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小説家になりたいのか、いい小説を書きたいのか

 次の一文から始まる、「2分間の絶景」という短編小説を書いた。数年前になる。当時小さな賞をもらったまま、出版の目途が立たずに時だけが巡った。自分なりに色々な扉を叩いて回ったが、扉は開きかけては閉じることの繰り返しだった。そのため、今は勇気を出してnoteで公開している。

※電子書籍化が決定したため、現在は非公開にしています。

 常田[ときた]もゆ子が育った蒲田というのは不思議な町で、東京都大田区にある東急蒲田駅と京急蒲田駅をつなぐ1kmほどの区間を中心に、何らかの拍子に道が1本増えると昔から言われている。
 通り慣れた道がまれに、ここではない街角や見たこともない風景につながることがあるそうだ。それは過去と現在と未来が、ふと混在する瞬間でもある。

 作中で、この謎めいた道は美しい風景につながり、幸運の兆しだと昔から言われている。


 主人公のもゆ子は現在、愛媛県新居浜市で就職しているが、母の墓参りのため5年ぶりに帰京した。しかし、時計修理屋の父は相変わらず仕事に夢中。もゆ子は約束を破られて憤る。小さな頃から仕事を優先されてきたのだ。母が亡くなった夜でさえ、父は時計を修理していた。幼少期から募っていた淋しさから、2人の関係に亀裂が入る。しかし衝突しながらも、父の背中からもゆ子は徐々にその本意を読み取り、父の仕事の意味を学んでいく。

 作中では、母が元気だった頃を回想するシーンが何度か挿入されるのだが、その中で、いくつか実際に私が体験したエピソードを盛り込んでいる。


 どれも、まったく見ず知らずの人や、つかの間言葉をかわす程度の相手から、厚い情けをかけていただいた時の記憶を基にした。昔から私は他人と社交的に関わることが得意でない質なので、彼らから受けたあたたかい親切は、今も心のチカラになっている。


●清掃員Aさんの目

 例えば、もゆ子が駅ビルの総務部で雑用のアルバイトをしているシーンは、私が20代の頃にアルバイトをしていた、ある新聞社がモデルになっている。


 あの頃は、新人賞をもらってデビューし単行本を上梓したとて、それだけでは食べていくことができないのだと理解し始めた頃で、スズメの涙ほどの貯金も執筆のために使い果たし、いくつかアルバイトを掛け持ちしながら書いていた。その中の1つがある新聞社だった。

 その新聞社ではやや重い荷物を運ぶ軽作業もしたが、一人きりで黙々と作業する時間の持てるアルバイトだった。新聞社の清掃は、50歳代前半と見受けられる女性が担当していた。彼女のお名前を聞きそびれたので、ここでは仮にAさんとしておく。Aさんはぽっちゃりしていて、とても大きなメガネをかけていた。ブラウンのグラデーションがかったレンズは厚く、拡大された目がマンガのキャラクターを彷彿とさせた。

 私は彼女と作業部屋に2人になることが多かった。資料棚のあたりで新聞を整理していると、Aさんは気さくに話しかけてくれて、よく作業をしながらおしゃべりしていた。
 当時、私は冗談のように貧しくて、いつも空腹で青白い顔をしていた。それを見かねたAさんは、こう声をかけてくださった。


「あなたは毎週何曜日に来るの?」
「あ、火・木です」
「そう。じゃあ、あなたが来る日に、そこの引き出しにお菓子を入れておいてあげようか。休憩のときに食べてね」
「いえ、だって、そんな」
 私がもじもじしていると、Aさんは笑った。
「いいのいいの! 私ね、色んなお菓子を買うのが好きなのよ。そして、人に分けるのが好き。だから、もらってもらえるとうれしいんだ。だって、一人じゃ食べきれないもの」
「すみません。ありがとうございます」


 それから、Aさんにお菓子をもらって小腹を満たす習慣が始まった。Aさんと作業時間が重ならない日も、引き出しには必ず腹持ちのよさそうなお菓子が入っていた。
 何度か繰り返した頃。私にアルバイト代が入ったので、Aさんへのお礼に、いつもの引き出しにお菓子を入れておいた。
 すると翌週、Aさんはひどく居心地の悪そうな顔をしていた。普段の人懐こい雰囲気からは想像もできないほどだった。

