見出し画像

同じ穴の狢はエニグマ(俗ラテン語)であった。


あきもとふぁ〜ま〜ず

介護施設

サブレ(ー)
〔さくさくしたクッキー〕 a sablé 「*cookie [̎biscuit].

『新和英大辞典 電子増補版』 研究社

sa・ble [séibl]〓
―n. (pl. sa・bles,⦅特に1,2で集合的⦆ sa・ble)
1 クロテン(黒貂)Martes zibellina:シベリア,中国北部,北海道などに生息;暗毛皮が珍重される.
2 テン(marten),(特に)アメリカイタチ Mustela americana.
3 クロテンの毛皮.
4 黒;(しばしば紋章の一色としての)黒色.
5 ⦅sables⦆ ⦅文語⦆ 喪服:〓
6 クロテンの毛で作った画筆(sable’s hair pencil).
7 =sable antelope.
―adj.
1 (紋章の一色としての)黒色の.
2 クロテンの毛[毛皮]で作った,クロテンの.
3 非常に暗い,暗黒の,漆黒の;黒色の:〓
4 陰気な,陰鬱(いんうつ)な;恐ろしい;悪魔の:〓
[中期英語<古期フランス語<中低地ドイツ語 sabel<スラブ語またはバルト語]
sa・bly
―adv.

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

Sable (heraldry)
セーブル (紋章学)

セーブル: : : Sable)は、紋章学おける黒色を表すティンクチャーであり、「原色 (colours) 」と呼ばれる種類のティンクチャーに属する

Weblio英和対訳辞書

tinc・ture/tÍŋktʃɚ/〓
〖初14c;ラテン語 tingere(着色する=tinge). tinct(着色する, 染色する)+-ture(状態, 機能).着色してある状態→「色, 色あい」.染色の機能→「染料, チンキ剤」〗

1 〖薬学〗チンキ剤《アルコールに薬品を溶かしたもの;通常10%から20%の溶液》〓
2 ⦅まれ⦆[a ~] 色(color), 色あい(tinge);特徴.
3 ⦅文⦆a ~ of ……の気味[様子], …じみた所;(知識・性格が)生かじりの[付焼刃の]もの〓
4 〖紋章〗[しばしば ~s] 紋章に使用される色の総称《金属色(metals), 原色(colors), 毛皮模様(furs)の3グループがある》.
5 ⦅英略式⦆アルコール飲料, (特に)酒(の1杯).
6 ⦅廃⦆染料(dye), 顔料, 絵の具(pigment).
7 ⦅英俗⦆液状ハシシ(hashish).
―〓〓
1 ⦅文⦆[通例 be ~d]〔…の〕風味[臭味, 気味, 色彩]を帯びる〔with〕〓
2 …を着色する, 染める.

『ジーニアス英和大辞典 用例プラス』 大修館書店

もんしょうがく【紋章学】
heraldry
紋章の起源,構成,図柄,色彩などを研究し,中世社会文化史を解明する学問。中世の騎士社会においては王侯騎士が用いる紋章を弁別し,文書伝達や儀式の先導をつとめるヘラルド(紋章官)が紋章に関する専門知識をもっていた。 14世紀以後法律家や聖職者によって紋章の学問的研究が始められ,ドイツ,フランスで盛んになった。 17世紀の神学者 P.シュペーナーは紋章の歴史的考察と分類によって近代紋章学の基礎を確立,18世紀初頭にベルリン貴族学校,次いでライプチヒ大学に紋章講座が設けられた。日本では沼田頼輔の『日本紋章学』が有名。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

「俗ラテン語」と「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)

「俗ラテン語」は「得体の知れない人物」を指す。
それは「エニグマ」と言われている。
「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)は「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰」(Holy Communion)によってインフォームド・コンセントが為されることを意味し、最強の「イクトゥス」(fish)が「公共」の場へ示されることを同時に意味している。
それは「公共」の場に於いて最高の「祝福」を受ける行為と言える。

一方で
「俗ラテン語」は一見関係がないようで実は同類・仲間の類であり「得体の知れない人物」の群れが悪事を働く様を言う。
それは一般に「同じ穴の狢」と言われる。

「同じ穴の狢」の例 
ゲルマン諸語とフランス語

安彦良和監督映画「クラッシャージョウ」

「人、一人の命?」
「それは穏やかじゃないなぁ」
ジョウの声にチーム最年少のリッキーが続けた。
ある惑星の周回軌道上にあった資源用衛星、そのエネルギープラントの暴走事故を停止させたジョウ達 に待ち受けていたのは休暇ではなく仕事の依頼であった。ここは惑星オーパスの首都、マルタドール市 にある高級ホテルの一室である。仕事から解放されたはずのジョウとそのチームメイトは逗留先で飛び 込みの仕事の内容を聞く事となった。
部屋にやって来た依頼者は慇懃無礼な態度で切り出し始める。
「ええ、実は…ある荷物を惑星ミッコラまで運んで欲しいのですが…」
仕立ての良いスーツに身を包んだ男は銀河有数の財閥、スコーラン家の執事バレンスチノスと名乗る。
「それなら、連合宇宙軍に頼めば良い。宇宙軍ならば俺達クラッシャーと違って只だ」
「それが出来ないから貴方達にお願いしているのです」
「きな臭いですなぁ」
とチームメンバーのタロスが合いの手を入れた。
「一体その『荷物』っていうのはなんなんだい?」
「実は…」
バレンスチノスは語り始めた…
この星にスコーラン家からの依頼として、ある荷物が置いてある。それを権威のある医療機関がある惑星ミッコラへ 輸送して欲しい。その荷物が輸送されないとある人物の命に関る、なにしろ、荷物は病魔に冒されたスコーラン家の 令嬢エレナ・スコーランその人なのだ。しかしこの話が公になるとスコーラン家の体面に関る事になる。その上、対 外的に公表される可能性があるので連合宇宙軍に頼むことは出来ない。だからその「荷物」を輸送して欲しい。
本来ならば、クラッシャーは惑星アラミスにある評議会を通し、依頼された仕事以外は受託しない。しかし、チーム リーダーの裁量によってある程度の依頼は受託可能となっている。
「タロス、スケジュールは?」
スケジュール表をめくりながら答えるタロス。
「取り敢えずは、空いてますなぁ」
「……」
「ジョウ……」
チーム内の紅一点アルフィンが視線を向ける。
「よし、この依頼引き受けた」

1983年10月下旬
名古屋から船橋市へ引っ越す時に五龍神田くんから餞別で貰ったクラッシャージョウの映画パンフレット(他にクラッシャージョウの映画下敷きも貰った。)

「俗ラテン語」

グラフィト
graffito
複数形でグラフィティ graffitiともいう。古い時代の建造物に当時の人々が残した,落書きの類の絵や文字。⇨碑文と区別していう。言語学の貴重な資料であり,また,当時の生活を知るうえで歴史学にとっても重要な史料である。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)

ひぶん【碑文】
碑に記した文。墓碑,架橋碑,建郡碑,築城碑,造池碑,歌碑,経碑,顕彰碑などがある。日本には飛鳥時代に中国から伝わった。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

「俗ラテン語」(エニグマ)を研究し「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)へ向かう

ぞくラテンご【俗ラテン語】
Vulgar Latin
学校教育や文学上の手本の影響を受けていない話し言葉としてのラテン語。1~8世紀頃の碑文,⇨グラフィト,技術書,キリスト教関係文書などのラテン語文献,ならびに同時代の文法家たちの証言から推定することができ,古典期に完成した書き言葉からの遊離を示している。地域による差は,少くとも文献のうえにはあまり現れていないが,ローマ帝国が滅亡して各地に勢力の中心ができはじめてから次第に大きくなったものと考えられる。それらの新しい様相を帯びた方言はロマンス語派の諸言語へと発展し,9世紀以後の文献にははっきりと各ロマンス語の特徴がみられる。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

ロマンスごは【ロマンス語派】
Romance languages
ヨーロッパ各地に用いられたラテン語の口語(→俗ラテン語)が,地域ごとに独自の変化をとげて成立した諸言語。現在国家の公用語として標準文章語をもっているものに,スペイン語,ポルトガル語,イタリア語,フランス語,ルーマニア語があり,ほかにカタラン語,プロバンス語,サルジニア語,レト・ロマンス諸語がある。各地域がローマ化した時期が異なること,地域ごとに⇨基層言語や⇨上層言語が異なることが,諸言語が独自の変化をとげるうえで影響を及ぼしている。ラテン語と比較した一般的共通特徴としては,名詞の⇨曲用の単純化,動詞の⇨活用が総合的(語形替変による)から分析的(助動詞などによる)になったことなどがあげられる。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

きそうげんご【基層言語】
substratum
底層言語ともいう。Aという言語を話していた民族が,異民族による征服などの原因で,Aを捨てBという言語を話すようになったとする。このBが,滅びたAの影響を受けて多少変化することがあるが,そのとき,Aを基層言語と呼ぶ。たとえば,⇨インド=ヨーロッパ語族で⇨インド諸語だけが通常の歯音とそり舌の歯音との対立をもつが,これは古くインドの地に広がっていたムンダ語の影響を受けたためといわれている。すなわちムンダ語がこの場合,基層言語になったと考えられる。またフランス語では,ラテン語 lūna(月)が lune[lyn]となるような[ū]>[y]の変化は,基層言語であるケルト系ガリア語の影響による。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

