見出し画像

17.「毒親」呼ばわりする様で自分の気持ちを吐き出せ無かった


自分の膿を吐き出した際に引っ掛かった「毒親」というキーワード

前回、前々回の自分の中に溜まったものを吐き出してみて、
学校や習い事の先生、友達など周りからの態度や言葉に傷つき、吐き出せなかった気持ちがたくさん出てきました

悲しかった感情は、家で吐き出す場所があれば、自分の中で溜め込まないで済んだのかもなと思ったことがあります
結局は、自分の家庭環境が原因で、漠然とした生きづらさを抱えていたのか、最近よく聞く「毒親」なのかなと

数年前、ネットで毒親というワードを聞く様になり、毒親の特徴を見て、
もしかして自分は毒親育ちなのかもと少し思ったことはありました

でも、自分の中に溜まった負の感情を吐き出してしまうと、
自分の親を毒親と呼ぶことになってしまうのではないか、
あの時、こんなことを言わないでいてくれたら、こう言ってくれたらと、
両親を非難することになるのではないかと、躊躇ってしまい、
自分の気持ちを率直に認めることを遠慮していました

毒親という名前がまたとても悪いものの様に感じられたのも原因の1つでもあります

人の目を気にすることなく、自分の想いを素直に吐き出すのに、
自分にとってnoteはちょうど良く、自分の想いをやっと吐き出す事ができました

また、学生時代の自分から見て、自分の両親よりも「毒親」に該当すると感じる親を見て来ました

東京大学か医学部以外は大学と認めず、それ以外は大学に行かせないと、子供に勉強以外させない親、
将来医者と結婚する事が幸せな事と娘に価値観を押し受け、娘が医者と結婚できる様に良い大学に行かせようと勉強を必死にさせる親、

ヒステリックで子供を吐口にする親、

周りの子供にもわかるレベルで、執拗に周りと比較してライバル心を抱かせ、自分の子供が周りに負けない様に頑張る事を強制する親、

両親の事を、そういう明らかにおかしいと感じるレベルの毒親ぶりだとは思わなかった為、
自分の思っている事はただわがままなのかなとも思い、
自分の気持ちを押し込めてしまいました

「毒親」というキーワードに関して、
自分の中で整理が付いたので、思ったことをここに記したいと思います

毒親とは

学術記事を読んだわけではなく、ネットの記事を色々読んだだけの為、誤りも含まれるかと思いますが、
初耳の方向けに、そもそも毒親とは?という説明を一応記載しておこうかと思います

詳細や正確な情報を知りたい場合は、専門的なサイトを閲覧されてみ見てください
また、もし毒親に関する良いサイトや情報があれば、ぜひコメントで共有して下さい

毒親とは、「子供の人生を支配し、子供に害悪を及ぼす親」のことです
主な特徴として、
・感情的で不安定
 感情的な行動や、急に突き放したり、精神的に揺れている
・子供に価値観を押し付ける
 将来の進路に対する押し付け、好きな物や嫌いな物の押し付け
・子供の人生や意思を親がコントロールしようとし、過干渉である
 子供に対して質問されたことを、子供が話をしようとする前に、親が話始める等
・子供を放置する
 仕事やギャンブル、趣味、酒等、自分の欲求を満たすことに必死で、
 子供を放置する

父親について

父親は、仕事が趣味と言う位、口を開けば、仕事の話ばかりでした

外で仕事をして来ては、よく寝ている姿を見ていました
朝早くから、夜遅くまで働いていたので、疲れていたんだと思います

物心着いた頃、責任の重たい仕事が増え、海外出張や単身赴任等で家を空ける事が多かったです
あまり家にはいませんでした

土日の習い事は、父親が車で送り迎えをしてくれていましたが、
車の中では、経済や専門用語、政治、社会について、
大人と話す内容と同じ話をされ、何を言っているか理解できませんでした

内容が完全に理解でき、しっかり会話できるようになったと思うのは、20歳以降だったと記憶しています

家に帰ってからも、仕事に関する勉強をしていたりと、
時間の大半を仕事に持って行かれていた為、仕事以外の話をするのが難しかったんだと思います

父親は、子供にしっかりとした教育は必要であると考えを持っていました
子供が出来たら、子供の為に教育をしっかりして欲しいという考えから、母親には専業主婦として家庭に入ってもらったそうです
結婚相手は、母親として家事、育児が出来る人を探していたと昔聞いたことがあります

父親の育った環境は、両親が店をやっており、母親があまり家にいなかった経験から、
子供の近く母親がいた方良いという考えを持ったのではないかと推測します

また、とてもせっかちな性格でした
送り迎えの際に、習い事が終わったらすぐに父の待つ車に戻らないと、「遅い」とよく怒られました
車で出かける際も、準備が遅いと、よく怒られました
別に後ろに予定がが詰まっていたわけでもなく、約束していた出発予定時刻に送れていたわけでもありません