「あれ、あなたが入れておいてくれたの? ありがとう。でも、もういいからね。気持ちだけもらうから、次からは自分で食べて。それよりも、その分でお総菜を買って、しっかりご飯をたべたらいいよ。じゃあね」

 そう言うと、掃除も早々に素っ気なく部屋を出て行った。私は何か失礼なことをしたのかと、少し混乱した。大人が照れるところを初めて見たから。


 次に会ったときは普段のAさんに戻っていた。何かの拍子に自炊の話になり、実家の話になった。
「私、料理ができないんです。親から料理を習ったことは、まあ、あったかもしれないですけど、覚えていないんですよね。仕送りなんてとんでもないですよ」
「お母さんのごはんでは、何が好きだったの?」
 くったくのない口調でAさんにそう聞かれて、私は口ごもった。
 よくある話だが、様々な事情により私はずっと実家との交流を断っている。実家で暮らさざるを得なかった頃、食事の時は、たいてい両親が喧嘩をしていた(今になって思えば、母が一方的に絡んだり愚痴を言ったりし続けた結果だ)。そして、たいてい子供たちも巻き込まれていたので、食事の記憶は苦痛だったこと以外ほぼない。猫舌ということもあり、食べるのに時間がかかる鍋物の日はとくにツラかった。

(余談だが、当時はまだ湯気が立つ食べ物が苦手で、食べられるようになったのはずいぶん大人になってからだ。そして、今では自炊をしていることが、当時の自分には想像もできないことだろう。)

 そんな過去の記憶から、私は冗談めかしてこう答えた。
「もしかしたら母は料理が下手だったのかもしれません。とくに麺ものがひどくて、何のパンチもない味のつゆに、ぶよぶよに伸びたうどんが沈んでいましたよ。それに、母は癲癇(てんかん)があるので、途中で倒れてヤケドを負うことがあって、怖かったです」

 すると、Aさんは真剣な顔をして言った。
「お母さんは、それでもちゃんと作って食べさせようと愛情をかけていたんだね」
「愛情?」
 様々な記憶から、社交辞令でも容易に頷けない。
「私の友達にも癲癇の人がいるけど、途中で何度も火を止めて休み休み作るから、とても時間がかかるんだよ。だからうどんが伸びたんだと思う」
「それは、お友達が優しいんですよ」
「そうじゃない。大変なことよ。お母さんの愛情に感謝したほうがいいよ」
「……わかりました」

 Aさんの泣き出しそうなまでに真剣な眼差しが私の胸に刺さって、反発する気持ちを打ち砕いた。
 あれから長い時間が過ぎ、今もごくたまにあの新聞社の前を通ることがある。その度に、Aさんと過ごしたひと時を思い出す。
 

●お客さん、2分だけ時間をちょうだい


 そしてもう1つ、作中のタクシー運転手さんとのエピソードはほぼ実話だ。

 紆余曲折を経て私は現在編集者の仕事もさせてもらっているのだが、10年ほど前に取材で石川県加賀市に出張した時、私は絶景を見た。
 
       ***

「運転手さん、左側に見える樹は、公園か何かですか?」
「あれは病院です。背の高い樹に囲まれているの」
「へえ。昔からありました?」
「ええ、ずっと前からありますよ。この辺では一番大きい病院です」
病院を過ぎると、建物の数が一気に減った。道路に沿って駐車場が続き、その奥に土手が続いている。遠くに金色の空が広がっている。家の近所でこんなに美しい景色が見られたのか。
お父さんは知っているだろうか。
「夕陽がきれいですね」
もゆ子が思わずため息をつくと、ふと、運転手さんは言った。