じょうそうげんご【上層言語】
superstratum
ある言語の話し手たちが,ほかの言語の地域に侵入しこれを征服したが,最終的にはその地域固有の民族に言語的に同化されたという場合,征服者の言語が被征服者の言語に影響を及ぼすことがある。このとき,前者の言語を上層言語と呼ぶ。実際には確かめにくいことが多いが,一例として,フランス語の haut(高い)は,ラテン語の altum(高い)に由来するので本来 autであったのが,ガリアに侵入したゲルマン人の言語の影響で語頭にhをもつようになったと考えられることがあげられる。(→基層言語)

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

mu・ta・tion/mjuːtéɪʃən/〓

1 変化, 変形(change);(人生などの)盛衰, 浮沈.
2 〖生物〗突然変異(種)(mutant).
3 〖生物〗染色体変異により生じた肉体的特徴.
4 〖音声〗(ゲルマン諸語の)母音変異(cf. ablaut, umlaut);(ケルト諸語の)語頭子音の変化.
mutation stop/––/
〖音楽〗(オルガンの)ミューテーションストップ.
〓mu・ta・tion・al/―ʃənḷ/〓
〓mu・ta・tion・al・ly〓

『ジーニアス英和大辞典 用例プラス』 大修館書店

e・nig・ma [əníɡmə]〓
―n. (pl. e・nig・mas,e・nig・ma・ta[~tə])
1 なぞ,不可解な出来事[状況].⇨PUZZLE〓:〓
2 なぞの人,正体のつかめぬもの:〓
3 (なぞめいた)言葉,質問,絵;なぞなぞ.
4 ⦅E―⦆ エニグマ:1920年代初期にドイツで開発された暗号機械;当初は民間用に製造されたが,第二次世界大戦中ドイツ軍や枢軸国軍に幅広く使用された.
◊[音楽]Enigma『なぞ』Elgar の変奏曲作品36番(1898).
[1539.<ラテン語 aenigma なぞ<ギリシャ語 aínigma なぞ(aînos「寓話(ぐうわ)」の派生語 ainíssesthai「なぞめいた言葉で話す」より)]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

エニグマ〖enigma〗
謎。謎めいた言葉。

『大辞泉 第二版』 小学館

en・ig・mat・ic [èniɡmǽtik,ìːniɡ―|èniɡ―]〓
―adj. なぞのような,不思議な,解きがたい;〈人・物が〉得体の知れない.⇨AMBIGUOUS〓:〓
(またèn・ig・mát・i・cal)
èn・ig・mát・i・cal・ly〓
―adv.

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

『むじな注意報!』

むじな注意報!』(むじなちゅういほう)は、小山田いくによる日本漫画作品。『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)にて、1996年37+38号から1997年34号まで連載された[1]。単行本は、少年チャンピオン・コミックスから刊行された。

主人公である無品誠(むじな)と彼の通う中学校の日常を描く[2]。『すくらっぷ・ブック』は作中時間で本作の17年前にあたる作品である。そのため、同作の数名の人物が本編に登場している。単行本の5巻には『ドリーマーの季節(ころ)』[3]も収録されている。

「秋田書店」
中に入って受付の女性に挨拶して帰りました。
感動の秋田書店探訪でした。

狢と猿と獺ムジナとサルとカワウソ」は「公共」を示し、「公共」の中での「ムジナ」とは「私利私欲」の「実現」を表している。
ムジナ」とは「公共」の中での「私利私欲」のあり方を伝えている。
「公共」は「獺祭だっさい」と言えるだろう。
獺祭だっさい」とは「イクトゥス」(fish)を示しキリスト教の信仰告白を指し示している。
このようにキリスト者の誠実と真実を持って「公共」は可能となる。
ただこういった「公共」に対して「私利私欲」の「ムジナ」はアンチキリスト(devilfish)として敵対する。
それはコンフィデンスマン(信用詐欺)として「公共」の中で「私利私欲」を追求する。
ここで重要なことは「獺祭だっさい」を至上とすることである。
コンフィデンスマン(信用詐欺)の「私利私欲」は「公共」の中で「獺祭だっさい」によって「イクトゥス」(fish)を問われなければならない。
「イクトゥス」(fish)とはキリスト教の信仰告白である。
もしあなたが「獺祭だっさい」に於いて「イクトゥス」(fish)を示せないなら、「大俗物」として「公共」から追放される存在となる。
それはユダヤ教の「スケープ・ゴート」と言えるだろう。
又はユダヤ教の「ホロコースト」(獺祭)と言えるだろう。

「人間理性」(叡知界)は「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)であり、「俗ラテン語」は「ドクサ」(感性界)なのです。

「俗ラテン語」をただ思い込むことは人間として最劣等の見本とされます。
何故なら「思い込み」だけで生きる存在は「大俗物」の極みであり「人間理性」の否定でしかないからです。
「人間理性」を持たない人間は人間と言えません。
そういった人間ではない非人とは「反面教師」とされる存在となります。
しかしそれは教訓であって人間は「神の味方」であることで三位一体のペルソナとなり得るのです。
「俗ラテン語」を思い込むというあり方を廃棄した上で「科学的思考」をすることは「カトリックロゴス感覚」を受肉することであり「神への信仰」の為せる技と言えます。
そのような「カトリックロゴス感覚」を「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)と言います。

「俗ラテン語」を思い込んだ世界の住人が浴衣を着こなしているような小泉進次郎は日本国を代表する政治家と言うより「肉体労働者」(感性界)の人間感覚を色濃く持っている。
このような「肉体労働者」(感性界)が浴衣を着こなす姿とは相撲の力士を想起させるのです。
日本民俗学の柳田国男は相撲の力士なんて単純思考の象徴でしかないと揶揄しています。
しかし横綱白鳳の様なモンゴル相撲は日本相撲協会の「肉体労働者」(感性界)と違って「頭脳労働者」(叡知界)であったのです。
だから横綱白鳳の「頭脳労働者」(叡知界)から史上稀に見る最強伝説が生まれたのです。

ここで言えることは日本国を代表する政治家は「頭脳労働者」(叡知界)の人間感覚を色濃く持っている必要があるだろうと言うことです。
それは「人間理性」の存在を示している。

政治家は「肉体労働者」(感性界)だろうか?

それは違うだろう。
何故ならば「肉体労働者」(感性界)のマッサージ業(性的マッサージ業)と同じとなってしまうからです。
又、相撲の力士は「肉体労働者」(感性界)が浴衣を着こなして色気づいた美を誇る性的シンボルの代表選手とも言えます。
だから相撲の力士は大学を卒業し学位を取得していたとしても「肉体労働者」(感性界)のマッサージ業(性的マッサージ業)と同程度の価値しかありません。
最近のテレビ局アナウンサー業(TBS系列以外)も同様に「肉体労働者」(感性界)のマッサージ業(性的マッサージ業)と同程度の価値となっています。
要は「肉体労働者」(感性界)のマッサージ業(性的マッサージ業)に就職したホステス(ピンサロ嬢)と同程度なのです。
いくら美化してもいくら大学を卒業し学位を取得していたとしても「肉体労働者」(感性界)のマッサージ業(性的マッサージ業)に就職したホステス(ピンサロ嬢)と同じ様な単純思考と言えます。
そういった単純思考は「俗ラテン語」でしかなく「聖ラテン語化」を貶める「大俗物」でしかありません。
TBS系列以外のテレビマンユニオンは「肉体労働者」(感性界)のマッサージ業(性的マッサージ業)に就職したホステス(ピンサロ嬢)と同程度の単純思考であり「俗ラテン語」しか解さない「大俗物」なのです。
政治家が「大俗物」では真の愛国も真の経世済民も絶対に有り得ないでしょう。
そういった非難に対し小泉進次郎を「身近な政治家」として高評価する人達がいます。
ただそういった「身近な政治家」が「俗ラテン語」をただ思い込むだけの「大俗物」を示しているのなら「大悪政」となることは必至です。
このように「身近な政治家」に「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)を期待することはなかなか出来ません。
優秀な「頭脳労働者」(叡知界)がそう簡単にいるわけが無いのです。
優秀な人が「身近な政治家」であるなら簡単に見つかります。
別に小泉進次郎ではなくても町内会の人でも良いわけです。
そういった「身近な政治家」を優秀とする意見は全くの「デマゴギー」であり「俗ラテン語」であるのです。
「身近な政治家」とは「俗ラテン語」だったのです。

では政治家は「頭脳労働者」(叡知界)だろうか?

