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映画館の『音』が好き。意味がないものなんて、無いんだ。

私は映画館が好きだ。

ということを、先日すごく久しぶりに映画館に足を運んで思い出した。


『映画』ももちろん好きだけど、どちらかというと、『映画館で観る映画』が好き。

特に私が好きなのは、

ただ、音の質とか、響き方とか、音量とか、そういう専門的な点ではない。

全ての音に、意味があることが、好きなのだ。

1番好きなのは、足音。
コツコツ、ペタペタ、ザクッザクッ。

毎日当たり前のように、自分も周囲の人々も立てているその音が、映画の中になると、すごく特別に感じられる。
特に映画館のような閉じられた場所では余計に、耳に残り、心に響く。

映画館で映画を見た後、帰り道が夜道だったりすると、自分の足音や車の騒音などのいつもの生活音さえも特別よく聞こえて、まるで自分が映画のフィルムから出てきたように感じるのが、すごく好きだった。

きっと、ただの足音一つとっても、その映画に関わるたくさんの人々の思いが乗った、意味のあるものなのだろう、と感じる。

普段は意味のないように思えることでも、全てに意味がある、と言われているような気がして、どこか嬉しかった。

そしてその嬉しさは、『すべてに意味があると言って欲しい』気持ちの表われだったのかもしれない。



今よりも輪をかけて、自己否定的でネガティブ思考だった、学生時代のわたし。
私の人生に、意味があるの?
私のやっていること、学んでいること、繰り返している毎日のなかに、何の意味があるの?
私が生きる意味は、なんなの?
そうやって考えては、「私の人生なんて意味が無い、価値が無い」と、どん底まで落ち込んでいたタイプだった。


今なら、もうすこしマシに考えられる、気がしている。

たとえば人生100年だとする。100年は何時間かというと、100×365×24=876,000時間だ(意外と短い。うるう年はいったんおいておく)。
この100年の自分の人生を、一本の2時間の映画にまとめてもらうだけでも、私のストーリーを語る上ではもう十分じゃないのかな?と感じるのだ。

そこには、いま分かるだけでも誕生から就学、就職、結婚、出産、キャリアチェンジ…と様々なステージがあって、死ぬ頃には87万6千時間分の出来事があったわけで、そのうちのどの1時間、その1分、あの1秒がなくても、87万6千時間にはなり得ない。
そのすべての時間が積み重なっていったものが私の人生を築き上げたのだから、全ての時間には意味があると言ってもいいのではないか。

映画だって、似ていると思う。
どんな超大作で興行成績が良い映画だって、私たち観客が見ている部分は、その映画にかけられた時間の、ほんの一部分でしかない。
出演されている俳優さんたちの役作り、稽古の時間はもちろん、映画監督さん、プロデューサーさん、演出家さん、脚本家さん、ヘアメイクさん、他にも素人の私なんかが知ることができていない多くの方々が、たくさんの時間をかけて、1つの映画ができる。
そのたくさんの積み重ねがある中で、最も良い部分だけを切り取って、世に送り出しているのだ。

だから今では、こう考えられる。

映画館で全ての音に意味があるように、私たちの人生にも意味のないものなんてないのかもしれない、と。



また映画館行きたいなー。

では今日はこの辺で!

最後までお読みいただきありがとうございました。



hona



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映画館の思い出

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