見出し画像

『できない自分』を受け止めたから、自分らしく前進できる。

私は、見栄っ張りで、意地っ張りだ。


分析するに、それは自己肯定感の低さゆえ。
『私はだいたい何でも、それなりにできる、こなせる』と見栄を張って、意地を張って貫いてないと、自分が存在する意味を認められなかったのだと、振り返って思う。

だからあまり親しくない知人友人には、「honaさんは、しっかりしてるから〜」と言われる。

ほんとは違うのに、見栄っ張りで意地っ張りな、だけなのに。
苦しかっただろう、私。

「できる」って思っていれば、傷つかないで済む。周囲と同じくらい「できる」、「常識の範囲内にいる」ように装って、話したり振る舞ったりしていれば、誰かに馬鹿にされたり、目をつけられたりすることもなく、楽だもん。
「できない自分」を受け止められる心の余裕は、以前の私にはなかった。

傷つかないから良いと思っていたけど、実は「ある程度できる」という言葉に、呪いのように囚われて、そこから先に進めなくなっていた、気がする。
 

だけど最近は、そんなんじゃぁいつまでも自分はこのままだなぁと、思えるようになった。


たとえば、お弁当作り。

年中の娘の通う幼稚園は、週1〜2回の給食弁当を除いて、他の日はお弁当。
なので、長期休み以外の時期、週3〜4日はお弁当づくりが必要だ。
いま年中だから、お弁当作りももうすぐ2年。

お弁当作りについても、私は当初から自分に、こう呪いをかけていた。

「私は、お弁当づくりも、それなりに出来る」

と。
だから盛り付けもまぁまぁできるはずだし、手際も良いはずだし、そこそこ美味しい内容になってるはず。
できないなんて恥ずかしいから、そんなわけない。
まぁまぁ出来るから、教えを請うことはしないし、レシピも今ので十分だ。

そんなふうに、思っていた。
まさに、見栄っ張りで、意地っ張りな状態だ。


それがある時、ふと、

あぁ、私、お弁当づくりって、苦手なのかも

と、突然、受け入れた。
すると、心がふわっと、軽くなった気がした。

「苦手だ」と受け止めたら、実は今まで「私はできるんだから、やらなければ」という強迫観念みたいなものに囚われていたんだ、と気がついた。

苦手なんだから、無理することなくて、今私ができることをやればいい。
そしてできる範囲内で、新しいやり方やレシピ、仕組みづくりなどを試行錯誤して、少しずつやっていけばいい。

結局、自分の特性をそのまま受け止めたら、今までよりずっと心が楽になったし、もっと自分に合うやり方をこれから探していけるから、時間的にも楽になる。
できないことをそのまま受け入れることで、以前よりも自分らしく楽しく、前進できるような気が、している。



では、今日はこの辺で。

最後までお読みいただきありがとうございました!



hona



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?