「俗ラテン語」をただ思い込む感覚は「肉体労働者」(感性界)の人間感覚である。
「神の味方」としてそういった「思い込み」を廃棄し「カトリックロゴス感覚」を受肉する「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)は「頭脳労働者」(叡知界)の人間感覚と言える。

ここで重要なことは「人間理性」は「頭脳労働者」(叡知界)を神から問われるということです。

それが失われたら「人間理性」は「肉体労働者」(感性界)でしかなく、「知性」も「理性」も「学問」も不成立な廃人同様の屑(大俗物)にしかなりません。
「頭脳労働者」(叡知界)は「人間理性」の成立を見ることで三位一体のペルソナとされます。
「信仰生活」は「頭脳労働者」(叡知界)に拠ってしかあり得ず「人間理性」も同様です。
例えば滝に打たれる修行経験は「頭脳労働者」(叡知界)というより「肉体労働者」(感性界)と言える。
滝に打たれる修行経験も「肉体労働者」(感性界)が浴衣を着こなして色気づいた美を誇る性的シンボルの代表選手であるでしょう。
指原莉乃さんはそのようなセックスワーカーであり「頭脳労働者」(叡知界)ではなく「肉体労働者」(感性界)のマッサージ業(性的マッサージ業)に就職したホステス(ピンサロ嬢)と同じ様な単純思考であるでしょう。
「フェイス」を誇った男性テレビアナウンサー(TBS系列以外)も「頭脳労働者」(叡知界)ではなく「肉体労働者」(感性界)のマッサージ業(性的マッサージ業)であり「男娼」(猫)のような下賤な存在であるでしょう。
彼らは蔑まれて当然の存在であり彼らを示す「スーパーエリート」とは「俗ラテン語」でしかなく「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)が示す「神の王国の住人」と真逆の堕落した存在に過ぎないのです。
又、「頭脳労働者」(叡知界)とは「思い込み」を廃棄した信仰から生じる「カトリックロゴス感覚」であり「読書」はその基本的あり方と言える。
「読書」でも「俗ラテン語」を読んだら「肉体労働者」(感性界)となるだけです。
何故なら「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)が為されず「カトリックロゴス感覚」が受肉しないからです。
そういう意味で「読書」は「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)を選んで読む必要がある。
マンガも「読書」と言われるがその多くは「俗ラテン語」であって「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)は少数派と言える。
「信仰生活」とは「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)を「読書」する行いであると言えるだろう。

これは一般に「ブルーカラー」と「ホワイトカラー」の違いと言われ、トランプ大統領とバイデン大統領の違いとして明確化されている。
トランプ大統領はアダルトビデオ俳優と肉体的に昵懇になりそこで為された不正行為が裁判沙汰となっている。
それは「俗ラテン語」を思い込んだだけの典型的なあり方と言える。
一方でバイデン大統領は副大統領に指名された経験を持つ本格派である。
それは「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)を「読書」してきた人間であることを指し示しているだろう。
トランプ大統領は「肉体労働者」(感性界)であり、バイデン大統領は「頭脳労働者」(叡知界)であるだろう。
イマヌエル・カントに拠ると「善い政治」とは「政治的最高善」であり「永遠平和」であると言われている。
このような政治思想は「肉体労働者」(感性界)では無理だろうと思う。
何故ならばこのような崇高な理想は肉体のみの「大俗物」の欲求では無理だからである。
そういう意味で政治家の資質とは「頭脳労働者」(叡知界)と言えるだろう。
バイデン大統領や林芳正は政治家の資質を持っていた。

では「肉体労働者」(感性界)とは何だろうか?

それは「頭脳労働者」(叡知界)をすることが出来ない「劣等性」と言える。
「人間」には頭の善し悪しがはっきり存在するらしい。
「肉体労働者」(感性界)が世界を統治したら暗黒時代(ディストピア)となるだろう。

一方で「頭脳労働者」(叡知界)が世界を統治したら理想郷(ユートピア)となるだろう。
それはキリスト教信仰の黙示録(revelation)が齎す「神の王国の到来」です。
それが人間社会信仰(公共性)に於いて重要な意味を持っていたのです。

そういった意味で現在、アメリカメジャーリーグで大活躍している大谷翔平とは「俗ラテン語」として「反面教師」とされている。
だから大谷翔平は敢えてアーロン・ジャッジと比較される対象となっています。
日本のマスメディアの宣伝内容と違って善い見本とは大谷翔平ではなくアーロン・ジャッジとなっています。
アーロン・ジャッジのバッティングを簡単に指摘するとセンター中心にヒットを狙っていくものでありアメリカメジャーリーグに於いて非常に基本に忠実な「信仰生活」となっている。
それは「頭脳労働者」(叡知界)であり「信仰生活」なのです。
簡単に言ってアーロン・ジャッジはアメリカメジャーリーグの「信仰生活」を象徴している。

カトリック神学の三対神徳とは信徳・望徳・愛徳を示し、神学者達は「信徳は精神的建物の土台を作り、望徳はそれを建て、愛徳は屋根をつける」と各役割を説明しています。

このように大谷翔平の方はアメリカで「肉体労働者」(感性界)を誇った愚かな「反面教師」とされているのです。
大谷翔平は「俗ラテン語」として「反面教師」とされ「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の賛美に使用されているのです。
これはアーロン・ジャッジへの賛美ということです。
それを知ってか知らずか大谷翔平は大活躍を続けていますが愚かというか憐れとも思えます。
そういう意味で大谷翔平の通訳だった水原一平の方が「俗ラテン語」ではなく「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)と言えるのかもしれません。
そういった「俗ラテン語」と「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の認識が「公共」の中では最も重要であり大谷翔平より水原一平の方が実はアメリカで称賛されているのかも知れません。
何故なら水原一平は「頭脳労働者」(叡知界)の「信仰生活」をしているからです。
アメリカに於いて実際は水原一平より大谷翔平の方が駄目な奴だという評価が固まっていると見受けられます。
水原一平の方が大谷翔平より「頭脳労働者」(叡知界)の「信仰生活」のことを深く理解している。
そういった「頭脳労働者」(叡知界)の「信仰生活」の認識が理解できない大谷翔平は「人間」としてアメリカで評価が低いと想像され「人間失格」だと見做されているだろう。

「俗ラテン語」と「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の違いを認識できることが「イクトゥス」(fish)であると言えるのです。
これが『むじな注意報!』のことなのです。
ムジナ」はこの「イクトゥス」(fish)を理解できない。
一方で「獺祭だっさい」はこの「イクトゥス」(fish)を示すことなのです。

ここにキリスト教信仰の黙示録(revelation)が存在し「ムジナ」と「獺祭だっさい」がこの「イクトゥス」(fish)によって判明し審判が行われるのです。

TBSアナウンサーは「カトリックコミック」の「青春漫画の王道」である。

私見ですがTBSの新人アナウンサー南後杏子さんと御手洗菜々さんもこの「イクトゥス」(fish)によって判明し審判が可能となっています。
美しい青と美しい一瞬の閃光(笑顔)に吃驚しました。(2023年9月13日FRIDAY『ひるおび』OR『ゴゴスマ』のTBSNEWSに於いて)
これが最強の「イクトゥス」(fish)でした。

御手洗菜々さんはマミ(タヌキ)みたいですっごく可愛いです。
南後杏子さんは魔魅マミのように得体が知れないところがあります。

ここで見ていくとマミ(タヌキ)は「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)であり、魔魅マミは「俗ラテン語」であるでしょう。

高畑勲監督の名作ジブリ映画「平成狸合戦ポンポコ」は魔魅マミだった。

高畑勲監督の名作ジブリ映画「平成狸合戦ポンポコ」はマミ(タヌキ)のように「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の「イクトゥス」(fish)を示している可愛い作品と言えるだろうか?
それとも名作ジブリ映画「平成狸合戦ポンポコ」は魔魅マミのように得体の知れないエニグマ(俗ラテン語)の「穢」と「快楽主義」を持った作品だろうか?

この映画に登場するマミ(タヌキ)は明らかに大俗物の人間感覚を持っている。
この映画に「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の「イクトゥス」(fish)を見出すことはできないと思います。

この奇妙な映画は最後にマミ(タヌキ)が遊園地の従業員として働くことになります。
このような遊園地こそ人を誑かす魔魅マミではないでしょうか?

この映画は魔魅マミの「穢」と「快楽主義」に満ちているのです。

中国餃子のカトリック信仰

中国餃子は中華料理の中でカトリック信仰を示す神聖な食べ物となっている。
何故なら刺激物の多い中華料理の中で中国餃子には薬味が一切使用されず刺激物が排除されているからです。
カトリック信仰の中で刺激物は「穢」と「快楽主義」を指し示している。
中国餃子は中華料理の中でカトリック信仰を示した神聖な食べ物とされている。
そういう意味で日本餃子は中国餃子と違って大量の薬味を餃子餡に練り込んでいる。
それは刺激物を多く持っているためカトリック信仰にとって「穢」と「快楽主義」を露骨に示してしまう。
ここで言えることは「中国餃子」(カトリック)と「日本餃子」(ヤンキー)の違いと言える。
「日本餃子」(ヤンキー)は刺激物を求め「穢」と「快楽主義」に染まってしまうのです。
中国四川料理は「蜀」の食べ物で非常に刺激物が多い。
一方でそういった「穢」と「快楽主義」の多い食文化の中で「中国餃子」(カトリック)は最高に引き立ってしまう。
中国四川料理の示す意味とは刺激的な辛さではなく、その反転術式に拠る「中国餃子」(カトリック)を示していたのではないだろうか?