強く怒られている様に感じて、怖くて、
もう少し友達と話をしていたいな、もう少し準備をしたいなと思っても、
また行動が遅いと怒られるかもと、幼い頃、怯えていた自分がいます

自分が本当はまだやりたいことがあるのに、怒られるかもと我慢を続けた結果、
いつの間にか自分も、行動が遅い人に対してイライラする人間になってしまいました
皆が待っているのだから、素早く行動するべきと

父親の育った所は、バスは1時間に1回走っていたら良いほうで、毎日10km自転車で高校へ通わないといけない位、とても田舎でした

田舎ならではの慣習が未だに残っており、常に「長男だから」と、父親は何かと我慢を強いられていました
そんな環境が嫌で、社会人を機に家元を離れたそうです

同じ想いを子供にはさせないように、兄には一度も「長男だから」と言わないようにしていたと昔言っていました

(決して田舎を馬鹿にするつもりはありません。自然が豊かでのんびりしている田舎は大好きです)

母親について

母親は、自分のことより、いつも家族の事で、控えめで献身的な人でした
また、繊細で、感受性が強く、心配性で、
自分の繊細さは母親の影響があるかもしれないと大人になってから気付きました

幼少期は、父親の仕事の影響で、転勤が多く、
小学校を5回転校し、高校生になるまで1~2年経っては、また違う土地へ行くのを繰り返していました
新天地で目を付けられないよう振る舞っていたら、控えめな性格になったようです
また、周りがどんな人か見極める為に、人間観察をよく行うようになり、
人から聞いた話や会ってすぐに、大体の人となりがわかる洞察力の高い母親でした

転勤族だったせいで、継続できないという理由から、習い事をさせてもらえなかったそうです
本当はピアノを習いたかったと、昔言っていました
家庭の都合で、やってみたいという気持ちはあっても、我慢せざるを得なかったそうです

また、母親が学生だった時代は、
女性はすぐに家庭に入り、会社に勤めても腰掛けで、女性は短大で十分と言われていた時代でした
25歳を過ぎて結婚できていないと、"売れ残り"という意味で「クリスマスケーキ」と言われていたようです
今では考えられません

塾に行ったり、大学受験を本格的に取り組んだりという教育の機会は与えられておらず、県外の大学へ行くことは、許されませんでした

また、自分に自信のない性格でした
手先の器用だった母親から、よく不器用だと言われたり、
馬鹿にされて育ったせいか、自己肯定感が正しく育まれなかったのだと思います

その為か、気分が揺れやすく、少し責められると、自分を否定されるような極端な思考に飛んでしまうことがありました
母親という役割もあり、普段から自分よりも家族の為にと、我慢をしていた為か、
たまに感情が爆発することがありました
感情的になってしまう自分の性格が良くないと客観視が出来ている分、
抑えきれない自分を、自分で責めていました

親身に話を聞いてくれたり、基本的にとても優しい母親でした

自分が大人になり、母親の性格がわかって来て、冷静に対処できる様になりましたが、
まだ上手く対処が出来なかった頃、
普段は優しいのに、突然激しく怒り出す事があり、
どこが怒られるポイントなのかよくわからず、
怒られるのが怖くて、地雷を踏まない様、母親の顔色を伺うようになりました

その癖が抜けず、友達や同僚、上司に対しても、
何か少しでも変なことをしてしまったら、怒られるのではないかという恐怖から、
常に顔色を見て話をするようになってしまいました

人の顔色を見ずに自分の気持ちをストレートに言っていた頃に、
自分の言葉が、母親のコンプレックスや自責している部分をえぐってしまうことがあり、何度か泣かせてしまったこともありました

そんな経験から、自分の気持ちを率直に表現すると、
相手を傷付けかも、自分の考えは良くないものなのかもしと、
自分の意見をあまり言わないようになりました

言葉を発する回数が多いほど、墓穴を掘る機会も増える為、
何も言わない方が怒られなくて、誰も傷付けなくて済むと、
だんだんと口数が減っていってしまいました

両親を責めることはできなかった

自分の気持ちを整理していて、
自分の性格と、周囲の環境だけでなく、家庭環境も大きく影響していると気付いた時、
両親を憎く思ったことがありました

でも、もし自分の生きづらさが両親の毒親が原因なのであれば、
両親が毒親になった原因はなんだろうか?

仮に両親が「毒親」とするならば、
両親もまた、毒親に育てられた結果、毒親になったと言えないだろうか?

では、悪者は祖父母か?

