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覚えがあり過ぎる「身体はトラウマを記録する」

気になっていた本を買いました。いやはや買ってよかった。思い当たることが多すぎます。そして私が必要なものをうまく選び取って回復への道のりを歩んでいることがわかりました。まだ読了していないのですが感じることが多々あります。以下本を引用しつつ感想を書きます。まとまりはないのですが今の新鮮な気持ちが伝わるといいなと思います。


体は記録をつけている。もしトラウマの記憶が、内臓、胸の張り裂けるような情動やはらわたがよじれるような思いを起こさせる情動、自己免疫疾患や骨格/筋肉の問題としてコード化されているのなら、そして、もし心/脳/内蔵の間のやりとりが情動調節への王道なのだとすれば、私たちの治療法の前提には根本的な変更を加える必要がある。

「身体はトラウマを記録する」p144


私は自律神経を整えるセラピーを継続して受けているのですが、まさにトラウマの記憶がコード化(実にうまい言い方)されているのを感じます。そのコードを一つ一つ解除していく気の遠くなるような作業をしているところです。身体は実に優秀にできていて言語化できない幼い頃の出来事も身体記憶として身体に刻み込まれているのですね。それはふとした時に「頭では」理解できない反応として蘇ります。激情、パニック、凍りつきなどなど。事情を知らない頃は自分に変な誤作動プログラムが埋め込まれていて解除できない、一生付き合うしかない、こんな人生しんどいもう消えたいと何度思ったかわかりません。

「トラウマ」と聞くと幼児期に大事故に巻き込まれた、などの単回性のトラウマを思い浮かべる人が多いと思います。私が背負うトラウマはもっとじわじわ来るものです。ある方が呟いていました。



トラウマがトラウマである一つの要素として、「誰も助けてくれない」というものがある。自分が苦しんでいるときに、誰も気づいてくれないし、手を差し伸べてくれない。この感覚は、どんなトラウマにもある。

https://twitter.com/hiroyuki_83/status/1698957681233645641


私はトラウマの専門家ではありません。だからこれは大いに主観が入った解釈ですが、私の身に起こったことは「誰も助けてくれない」という感覚が続くようなトラウマです。孤独は私にとってあまりにも身近な感覚でした。他者と一緒にいて安全だと感じられないのがデフォルトになりました。
参考)飛行機恐怖症の影にあったもの「誰も私を救ってくれない」

反面「人は助けてくれる」という感覚は今もすごく少ないのです。頭では人が助けてくれるとわかりますが身体感覚としては非常に薄い方です。

大人も子供も、あまりに臆病だったり自分自身を閉ざしていたりして人間から慰めを得られないときには、他の哺乳動物との関係が役立ちうることが、過去二十年間に広く認められるようになった。犬や馬、さらにはイルカまでもが、人間ほど複雑ではない交わりを通して、必要とされる安心感を与えてくれる。特に犬と馬は、一部のトラウマ患者の治療に広く用いられている。


「身体はトラウマを記録する」p132

私も人間に対してはとても身構えるのですが、犬や馬はいいですね。どこか触れ合える場所がないかな。


自分の受けた虐待について語れるようになるまでに長い時間がかかる人が多いようです。私は20代半ばでした。時には40代になってやっと語りだす人もいます。それ以上の方もいます。その答えが見つかりました。
「家族に対する忠誠心をないがしろにする気になれなかったからで、それは、恐怖から守るために依然として家族を必要としていると、心の奥底で感じていたためだ。」(p222)