「蜀」(成都)とは「関帝廟」だったと見做される。
それは「蜀」(成都)とは「関羽雲頂帝」だったことを示している。

この三国志演義の日本語翻訳を私は中学生・高校生の頃に購入した。
NHKで放送されていた「人形劇 三国志」のオープニング・エンディングにこの日本語翻訳がクレジットされていたからです。
「人形劇 三国志」は名古屋市立小幡小学校の同級生でNHK官舎に住んでいた千代木太郎くんが面白いと言っていました。
だから私も観ていました。
彼はいろいろ面白い考えを披露してくれるので楽しかったです。
例えば「歯磨きは夜寝る前だけでいい!」と彼は語りました。
彼に言わせると虫歯は夜寝ている間にできるからだそうです。
全くそうだと思いました。
私は彼に感心してしまいました。
それから私は千葉県に引っ越してきてから三国志演義の日本語翻訳を買おうとして船橋西武のブックセンターへ行きました。
この本は平凡社の中国古典文学シリーズにありました。
それで買って帰りました。
懐かしい思い出です。
因みに下の聖人の絵は「関羽雲長」です。
上の狂気の気狂い面は「劉備玄徳」です。
「月読命とすっぽん」ですね。

関羽(赤兎=王者)

かんう【関羽】
Guan Yu; Kuan Yü
[生] ?
[没] 建安24(219)
中国,⇨三国時代の蜀漢の武将。河東(山西省)の人。字は雲長。⇨劉備に従い,⇨張飛とともにその経営を助けた。かつて⇨曹操に捕えられたが,厚遇された。彼は袁紹の部将顔良を斬って曹操の恩に報いたのち,劉備のもとに帰った。以後常に劉備を助け,その政権の確立のために努力した。劉備が益州を経略したときには荊州(湖北省)を守っていたが,曹操と⇨孫権の両者からはさみ撃ちされ,呉軍に捕えられ殺された。『三国志演義』のなかで劉備の忠臣として活躍するが,事実が潤色されている。特に宋時代(五代のあとの)になると,関羽をまつる関帝廟は武神をまつる武廟の主神となり,関羽の信仰はのち,ますます広まった。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.
関羽(中央)と息子の関平(左).マールブルク大学蔵

せき‐と【赤兎】
全身が赤く、一日千里を走るという名馬。後漢末の武将、呂布(りょふ)が董卓(とうたく)から贈られ、その死後、関羽の乗馬となった。赤兎馬。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

赤兔(赤兎)
[編集]
「赤兔」という言葉について『芸文類聚[1]』では「赤兔」[2]を以下のとおり説明している。

瑞應圖曰 王者恩加耆老 則白兔見 一本曰 王者應事疾則見 赤兔者 王者德茂則見 -祥瑞部下99巻 兔[3]

梁蕭子範七誘曰…大夫曰 逸態之赤兔 駿足之驪駒 龍文重於漢厩 魚目貴於西都 若乃似鹿之體 如龍之姿 以紫縷 繫以青絲-57巻 七[4]

チョントー【成都】〔特別市〕
Chengdu
中国西南地方,スーチョワン(四川)省の省都。スーチョワン盆地西部のチョントー平原にあり,チョントー市区と1市 11県から成る。肥沃な土壌と温和な気候に恵まれて早くから開け,秦代に蜀郡の治所,後漢では益州の治所,三国時代には蜀漢の国都,五代には蜀の国都となっている。明,清では成都府で四川省の省都。絹織物で知られたが,典型的な消費都市であった。人民共和国成立後,重工業区,軽工業区,化学工業区,文化教育区,公園緑地区,商業住宅区に区分され,広い街路が建設された。工業地区には火力発電所のほか,製鉄,精密機械,トラクタ,電機,化学,綿紡織コンビナート,絹織物などの近代的工場がある。文教地区にはスーチョワン大学をはじめとする高等教育機関があり,西南地方の文化センターとなっている。鉄道はパオチョン(宝成)線,チョンクン(成昆)線,チョンユイ(成渝)線が集り,北西方のトーチヤンイエン(都江堰)市にも支線が出ている。チベット(西蔵)自治区へは自動車道が通じる。史跡は数多いが,詩人杜甫の旧居を記念する杜甫草堂,蜀漢の宰相諸葛亮をまつる武侯祠などがある。郊外は灌漑施設の整った農業地域で,水稲を中心にコムギ,サツマイモ,アブラナ,サトウキビ,ワタ,ナンキンマメ,タバコ,アサなどを栽培する。チンタン(金堂)県にはスーチョワン化学肥料工場がある。人口 926万 6548,うち市区人口 297万 423(1990)。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.
チョントーに残る詩人杜甫の旧居沿いの竹並木.中国

杜甫

讀書破萬卷,下筆如有神。

読書どくしょ 万巻ばんかんやぶり、ふでくだせば神有しんあるがごとし。

万巻の書物を読破し筆を執れば、まるで神が手助けしているように見事な詩文を作り上げる。杜甫が自分の少年時代を回想して述べたもの。

とほ【杜甫】
Du Fu
[生] 先天1(712)
[没] 大暦5(770)
中国,盛唐の詩人。襄陽(河南省)の人。字,子美。号,少陵。先祖に晋の学者⇨杜預がおり,祖父は初唐の詩人⇨杜審言。初め科挙に失敗し,江南を遍歴して⇨李白,⇨高適(こうせき)と交わった。やがて長安に出て仕官を望んだがごく低い身分にとどまり,安禄山の乱に際しての忠誠を賞せられて左拾遺を授けられた。しかし翌年華州に左遷され,そこで飢饉にあって官を捨て蜀の成都へ落ちのびた。成都では節度使厳武から検校工部員外郎の官を与えられ,浣花渓のほとりに草堂を構え,やや落ち着いた生活をおくったが,帰郷を志して成都を離れ,揚子江を下って舟旅を続ける途中,長沙付近で舟中に没した。唐代のみならず,中国最大の詩人として李白と並んで「李杜」と称され,詩聖と呼ばれ,また,その詩はそのまますぐれた歴史であるとして「詩史」といわれる。代表作『北征』『三吏三別』『兵車行』など。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.
杜甫(石摺,清時代)

せいとじけん【成都事件】
1936年8月 24日に中国四川省成都で日本人新聞記者が民衆に殺された事件。満州事変以後,成都の日本総領事館は閉鎖されていたが,日本側は再開を決定し,中国側の反対にもかかわらず領事一行の派遣を強行,先行の記者が遭難した。中国側は犯人をすぐに処刑したが,日本側はこの事件に限定せず,華北防共協定の締結,中国政府,軍の日本人顧問の受入れ,日華関税協定の締結と税率の引下げ,華北における日本に有利な特殊制度の設定,反日朝鮮人の引渡しなど諸懸案を一括解決しようと迫った。国民政府は顧問の受入れ,防共協定,関税率などについての要求を受諾する方針を示し,9月から南京で張群外交部長と川越茂大使の間で日中会談が始ったが,11月に⇨綏遠事件が起った結果,中国側が硬化したので,会談は打切られ 12月に成都事件は分離解決された。この南京会談は,日中戦争勃発前の最後の日中外交交渉といわれる。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

すいえんじけん【綏遠事件】
中国では綏東戦争ともいう。 1936年中国綏遠省(現内モンゴル)東部で起った,日本の関東軍指導下の内モンゴル軍と国民政府軍との武力衝突事件。 1930年代に入って高まった内モンゴルの自治運動は,満州国の成立(1932.3.1.)に刺激され,34年4月百霊廟には⇨徳王を中心とする内蒙古政務委員会(蒙政会)が成立し,国府は同委員会に内モンゴル一帯を範囲とする自治権を与えた。 36年1月徳王は,かねてから内モンゴルの軍事戦略的価値に着目していた日本軍の指導のもとに,察哈爾(チャハル)盟を結成するにいたったため国府と対立し,その結果,蒙政会は徳王を中心とする内モンゴル軍政府と国府系の綏遠省蒙政会に分裂し,両者間には小ぜりあいが続いた。同年 11月中旬,日本の関東軍飛行隊の支援のもとに進撃した内モンゴル軍は,傅作義の綏遠軍と衝突したが,同月下旬百霊廟を占領され敗北した。蒋介石も 10月下旬,二十数万の中央軍を北上させ,綏遠軍支援態勢を整えた。 12月百霊廟を奪還しようとした内モンゴル軍は綏遠軍に壊滅的打撃を受け,敗退した。一方,全国各界救国連合会,全国学生救国連合会の指導のもとに広範な援綏運動が展開され,11月以来上海,青島,天津などで労働者のストライキが相次いだ。こうして綏遠事件は,抗日運動を高揚させることになり,西安事件(36.12.12.)を経て,半年後の日中戦争勃発の伏線となった。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

とくおう【徳王】
De Wang
[生] 1902. シリーンゴル,スニト
[没] 1966
内モンゴルの政治家。徳王は漢語名。本名デムチュクドンロブ Demchukdongrob(徳穆楚克棟魯布)。 1919年スニト旗の旗長となりジャサク親王を襲名。 29年察哈爾(チャハル)省政府委員,モンゴル地方政府委員会秘書長。満州事変後,日本軍部に接近,内モンゴルの高度自治獲得を画策。 34年国民政府の監政下にモンゴル地方政務委員会を設立し,秘書長に就任。 36~37年関東軍と国民政府の間にあってモンゴル自治を推進。日中戦争勃発後,37年 10月日本に協力してモンゴル連盟自治政府を設立,38年主席。第2次世界大戦後,重慶で蒋介石と和解し,反共運動に従事したが,52年人民共和国政府により北京へ送還され服役,63年特赦により釈放され,その後内モンゴル人民委員会参事に就任した。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