それも違うなと思いました
父方、母方の祖父母と話をしていて、自分が若かった頃の話を色々聞かせくれました

祖父は、体が強く無かったそうで、それでは戦争に行けない、男として情けないと両親だけで無く、親族からよく言われていたと聞きました

祖母は、嫁に嫁いですぐから、小姑は何も家事をせず、10人近くの家族の家事を1人で全てやらされ、召使の様だったと聞きました
今の様な白物家電もない時代で、家事が重労働な時代だったと思います
また、家事をしない癖に、料理に文句をつけられたり、感謝どころか罵られる事の方が多かったと聞きました

また、別の祖母は、自分の祖母から不器用だとか、頭が悪い、お前は不細工だとか、よく言われていたと聞きました

祖父母もまた、自分の両親や親族から、自己肯定感が折られる言葉を浴びせられていました

結局は、誰かが悪いという話では無く、
自己肯定感が正しく育てない教育と、
自己肯定感が育つ前に親にさせられる日本の古くから続く慣習と価値観が原因では無いかと思います

皆が我慢を続けていた結果、
被害者だった子供がいつの間にか加害者の親になり、
数珠繋ぎで、子供へ引き継がれて来たのではないかと思います

今の自分達には、そもそも結婚するかどうかの自由があります
その為、親になる事も選択できる自由があります

でも、両親や、祖父母や、もっと前の世代は、結婚して、子供を生んで、親になる事が当たり前でした
今の様な自由恋愛でも無かった時代、親の決めたタイミングで、親の決めた相手と、
結婚するのが当たり前で、
今の価値観でいう「親とはこうあるべき」という準備が出来ていないまま、
親になる以外の選択肢が無かったのでないかと思います

自分の自己肯定感が育たなかったのは、周りにいた人達の環境が原因ではあるけれど、
それは誰のせいでも無く、
根本の原因は、日本の古くからの慣習と価値観のせいと気付かされました

自分がまだ子供なだけだった

こうして書き出してみると、
これまで両親と話をした中で、自分が経験した同じ苦労を、子供にさせないようにしてくれていたことも思い返されました

父親は、自分の母親が仕事で側にいなかった経験から、
自分の子供に同じ想いをさせないようにと、
自分が外で仕事を頑張る分、学校から帰ったら、
常に母親がいる家庭環境を作ってくれました

その環境を自分は、「当たり前」だと思っていました

兄に長男だからという理由で、理不尽な想いをさせないように、
理不尽な理由を押し付けない様にしていました

そんな時代錯誤の考え方を子供に押し付けないのは「当たり前」だと思っていました

母親は、自分が転勤が続いたことで、
子供にかかる心理的なストレスと、学校の進捗の違いによって受けられなかった授業があった経験から、
父親の転勤が決まった際、子供が転校せずに習い事を続けたり、学校の授業を継続して受けれられるように、
父親だけの単身赴任で、母親が兄と自分を1人で育ててくれました

また、県外の大学へ行きたくても、行かせてもらえなかった経験から、
同じ想いをさせまいと、
自分が県外の大学へ進学を希望しても、何も反対されませんでした

高校生の頃、家を出たくてしかたがなかった自分は、
母親が県外から出させてもらえなかった話を聞いた際、
反抗期だったこともあり、押し付けがましいと思っていました

また、自分が希望したわけではありませんでしたが、
大学進学に熱心な私立の中高一貫の女子校に通わせてもらっていました

周りは、大学進学は当たり前で、
女性が旧帝大、医学部を目指す事も、理系へ進む事も何も珍しい事ではなく、
周りの同級生、県外を目指しているから、
県外の大学を志望できることは「当たり前」だと思っていました

また、当たり前だと思える環境に身を置けるありがたみにも気付いていませんでした

改めて書き出してみると、自分の趣味や楽しみよりも、
子供のことを考えてくれていた両親だったと思い返されました

言い方が少しキツかったり、言われたくない事を言われて嫌な想いをした事があり、
その一部を毒親の特徴に当てはまるかもと疑ってしまったのだと思います

そして、自分自身もまた、自分の個性を認めて欲しかったと両親に求める一方で、
1人の人間として、両親の個性を全く顧みずに、
「お父さん」や「お母さん」とは、こうあるべき、こうあって当然と、
枠にはめて見ていたと痛感させられました

今、自分は両親が親になった年齢と同じくらいになりました

やりたい事に時間や、体力、お金を使えない状況が、子供が成人するまで続き、
子供の為に働いて、子育てをして、子供のメンタル面も全てカバーして、
「完璧」な子育てができるかと問われると、
今の自分には到底できないです

人間誰しも、不得意な事や、手が回らない事、その当時は気付けなかった事はあると思います
完璧な人間や、間違えない人間なんていないと思います

確かに、周りの同級生と比較して、両親のしつけはかなり厳しかったです
それによって、自分の感情を出せなくなったり、自己表現をどの様にしたらいいのかわからなくなり、人を過度に恐れる様になってしまった原因の1つになりました

でも、自分ばかり可哀想な人間で、人にばかり要求していて、
現状のありがたみにも気が付けない自分は、ただの子供でした

これから自分ができる事は、今の自分に必要なくなった価値観は手放して、
自分が加害者にならない様に考え方を変えていくしか無いのかなと思いました

関連記事


宜しければサポートお願いします。 頂いたサポートは、活動費として使わせていただきます!。