンシティブに考えて発言する必要があると、痛感しました。

私自身、わりと『保育観』みたいなものを強めに持っているので、相容れない保育や教育に出会うと、つい自分の保育観を押し出してしまいがちです。

でもその行動はもしかしたら、相手のお母さんや保育者をの反感を買う、だけではすまないのかもしれない。
これまでの子育てや保育を否定することは、お母さんや保育者の心を、追い詰めてしまうかもしれない

子どもと関わることは、決して簡単なことではありません。それは2人の子どもたちを育ててきて、周りのお母さんお父さんや保育者の方の話を聞いて、本当によく分かります。

だからこそ、子どもとの関わりについての不用意な助言は、絶対に言ってはならない
改めて、今回の体験を持って、心に刻み込みました。


では、今日はこの辺で。

最後までお読みいただきありがとうございました!


hona



#毎日note #毎日投稿 #毎日更新 #保育 #教育






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?