私は「三国志演義」の日本語翻訳を購入し読んでみたがこの歴史小説で「中国餃子」(カトリック)を示す登場人物は「関羽雲長」だけだった。
他の主要な登場人物である「劉備玄徳」や「張飛」「諸葛亮孔明」「曹操」は須らく刺激物を求め「穢」と「快楽主義」を持った「日本餃子」(ヤンキー)を示していた。
「三国志演義」が示す最重要のイマーゴ(神の似姿)とは「関羽雲長」の「中国餃子」(カトリック)であると断定できる。
それは「中国餃子」(カトリック)の価値の大きさを示している。
中国に於いて「関羽雲長」は「信仰」の対象であり「神」ともされている。

TBSアナウンサー名鑑を拝見しました。
ここに大変興味深い事実が明記されている。
何故ならTBSアナウンサーを示す「カトリックコミック」の「青春漫画の王道」のあり方がよく理解できるからです。
ここで驚愕する事実の一つに男性TBSアナウンサーの自己PRが不真面目なところである。
あまり男性TBSアナウンサーは真面目に自己PRを書いていない。
私は彼らもTBSアナウンサーとして「中国餃子」(カトリック)を明確に示すべきと考える。
今後、男性TBSアナウンサーの自己PRの改善を希望します。
一方で女性TBSアナウンサーの自己PRは非常によく書かれている。
彼女らのキャラクターが非常に良く理解される。
その全てに「中国餃子」(カトリック)が明確に示されている。
女性TBSアナウンサーは極めて優秀だと思った。

では私が注目していた南後杏子TBSアナウンサーと御手洗菜々TBSアナウンサーについて興味深い事実を記したい。
彼女らの自己PRを読んでいると対象的なあり方が判明していた。

では南後杏子TBSアナウンサーについて指摘したい。
彼女は小説とエッセーを愛好しコミックを読んだことすら無い清純派とされていた。
そして愛好する食べ物は「薬味」とされていた。
又、コシの強い蕎麦も好きらしい。
しかしここに私は嫌な予感を禁じ得ないのです。
「薬味」は刺激物であり「穢」と「快楽主義」を示している。
しかし彼女は清純派の箱入り娘のお嬢さんのように自己を主張している。
しかしこれは明らかに矛盾した表現である。
これでは刺激が大好きな清純派でコシの強いアダルトビデオ女優のようである。

最近私はインターネットでアダルトビデオの無料サンプル動画を視聴しています。
私はモテない独身生活が長かったためすっかり堕落してしまいました。
ただ私はアダルトビデオを観るようになって現実のことを少し勉強できたような気がします。
多くの現代小説家の描くセックスシーンを読んでいるとそれがアダルトビデオと同程度の代物であることを知ることになりました。
例を挙げれば村上春樹や村上龍、綿矢りさ、川上未映子が得意になって描いたセックスシーンの多くはアダルトビデオから来ていました。
ネタバレでした。
君たち・・・こんなところから来てたの?
馬鹿みたいだよ!
私はアダルトビデオを観る様になって彼らの小説の底の浅さを知ってしまいました。
又、人気芸人とんねるずが得意とした嫌らしさを絶妙に感じさせていくキレキレトークは何とも言えない若者感覚であってそれを凄い才能みたいに感じさせていました。
その正体が何だか私にはずっと解らなかったのです。
でも最近、私はモテない期間が長くすっかり堕落してアダルトビデオの無料サンプル動画を視聴する様になったことでその馬鹿さ加減を知ることになりました。
そのことによってとんねるずの正体が解ってしまいました。
彼らは只のアダルトビデオ感覚をテレビ出演でやって見せていただけの無能コンビだと知ってしまったのです。
テレビでとんねるずの番組を観ていた自分の人生の不毛を感じました。
君たちこんなの・・・?

アダルトビデオの無料サンプル動画を視聴しているとこのようなキャッチフレーズを多く見かけます。

「私は男性経験が少ない。何故なら親に厳しく育てられた。ただ私は親や社会に決められたレールではなく自分で決めたレールを踏み出したい。私は自分の殻を破るために新しい刺激的な経験を求めアダルトビデオ業界へ飛び込みました。ちょっと不安だけど本当の私の姿をみんなに観てほしいのです。」

アダルトビデオ女優のデビュー作にはこのようなキャッチフレーズが多いのです。
それは結局、刺激を求めたコシの強い若い女性が意を決してアダルトビデオ業界へ飛び込みアダルトビデオ男優という性豪と男性経験を積み重ね健康的に成長していくという変な美談として描かれていました。
結局は頭は馬鹿だけど肉体的には男性経験を積んで一端の大人の女性に成長したと言いたいらしい。
ただここで言えることはそこに「イクトゥス」(fish)はあり得ず、「中国餃子」(カトリック)は無かった。
そのアダルトビデオのご都合主義に「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)がある訳がなかった。

ただ私はモテなかった人生を鑑みてアダルトビデオ視聴へ堕落してしまいました。
しかし私はアダルトビデオ業界の底の浅さにすっかり覚めてしまいました。
ただ私は男性には全く興味がないので女性の体にはもちろん興味はあります。
しかし私はアダルトビデオを視聴してみて気に入った素敵なアダルトビデオ女優(石川澪)がアダルトビデオ男優と愛のないセックスシーンを演じているシーンに彼女の不感症を見てしまいました。
彼女は只アダルトビデオに於いて大袈裟に自らの官能を表現しているだけだったのです。
その人はただ嫌な仕事だけどセックスワーカーだから仕方なくアダルトビデオ男優に犯されているだけの様に見えました。
彼女は嫌な仕事を喜んだ様にやらなければいけないセックスワーカーだったのです。
私が疑問を感じた一点に彼女の愛の無い股のユルサです。
私は女性経験が未熟なため彼女の愛の無い股のユルサの理由がよく解りません。
ただ彼女は明らかに嫌な仕事を熟していくセックスワーカーとして玄人の男優から素人のファンからもその彼女の愛の無い股のユルさに挿入を許して行くのです。
ただ私はそんなことがあり得るのどうかと違和感を覚えました。
酷い会社に就職して嫌な仕事をさせられてうんざりしているのにそれが彼女にとって幸せなわけがなかった。
これは彼女にとってなんの喜びもないセックスワーキングに見えます。
では何故彼女の股はユルイのだろうか?
疑問に思いました。
もしかしたら「薬剤投与」によって彼女の股はユルクされ誰とでもヤる女にされているのかもしれません。
だからアダルトビデオ業界には医師免許を持った医療関係者が関与しそういったセックスワーキング用の「薬剤投与」の処方箋を作成している疑いがある。
そして弁護士などの法律関係者もこういった人権無視に対する法律を「笊法」にすることでアダルトビデオ業界と癒着していると考えられる。
私は常々橋下徹弁護士がアダルトビデオ業界を擁護する姿勢に疑問を持っていました。
彼ら弁護士もアダルトビデオ業界と癒着しポケットマネーを獲得していると考えられる。
これこそ過酷なアダルトビデオ業界におけるセックスワーキングの実態なのかもしれません。

ただ私はアダルトビデオ業界の底の浅さを見てしまった。
私はこれからこのモテない人生をどの様に生きていって良いのか考えてしまい途方に暮れてしまいました。
全く女に縁が無さそうです。
嫌な人生になってしまった。

最近素敵な人を見付けました。
無理かもしれないけど何かあればいいなと思います。
昔、知り合った素敵な人とは全く連絡が取れません。
もう無理だなと感じています。
でもアダルトビデオ業界がこんなものだと知ったことは人生に於いて理解できない謎を解くキーの一つになったような気がします。
私はアダルトビデオ業界に「月読命とすっぽん」を見たのでした。

これは「中国餃子」(カトリック)と「日本餃子」(ヤンキー)のあり方に似ています。
ここに於いて南後杏子TBSアナウンサーは自己をセックスシンボルとしてアピールしていたに過ぎない。
あまり彼女の品性は良くないかも知れない。
何故なら彼女はセックスワーカーだからです。

一方で御手洗菜々TBSアナウンサーは特にコミックを毛嫌う様子はなく宝塚歌劇団を愛する多感は少女であったらしい。
そしてここが南後杏子TBSアナウンサーと大きな違いであるが愛好する食べ物は「白ご飯」であると示されていた。
彼女は「白ご飯」だけを美味しそうに平らげてしまうらしい。
彼女は「白ご飯」が大好きらしいのです。
よくテレビ番組の食レポで「オカズがあれば白ご飯はいくらでも食べられる。」と発言するシーンがあるがそれと全く違っている。
要は彼女は「白ご飯」を一切穢さず美味しそうに平らげてしまうのだ。
これは完全な「中国餃子」(カトリック)を示している。
御手洗菜々TBSアナウンサーは「白ご飯」によって「穢」と「快楽主義」を完全に排除している。
彼女には「禊」があるのです。
素晴らしいです。

ここで判断されるように御手洗菜々さんは「中国餃子」(カトリック)であり、南後杏子さんは「日本餃子」(ヤンキー)であるだろう。

また日中国交正常化を実現した田中角栄も「中国餃子」(カトリック)であるだろう。
頭が良いのだろうね!
林芳正はジョン・レノンの「イマジン」を愛好する「中国餃子」(カトリック)であると思われる。
今回の自由民主党総裁選は林芳正が勝利することが日本国にとって最善だろうと私は思っている。
何故ならば林芳正には「関羽雲長」の「信仰」を感じるからです。
それは「中国餃子」(カトリック)のことを示しています。

御手洗菜々さんと南後杏子さんでは御手洗菜々さんの方が圧倒的に優秀でしょう。
南後杏子さんが示すものは単なるセックスシンボルのアピールであって刺激(「穢」と「快楽主義」)はありますが魔魅でしかありません。

フジテレビの「キャンパスナイトフジ」がお似合いだったのではないでしょうか?