「お客さん、2分だけ時間をちょうだい」
「え?」
「飛行機にはちゃんと間に合うように送り届けるから」
「はい」
もゆ子が頷くと、タクシーは脇道にそれ、土手を登った。
土手の向こうは、海だった。遥か遠くに見える水平線に、ちょうど陽が沈もうとしている。
 運転手さんに促されてタクシーを下りると、おびただしい金と朱色の光が、もゆ子を圧倒した。もゆ子の視界の全ては、わずかな痛みを伴って全身に染み込んでくるほどの光で占められている。ふともゆ子は、自分の体が光に吸い込まれて消えたと感じた。
波はおだやかだが、吹きつける風や波の響きは、エネルギーの渦だった。もゆ子の細胞を洗いながら、浄化していく。
空には夜の断片と思われる薄い雲がかかっていて、下から黄金色に照らされている。雲の向こうに、淡い青空が昼間の名残りのように続く。鳥が小さな影となって、渡っていく。
「すごい」
もゆ子が口をきけるようになったのは、タクシーを降りてどのくらい経過してからだったろう。
「こんなにきれいな夕陽、見たことないです」
もゆ子は、すぐ横に立っている運転手さんを見た。運転手さんは嬉しそうに目を細めて、夕陽をまっすぐに見つめていた。もゆ子も再び視線を夕陽に戻した。
「ふふふ、さっき道を走っているときに『夕陽がきれい』って言ったでしょう。お客さんは海沿いを走っていることを知らないようだったから、見せてあげたくてねえ」
それからしばらく、もゆ子は運転手さんと並んで夕陽を眺めていた。

       (中略)

「そろそろ行きましょうか」
運転手さんの声でもゆ子はふと我に返った。再びタクシーに乗ると、「すぐよ」と運転手さんが言う通り、路地を1つ曲がるとものの数秒で京急蒲田駅の裏手に着いた。
料金を支払おうとすると、運転手さんは基本料金だけでいいと言う。せめて改めてお礼を言いたくて、もゆ子は名刺をもらおうとした。すると、運転手さんは笑って手を振るのだった。
「名刺はないの。この町を好きになってくれたらそれが嬉しい」

        ***

 写真には半分も写らなかったあの絶景のお礼を、あの運転手さんに言える日が来てほしい。


●言葉のお守り


「2分間の絶景」を書くにあたり、時間を超えて色々な方にお世話になった。

 そもそもは寝ている時に見た夢がきっかけで編んだ物語なのだが、実際に時計修理屋さんに取材をさせていただいたとき、お店の形態もお話してくださる時計への思いも、あまりにも夢と似ていたので驚いた。

 その方は匿名を条件に取材に応じてくださったのだが、
「どうして、こんなどこの馬の骨ともわからない人からのお願いを聞いてくださったのですか?」
 と聞くと、その方は「時計のことですから」と即答した。
「時計に恩返しができることだと思って」取材を受けてくださったそうだ。

 そしてある日の早朝、徹夜明けでふらつきながら、私は書き上げた小説をプリントアウトし、ある出版社の新人賞に応募すべく近所のコンビニに行った。
 原稿を入れた封筒の厚さと重さを測ってもらい、料金を支払って発送してもらう。
 その朝レジカウンターでは、メガネをかけた女性が対応してくださった。どことなく新聞社のAさんに似ている。

 財布から小銭を取り出そうとすると、女性は言った。


「良い事ありますように!」


「え?」
 驚いて私が顔を上げると、女性は「だって、これ」と笑顔で言って、封筒に書かれた「〇〇新人賞 応募係」の文字に触れた。そしてもう一度、「良い事ありますように」と言ってくださった。

「ありがとうございます! いいご報告ができるようにがんばります。でも、今、言葉のお守りをいただいたので、きっと行ける気がします」
「ふふふ、きっとそうよ」

 あれから数年経つが、今も私が歩いている道にはイバラすら生えていない。
 いいご報告ができないまま、いつの間にかその女性もコンビニからいなくなっていた。


●小説家になりたいのか、いい小説を書きたいのか

 多くの表現者がそうであるように、私も時々「小説家になりたいのか、いい小説を書きたいのか、どっち?」と聞かれることがある。

 そんなの、もちろん「いい小説が書きたい」に決まってる。考えうる全ての条件から完全に自由になって、一人で延々書いていたい。
 でも、「いい小説が、人のもとに届かないなんて我慢できない。だから、いい小説を書いて、それで売れたい」と続ける。

 だって、見ず知らずの人や、つかの間言葉をかわす程度の相手から、こんなにも厚い情けをかけていただいたのだ。
 そして、ここでは割愛するが、私はまだ出会っていない、ある仲間のために小説を書いている

 それはこの瞬間も変わらない。届け! 届け!! 願いはただ1つだ。


(最後までお読みいただき、ありがとうございました)


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