家族が恐怖の源でありつつ、恐怖から守るために本能的に家族を必要とする、何とも皮肉なことです。私にもこのような感覚はありました。

子供は親を選べないし、親があまりに落ち込んだり、腹を立てたり、ぼうっとしたりして力になってもらえない場合があることや、親の行動が自分とはほとんど無関係かもしれないことを理解できない。子供は自分の家庭の中で生き延びられるように自分を組み立てるよりほかに選択肢がない。彼らは大人と違い、外部の権威に頼って助けを得ることができない。親こそが絶対の権威なのだ。また、アパートを借りることもできなければ、誰かの所に転がり込むこともできない。彼らの生存そのものが、養育者にかかっている。
(中略)
子供は、たとえ養育者に虐待されたとしても、その養育者に基本的には忠実であるようにプログラミングされてもいる。恐怖は愛着の必要性を増大させる。
(中略)

虐待者にしがみつくのは、子供時代に限られたことではない。監禁された人が監禁した人に保釈金を払ったり、その人と結婚従ったり、性的関係を結んだりする例には事欠かない・

「身体はトラウマを記録する」p220-221

つまりストックホルム症候群です。親子関係にこんな名前を付けるのは子育て中の方には耐えがたいかもしれませんが、元子供としてはポンと膝を打ちたい気持ちです。子供は逃げ場のない囲い込まれた状況で生きています。親は自分の保護のもと子どもがぬくぬく生きていると思うでしょうけど。親と子で見る世界が全然違います。

親子(養育者と子供)の関係がストックホルム症候群のような側面を持つなんてことは、子育ての当事者からすると目を背けたくなる現実なのでしょう。そんなこと考えていたら子育てという重労働ができませんよね?「子どもは親を愛するし過ちを許してくれるもの」という美しい物語の方が安心できるしやる気が出ると思います。うがって見れば、こういう美しい物語は、人々に子孫繁栄に励むように共同体が促すエナジードリンクかもしれません。ただ、このような物語は虐待された子供(や元子供)の回復の妨げになります。

社会通念は二次加害の元。やっとの思いで周りの人に親にされた仕打ちを明かすと相手から返ってくるのは「親子だもん話し合えば分かりあえる」「育ててもらった恩があるでしょう」「もういい大人なんだから親を許して前を向こう」などの言葉。話し合いが成立しない親がいることを想像もしない、子供の頃抑圧された思いを口に出す必死の努力を知らない人が善意で放つ言葉の威力よ。まさに無知は罪


私は幸運にも持って生まれた体力と知力に恵まれていました。「出生前からストレスまみれ。寝たきりでもおかしくないのにそこそこの健康体で大学も出たとは奇跡的」とセラピストに言われました。読みやすいとは言えない本を数冊読んで自分の状態を理解することができたのも、そのおかげです。大学の同期に比べると非常に低収入ながら若干は稼げたので、よい治療法(厳密には医療というよりセラピーですが)に出会えて費用を出せました。

しかし、トラウマからくる二次障害で全く動けない人が多数います。効果的な手法を持つセラピストはまだまだ数が少なく、費用を出せないから続けられない人が多いはず。セラピストも多大なる費用と時間と労力をかけて訓練したので適正価格で提供するのが道理であり、無理な割引を要求するものではありません。ちなみに私が受けているセラピーもそこそこのお値段がします。

公的支援の対象になればだいぶマシだと思うのですが。そしてこの領域にお金を出すと医療、福祉、犯罪対策費用などがかなり減ると見込まれます。トラウマを抱えた人はある種の犯罪のカモになりやすいし、自身が犯罪者に転落するリスクも大きいので。凶悪犯罪者が幼少期に酷い虐待を受けていた例はたくさんありますね。

本の感想のつもりが話がそれた気がしなくもないのですが、今回はこの辺で。また感想が出てきたら続きを書くかもしれません。とにかくこの本はおすすめです。ただしきつい描写があるのでフラッシュバックの危険はあります。専門用語があり図やイラスト少な目、文字多めの約600ページ。決して流し読みできる本ではありません。本好きの方はどうぞ。

参考
セラピーの特徴

普段はオンラインで数学を教えています。
お仕事ブログ「中3・高1の数学でつまずいても基本をきっちり押さえれば理系の受験に間に合う」
プロフィール

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