祝・早田ひな選手のパリオリンピックメダル獲得

又、卓球の早田ひな選手を僕は大変気に入っていました。
東京オリンピックで補欠となり折角のパリオリンピック出場では腕に怪我をしてしまいました。
腕の痙攣らしいです。
折角日本のエースとなって挑んだ晴れ舞台で無冠で終わってしまいそうになり私は大変心配していました。
私はとても彼女を案じていた。
そして僕は早田ひな選手はとても応援していた。
はっきり言って早田ひな選手は見掛けも綺麗だし人気選手であることは明らかな人であった。
このパリオリンピック大会で彼女は2つのメダルを獲得した。
ただパリオリンピック大会終了時の彼女の発言が物議を醸した。
それは以下による幾つかの発言だった。

  1. 「金メダルを目指していたので、まだまだやらないといけないことがあるし、まだ甘いなと思った」

  2. 「この4年間自分と向き合って心、技、体、全てで究極に持っていけるよう挑戦していきたい」

  3. 「アンパンマンミュージアムに行きたいのと、鹿児島(知覧)の特攻平和会館に行って、自分が生きているのと卓球ができているのが当たり前じゃないことを感じたい」

ここで物議を醸した早田ひな選手の発言は「アンパンマンミュージアム」と「特攻平和会館」の二つの日本の特異な部分に関する指摘だった。
では早田ひな選手はこの「アンパンマンミュージアム」と「特攻平和会館」が示す日本の特異性によって「公共」の場で何を訴えたのだろうか?

要はこれは「公共」の中で「信仰」を問われた彼女が「信仰告白」として行った発言だった。
ここで見られる日本の特異なあり方は「アンパンマン」と「特攻隊」だった。
「アンパンマン」と「特攻隊」は完全に日本が形成した「俗ラテン語」だった。
しかし早田ひな選手は自らの「信仰告白」のためにこの「俗ラテン語」を「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)として「公共」の場へ示して見せたのです。
要はここで彼女が指摘したことは「ミュージアム」であり「平和会館」だったのです。
「ミュージアム」と「平和会館」は「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)を示しているのです。
だから「アンパンマンミュージアム」と「特攻平和会館」は「俗ラテン語」を「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)として示したあり方と言えます。
このように早田ひな選手は「俗ラテン語」と「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の違いを指摘することで最強の「イクトゥス」(fish)を「公共」の場で示して見せました。
やはり僕は早田ひな選手のファンになって良かったとつくづく思いました。
彼女のパリオリンピック大会は「獺祭だっさい」となったのです。
彼女の「イクトゥス」(fish)はキリスト教の信仰告白として綺麗に輝いていました。
貴方は美しかった。

このように実際のアメリカに於ける大谷翔平の真の評価を知ることは容易いです。
日本のマスメディアの宣伝部隊は相撲の力士のインタヴュー発言と同程度であり単純思考の定型的なカンバセーションでした。
このような相撲の力士の発言または指原莉乃の発言は「肉体労働者」(感性界)が得意とする浴衣の着こなしと同程度の「肉体感覚」でしかなく、早田ひな選手の指摘した最強の「イクトゥス」(fish)とは比較にならないものでした。
彼らは「どうしようもない大俗物」です。

「泥鰌掬い」は「笊試験ザルシケン」である。

はじめに、医学部の試験を「俗ラテン語」によって合格することはできない。
何故なら「医学」とは「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)を示しているからです。
だから本来は医師免許を取得すれば「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)を解する能力を持っていると見做される。
「ヒポクラテスの誓い」は「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の理解力を示している。

しかし実際に医師免許を取得した医師全てに「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の能力を期待することは無理だった。
医師免許試験に合格した医師にはかなりの「劣等者」が存在し「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)には文盲であり「俗ラテン語」しか理解できないのです。
「俗ラテン語」とは「スマートレイヤー」ではなく人の頭の悪さを示している。
それは医師免許試験に合格した医師であっても「医学」が理解できないことを示している。
医師には「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の能力が必要であって「ヒポクラテスの誓い」はそれを象徴している。

先ず「医師免許試験」が「笊試験ザルシケン」である可能性を感じます。

○笊で水汲む
いくら努力しても効果のないことのたとえ。「笊に水」「籠(かご)で水汲む」とも。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

ざる‐そば【笊蕎麦】
笊や簀(す)の子に盛ったそば。盛蕎麦と区別して、明治以後、上に焼海苔を細かくしてかける。ざる。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

ざる‐ご【笊碁】
(笊造りの碁笥(ごけ)に土製の白石・黒石を用いることから、また、笊の目のあらいようにあらい碁という意から)囲碁のへたなこと。また、その人。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

ざる‐みみ【笊耳】
(笊は目があらくて水などがもるからいう)聞いたことを忘れやすいこと。また、そのような人。かごみみ。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

ざる‐ころがし【笊転がし】
関東地方で、出棺直後、棺を置いてあった所から土間まで笊を転がし、その跡を箒で掃くこと。笊の目の威力で死霊を退散させるという。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

ざる‐ほう【笊法】 ‥ハフ
ざるの目のように粗くて、抜け道の多い不備な法律。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

い‐かき【笊籬】
竹で編んだ籠(かご)。ざる。物類称呼「畿内及奥州にて、—、江戸にて、ざる」

『広辞苑 第六版』 岩波書店

泥鰌掬い(笊試験ザルシケン)は「俗ラテン語」を示している。
泥と水の違いが大きい。
鯰はアマゾン川に生息し、泥鰌は泥に生息している。

アマゾンぞく【アマゾン族】
Amazōn
ギリシア神話中の伝説的女人族。好戦的で女子だけで国をなし,男子は隣国へ送るか皆殺しにした。種を得るために一定の季節に他国の男に会ったという。女子は幼児の頃に弓や槍を扱いやすいように右の乳を切取ったので「乳なし族」の名をもつ。アレスとハルモニアの子孫といい,カフカズかスキタイのあたりに住むと考えられた。⇨ヘラクレスは,彼の 12の仕事の一つを達成するために,アマゾン族の女王ヒッポリュテを殺し,その腰帯を取った。また,アテネ王⇨テセウスはアマゾンに遠征し,女王アンチオペを奪った。仕返しに,アマゾン族がアッチカに攻めてきたが激しい戦いののち,テセウスが勝利を得た。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.
アマゾン族.フェイディアス作品(前440頃)模刻,ローマ時代,バチカン美術館蔵

泥鰌掬い(笊試験ザルシケン)とはアマゾン川に生息する「鯰」(ティベリアの海での顕現)と泥に生息する「泥鰌」(笊)の違いを示している。
「笊」でいくら掬っても「泥鰌」しか得られない。
泥鰌は「俗ラテン語」を示し「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)への「文盲」を意味する。
そこには「イクトゥス」(fish)がないのです。

引き網の譬とその解釈(マタイ 13:45-52)
さらに、天の王国は海に投げ入れられ、あらゆる種類〔の魚〕をかき集める引き網と同じである。それが一杯になると、〔人々は〕海岸に引き上げ、〔地面に〕座って良いものを器の中に集め、駄目なものを外へ投げ捨てた。 この世の終りにも、そのようになるであろう。御使いたちがやって来て、義人たちのただ中から悪しき者たちを選び分け、そして彼らを火の炉に投げ入れるで あろう。そこでは嘆きと歯ぎしりとがあるであろう。

岩波書店「マタイによる福音書」

トマスの反応(20:24-25)
十二人の一人、ディデュモスと呼ばれるトマスは、イエスが来た時、彼らと一緒にいなかった。それで、ほかの弟子たちが彼に「俺たちは主を見たぞ」と言うと、彼は彼らに言った、「俺は、彼の両手に釘の跡を見て、自分の指をその釘跡の中に突っ込み、俺のこの手を彼のわき腹の中に突っ込んででもみない限り、絶対に 信じたりはしない」。

トマスを含む十一人の弟子たちへの顕現(20:26-29)
八日の後のことだった。この時も弟子たちは中にいて、トマスも彼らと一緒だ った。戸は〔すべて〕閉じられていたのに、イエスが来て真ん中に立ち、そして言っ た、「あなたがたに平和」。それから、トマスに言う、「あなたの指をここに持って来なさい。私の両手を見なさい。あなたの手を持って来て、私のわき腹の中に突 っ込んでみなさい。信じないままでいるのでなく、信じるものになりなさい」。 トマスは答えて、彼に言った、「私の主よ、私の抻よ」。イエスか彼に言う、「私 を見たから信じるようになったのか。見たことがないのに信じている人々は幸いだ」。

