見出し画像

発信を通じ、人生が大きく変わるということ

みなさんは、なぜ発信をしていますか?

ビジネスのため?趣味?繋がり作り?何かの活動のためだったり、ただシンプルに自分を内省する日記のためだったりしますか。人それぞれに理由があるんだと思います。

最近よく耳にする意見として「発信を積み重ねが自分自身の知的財産となる」と言うのもあるかと思います。

おそらく私は、これ。
その恩恵も感じています。

今日は、私が発信を通じて得たものについてに自分語り。興味ない方はここで辞退された方が身のためです。

発信をするということ

周囲の惹きつけられるような発信者の方々をていると、すごい経験がある方ばかり。すごい出会いをしたり、専門性の高い仕事についていて詳しい知見が豊富だったりします。

私は、これといった専門性もない。本来は発信者タイプの人間ではありません。

ただ、私みたいな人間でも行動を積み重ねることで、それなりの経験は蓄積します。それを発信することで地味に誰かに突き刺さることがあるんですよね。

それは過去の経験でも充分で、20代のワーホリや留学を元にした内省だったり、30代の専業主婦や出産・育児の話(障害児育児)だったり。そして、離婚やその後の起業も然り。

要は、行動をしておくとそれが誰かの励みになったり役に立ったりするんです。発信は目的ではなく、行動の後からついてくると言うことです。

発信によって私が経験したこと

また、発信を積み重ねていると、普通に暮らしていては得ることができないサプライズがありました。

いつだったかは、ベネッセコーポレーションのサンキュで我が家の特集を組んでもらいました。SDGSをテーマとした月一の企画。その第一弾に選んでもらったんです。

その後、選出された12名の中から、読者アンケートや編集部の方々の意見によって大賞に選んでもらいました。

そのことについてはVoicyでもお話ししています。

何者でもない普通の主婦だった私が審査通過が難しいとされるVoicyのパーソナリティに選んでもらえたのも、発信ありきだったように思います。

また、発信は驚くほど嬉しい繋がりももたらしてくれました。憧れの野本響子さんとVoicyで対談できたんです。これも、発信をしていなければ起こることがなかったはずです。

野本さんは、ここnoteでも大人気の執筆者です。書籍も全部読んだし、noteもずっと有料購読させていただいています。お金を使ってよかったというのはこういうことです。

また最近は、憧れていた近藤弥生子さんにフォローしていただいたんです。フォローされたときは飛び跳ねましたし、正直、数日間は「何かの間違えなんじゃないか」と思って何度も確認に行きました。

近藤さんも、Voicyでも大人気のパーソナリティをされているし、noteも執筆中です。ご自身の著書「台湾はおばちゃんで回ってる?!」はめちゃ面白いし読んでいて元気が出ます。台湾のおばちゃんマインド、ぜひ日本に広まってほしいなって思うんですよね!

そのほかも、記録は残っていませんが東京参院選に出馬されている同世代の女性の方々ともお話しさせていただく機会も何度か経験しました。この私がですよ・・・。

発信と教育

今の時代、発信というものが自分自身を想像もしなかった場所に連れてってくれるんです。最後に、そんな経験と教育の話を絡め少しだけお話をさせてください。

本来、教育というのは「学ぶことができなかった子たち」に平等に学ぶ機会をもたらすために出来上がったものだと思います。それが今や一定の学歴を手に入れることによって「能力を判断してもらうため」勉強する仕組みになっているような気がしてなりません。

それは「覚える」「着席できる」そんなことに耐えれる子どもたちを認定して、未来を託す社会づくりをしているとも言い換えることができるのではないでしょうか。

ただ、何十年も続いた教育の仕組みを変えるというのは、すごく難しい。けれども、「学歴をもとにした履歴書」より「発信を参考にしたAIのログ」が重んじられるようになれば少しずつ何かが変わる気がする。そんな時代は来るのかもしれないし、来ないのかもしれません。けれど、今でも個々人の発信者の方々が自分に見合った学びをくれたりするでしょ。

そうなれば、貧富の差、環境の差に取られず、誰でもネット上にログを残そうと思う。合ってるか間違ってるかはわからないけれど、勇気を持って自分の世界から見える自分の意見を持とうとする。それが当然となれば、今の教育のあり方は少しずつ世界に合わせて変わっていけるんじゃないかな。そんな社会が実現すれば、同調圧力に負けない人も増えてくるんじゃないかなって思うんです。

最後に

主語が大きいのかもしれません。けれど、私のようなキャリアも学歴もないひとり親、我が子たちのように発達障害と呼ばれてしまう子どもたち。マイノリティとされる人々たちは「そこに居ないこと」にされてしまうことも多いんです。そんな社会の中で、インターネットというものが一筋の光となり生きづらい人たちが生きやすい世の中がやってきますように。

今すぐじゃなくてもいい。我が子たちが大きくなる頃には、そういう世の中の基盤が整い始めるといいな。

今日はここまで。

いただいたサポートは、我が家の自閉症児2人のおやつか私の一息の休憩代に使わせてください。私もいつか、ひとり親や障害児育児にサポートできる側に回りたいです。