結び(20:30-31)
さて、この書には記されていない徴を、イエスは「自分の」弟子たちの前でほかにも数多く行なった。以上のことが書き記されているのは、あなたがたが、イエスが神の子キリストであることを信じる「ようになる」ためであり、信じていることにより、その名のうちにあって命を持ち続けるためである。

岩波書店「ヨハネによる福音書」

ティベリアの海での顕現(21:1-14)
これらのことの後、ティベリアの海で、イエスは再び弟子たちに自らを顕した。次のように顕したのである。シモン・ペトロと、ディデュモス と呼ばれるトマス、およびガリラヤのカナの出のナタナエル、そしてゼベダイの息子たち、それに彼の弟子たちのうちのもう二人が一緒にいた。シモン・ペトロが彼らに「俺は漁に往く」と言うと、彼らは「俺たちもお前と行く」という。彼らは出かけて行って舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何も捕れなかった。すでに早朝になっていた時のことであるが、イエスが岸辺に立った。しかし弟子たちには、それがイエスだとわからなかった。さてイエスが彼らに言う、「幼子たちよ、パンと一緒に食べるさかながないのだろう」。彼らは「ええ」と彼に答えた。彼が彼らに言った、「網を舟の右舷に打ちなさい。そうすれば見つかるだろう」。そこ で、打ってみた。すると魚が多くて、もうそれを引き上げることができなかった。 すると、イエスの愛していたあの弟子がぺトロに言う、「主だ」。シモン・ペトロは主だと聞くと、裸だったので外套を着込み、そして海に飛び込んだ。他の弟子たちは、岸から遠くはなく、二百ペーキュスばかりの距離だったので、魚の〔かかった〕網を引きながら小舟で〔岸へ〕来た。彼らが岸に上がると、炭火があって、その上に炭火があって、その上にさかなとパンがあるのが目に入る。イエスが彼らに言う。「今捕ったさかなの中から〔数匹を〕持って来なさい」。そこで、シモン・ペトロが〔舟に〕乗り、網を岸に引き上げた。〔網は〕百五十一二匹の大きな魚で一杯であった。それほどであったのに、網は裂けてはいなかった。イエスが彼らに言う、「さあ、朝食にしなさい」。弟子たちのうちの誰も、「あなたは誰ですか」とあえて質問することはしなかった。主だとわかっていたからである。イエスが来てパンを取り、彼らに与える。また、さかなも同じように〔する〕。これですでに三度囗、イエスは死人の中から起こされて弟子たちに顕れた。

岩波書店「ヨハネによる福音書」

例を挙げればフジサンケイグループは泥に生息する「泥鰌」であり、毎日新聞グループはアマゾン川に生息する「鯰」と言えるだろう。

ナマズの妖怪。
願人坊主の装束をつけた鯰が、地震にまつわるちょぼくれ節をうたっている。
鯰の脇には閻魔の子と地蔵の子がおり、地蔵の子は竹と錫杖で竹馬遊びをしている。

ナマズの伝承
[編集]
ナマズにまつわる伝承が日本各地で知られている。琵琶湖の竹生島にある都久夫須麻神社(竹生島神社)には、ナマズが龍に変身して(あるいは龍から大鯰となって)島と神社を守護するという縁起(言い伝え)が古くからある[22]。島の守り神であるナマズを安易に捕ることは許されないという当時の考えにより、同じく竹生島にある宝厳寺神仏習合の思想に基づき、明治時代以前は竹生島神社と一体であった)から湖岸の村役に対し毎年「鯰免状」が与えられ、ナマズを食用とすることを許可されていた。免状の発行そのものは例祭的な意味合いが強く、漁業権との実際的な関わりは薄かったとみられている。

中国地方では、ナマズギツネという老いたナマズが、夜に小川で魚が昇ってくるような音をたて、人が音に近づくたびに上流へ上流へと逃げて行くという[35]。また群馬県前橋市の清水川にはオトボウナマズという主が住んでおり、「おとぼう、おとぼう」と言いながら釣り人を追いかけるという説話がある[36]

九州でも、ナマズが神格化されている地方がある。熊本県阿蘇市に総本社をおく阿蘇神社の氏子はナマズを神の使いとして信仰し、捕獲・食用はタブーとされている[37]。また、佐賀県では淀姫神社の使いとされ、ナマズを食べると病気になるとして食用にしない風習がある[38]

Loaches are fish of the superfamily Cobitoidea. They are freshwater, benthic (bottom-dwelling) fish found in rivers and creeks throughout Eurasia and northern Africa.[2] Loaches are among the most diverse groups of fish; the 1249 known species of Cobitoidea comprise about 107 genera divided among 9 families.[3][4]

Cobitoidea
インドネシア語辞書
小人(コビト),敗北主義者,(蔑視的な表現として)日本人
bangsa kerdil

Cobitidae, also known as the true loaches, is a family of Old World freshwater fish. They occur throughout Eurasia and in Morocco, and inhabit riverine ecosystems. Today, most "loaches" are placed in other families (see below). The family includes about 260 described species. New species are being described regularly.[2][3][4]

アマゾン川に生息する「鯰」は「イクトゥス」(fish)を持っている。
アマゾン川に生息する「鯰」は「引き網の譬」(ティベリアの海での顕現)で捕獲できる。
アマゾン川の奥地で巨大な「鯰」は「引き網の譬」(ティベリアの海での顕現)で捕獲される。

例を挙げれば元毎日新聞の鳥越俊太郎である。
しかし彼は「泥鰌掬い」(笊試験ザルシケン)に似ている。

笊魚(魚掬い)では「スマートレイアー」を判別できない。
お祭りの「金魚掬い」は「スマートレイアー」ではなく「泥鰌掬い」(笊試験ザルシケン)と同じだと言える。
「引き網の譬」(ティベリアの海での顕現)はイエス・キリストの奇跡を示している。
だから「引き網の譬」(ティベリアの海での顕現)は「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の「イクトゥス」(fish)を示している。

一般にTBSや東京大学は「スマートレイアー」とされている。
アマゾン川に生息する「鯰」の捕獲に「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の「イクトゥス」(fish)は存在する。
それは「引き網の譬」(ティベリアの海での顕現)を示していた。

それに対して泥鰌掬い(笊試験ザルシケン)が「俗ラテン語」とされている。

TBS入社試験と東京大学入試は「スマートレイアー」を判別すると一般に言われている。
実際にそれらは「スマートレイアー」として社会的信用を持っている。
国家公務員試験や医師免許試験も同様である。
一級建築士試験も同様であるだろう。(私は二級建築士資格を持っている。)
しかしそれも泥鰌掬い(笊試験ザルシケン)と言える。
何故なら「俗ラテン語」であるからです。

「スマートレイヤー」を得るには「引き網の譬」(ティベリアの海での顕現)で捕獲する必要がある。
それが「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の「イクトゥス」(fish)を指し示している。

ではどうやって真の「スマートレイアー」を判別するのだろうか?

それは「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の「イクトゥス」(fish)を持つことを確認することである。

人を試す試験とは「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の「イクトゥス」(fish)を確認することを意味する。

試験に於いて
「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の「イクトゥス」(fish)を示せ!
これこそが「聖試験」である。
そしてこれを合格した者には最高の「祝福」が齎される。

TBS入社試験と東京大学入試には「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の「イクトゥス」(fish)を見る傾向があったかも知れない。
しかし「コネクションも実力の内」だとされた昨今の感覚では「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の「イクトゥス」(fish)を見るより「親族」や「後援者」の関係を見ることが常態化されている。
しかしそれは泥鰌掬い(笊試験ザルシケン)に過ぎない。

そして次期天皇も東大出と言うわけです。
しかし天皇の使命とは「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の「イクトゥス」(fish)を世界と国民へ発信することである。
東大出の天皇なんて噴飯物だよ!【バカですか?紀子様(秋篠宮様)!】
東大出の天皇なんて泥鰌掬い(笊試験ザルシケン)ですよ!

アマゾン川に生息する「鯰」は「スマートレイヤー」であり「引き網の譬」(ティベリアの海での顕現)という「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の「イクトゥス」(fish)が存在している。

悠仁親王殿下は泥鰌掬い(笊試験ザルシケン)の天皇陛下である!(ハハー)
同時に泥鰌掬い(笊試験ザルシケン)の眞子様と佳子様にも深々と一礼する。

どじょう‐すくい【泥鰌掬い】 ドヂヤウスクヒ
①ドジョウをすくって捕らえること。
②安来節(やすぎぶし)の唄に合わせてドジョウをすくうまねをする踊り。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

「聖試験」によって真の「スマートレイアー」が判別され最高善信仰は齎される。

敬宮愛子内親王は「赤十字」へ就職し「信仰生活」を表明したことで「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の「イクトゥス」(fish)を「公共」の場へ示したと言える。

アマゾン川の鯰(ティベリアの海での顕現)の天皇陛下と泥鰌掬い(笊試験ザルシケン)の天皇陛下では雲泥の差がある。

又、「医師免許試験」や「国家公務員試験」などは不正に操作されている疑いがあります。
何故なら「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の能力がなく「俗ラテン語」しか理解できないのに「合格者」が存在するからです。
それは「重要試験」にとって致命的な欠陥となっています。

簡単に説明すると「俗ラテン語」は「呪詛」のあり方です。
そして「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)は「学」として成立します。
では「呪術」とはなんでしょうか?

「呪術」は「ホワイト・マジック・オーケストラ」と「ブラック・マジック・オーケストラ」の2つに大別されます。

「ホワイト・マジック・オーケストラ」は「学」を根拠とした「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)の能力であり、「ブラック・マジック・オーケストラ」とは「呪詛」を偽言語(見せかけの言語)として形成した「俗ラテン語」のあり方なのです。
「俗ラテン語」は「呪詛」に関する「循環論証」のことを指しています。

循環論証
論理上の虚偽の一つ。
Aの事柄を論証するための論拠として用いられるBの事柄が、Aを論拠としていなければ論証できないという場合をいう。
例えば〈神は存在するということは聖書に書いてある。しかるに聖書は神の言葉である。ゆえに神は存在する〉という類の論証。

『岩波哲学小辞典』 岩波書店

千葉大学附属病院精神神経科グループワークの「ちゃんこ鍋」

私は千葉大学附属病院精神神経科グループワーク活動に於いて「料理」を調理するイベントを何度か行った。
その頃のグループワークは実質的に患者である私が主導していたため活動が活発であった。
色んなところに「お出かけイベント」があったり、「映画」もみんなで何作も観にいった。
「成田山新勝寺」にもみんなで初詣に何度も行ったし、「ジブリ美術館」へも行った。
「ジブリ美術館」も私が提案し「ローソンのチケット」も7人分私が購入してみんなに渡した。
「ジブリ美術館」はJR千葉駅からJR三鷹駅まで乗換なしで行けるから遠いけど大丈夫だと言ってみんなを説得し実現した。
他にも色んなところに出掛けたと思う。
「成田ゆめ牧場」へ行き、「マザー牧場」へも羊を見に行き、「養老渓谷」でハイキングもしたな。
千葉県の「城址」へ紅葉を観に行き、「浅草」へも出掛けた。
「葛西臨海公園」でペンギンがイナバウワーしているところを見学し、「水族館」ではイルカショーをみんなで観た。
私がホストを務めた「鎌ケ谷市の梨狩り」もあった。
私が地元民だったので梨狩りできる梨園を選定した。
神田神保町の古本屋街をみんなで散策したこともあった。
ここではカレーのメッカの有名店へみんなで行った。
そこは家庭的なカレー屋さんだった。
古本屋街を提案したのも私だった。
「Qiball」のプラネタリウムを一緒に鑑賞したり、「青葉の森」でバトミントンなどのスポーツをみんなでしたな。

「千葉大学医学部」の学生達が使用する「大学の体育館」の使用許可を貰いグループワークのみんなでバスケットボールやバトミントン、卓球をやって楽しく過ごしたな。
兎に角私はグループワークのアイデアマン的役割をして活動を主導していた。
クリスマス会ではみんなでゲームをしてクリスマスケーキを美味しく食べた。
兎に角夢のような日々だった。
春は「青葉の森」で花見をして、秋は「稲毛海浜公園」でバーベキューをした。
そして愛する心理士の女性もいたため私にとって「理想郷」の実現の場となっていた。
だたグループワークは3年間を過ぎれば卒業となる。
私は例外的に3年半在籍しグループワークで楽しく活動していた。
その経験が私の病状を改善していたのです。

しかしこれ以降このグループワークは病院関係者などから目を付けられ掃討されてしまいました。
露骨に私の影響力は排除されてしまいました。
完全にグループワークは変質してしまいました。
昔のメンバーとはかつてのグループワークを懐かしむ話をよくしていました。
多分グループワーク主任心理士が変わりその心理士が医師達と通じていたために患者を裏切ったのだと感じていました。
グループワークは医療関係者が国立大学医学部出身のエリートであり患者はその下の劣等者でしかないという意識をはっきり示すようになりました。
ここに於いて完全に医療関係者によるレイシズムが主導されてしまいました。
私の理想は終わってしまった。

グループワークの「料理イベント」の中で「お好み焼き」や「パスタ」「長崎ちゃんぽん」「餃子」そして「ちゃんこ鍋」など数多くの料理レシピの材料を患者の各メンバーで持ち寄って楽しく調理していました。
この「料理」はグループワークに於いて比較的人気イベントだった。
私は二度も「塩ちゃんこ」を提案しみんなで調理して楽しく食べました。
相撲の力士は「肉体労働者」(感性界)とされ、昨今では炭水化物を馬鹿食いする破廉恥映像がテレビなどで盛んに流されている。
あのような映像に私は相撲の力士への悪意を感じる。
何故なら確かに相撲の力士は「肉体労働者」(感性界)であるが随所に「頭脳労働者」(叡知界)も垣間見られる。
その代表が「ちゃんこ番」である。
各相撲部屋の「ちゃんこ鍋」は単なる「炭水化物」の摂取ではなくバランスの取れた素晴らしい栄養食である。
私も精神神経科グループワークで私自身が2度も提案し2度実現した「塩ちゃんこ鍋」を調理した経験を持ったため少しは「ちゃんこ鍋」を理解できる。
「ちゃんこ鍋」は「穢」と「快楽主義」というより「中国餃子」(カトリック)に近しいと感じる。
何故ならば「ちゃんこ鍋」には「日本餃子」(ヤンキー)ではなく神聖な信仰を感じるからである。
相撲部屋の「ちゃんこ鍋」は「中国餃子」(カトリック)を示しているのではないだろうか?

中国語由来説
江戸時代初期に中国から長崎に伝来した[注 1]唐音あるいは転訛であるとする説[2][4]。当時、長崎へ巡業した職業力士が大鍋料理を「チャンコ」と称したというもの[4]

中国を指すチャンと、中国語で「鍋」を指すのコ(クオ)が組み合わさったもの。中華鍋の意[50]

座人屋敷の中国人を意味するとの説[2]

早田ひな選手は素晴らしい「頭脳労働者」(叡知界)の人であったのです。
彼女は政治的に「公共」の場で最強の「イクトゥス」(fish)を示しました。
彼女は綺麗なだけじゃなくて頭もいい人です。
僕は大好きで大ファンです。
これからもがんばってください。
決して裏切らない愛を貴方へ(決して覆らない愛を貴方へ)

フレンドより

はんめん‐きょうし【反面教師】‐ケウシ
《中国の毛沢東の言葉から》悪い見本として反省や戒めの材料となる物事。また、そのような人。

『大辞泉 第二版』 小学館

〓反面教師
a person from whose bad example one can learn; a good example of 「what not to do [how not to behave].

『新和英大辞典 電子増補版』 研究社

◗反面教師
a negative exemplum; a person who is an example to young people of what they should not be

『プログレッシブ和英中辞典(第3版)』 小学館

ムジナ」とは「mutation」である。

個人的関係に於いて「mutation」はタブーとされる。
何故なら誠実と真実を持って個人的関係の「絆」(愛)は形成されるからである。
ムジナ」の「mutation」は誠実と真実を一切否定した行いであり「絆」(愛)は決して形成されない。
そして誠実と真実を持って「絆」(愛)は形成される。
そういう意味で「ムジナ」の「mutation」は「絆」(愛)を否定するため「たちが悪い」と言える。
ムジナ」の「mutation」はコンフィデンスマン(信用詐欺)の「私利私欲」のあり方なのです。

mu・ta・tion/mjuːtéɪʃən/〓
4 〖音声〗(ゲルマン諸語の)母音変異(cf. ablaut, umlaut);(ケルト諸語の)語頭子音の変化.

この指摘のよると「mutation」が「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)となることは絶対にあり得ないと言える。
そういう意味で「mutation」は「俗ラテン語」の極みであり「どうしようもない大俗物」を指し示している。

mu・ta・tion/mjuːtéɪʃən/〓

1 変化, 変形(change);(人生などの)盛衰, 浮沈.
2 〖生物〗突然変異(種)(mutant).
3 〖生物〗染色体変異により生じた肉体的特徴.
4 〖音声〗(ゲルマン諸語の)母音変異(cf. ablaut, umlaut);(ケルト諸語の)語頭子音の変化.
mutation stop/––/
〖音楽〗(オルガンの)ミューテーションストップ.
〓mu・ta・tion・al/―ʃənḷ/〓
〓mu・ta・tion・al・ly〓

『ジーニアス英和大辞典 用例プラス』 大修館書店

カトリック信仰者は「神の味方」である。
一方で「神の敵」は「ムジナ」の「mutation」と言える。
何故ならば「神の敵」はキリスト者の誠実と真実を「印象操作」によって偽り生きている。
ムジナ」とは「印象操作」を意味している。
そのような「神の敵」はアンチキリストであるのです。

スケープゴート
scapegoat
いけにえの山羊(やぎ)の意。出典は旧約聖書『レビ記』。⇨贖罪(しょくざい)のためやぎに罪を背負わせて野に放ったという故事からこの言葉が生れた。転じて,現在では民衆の不満や怒りの解決のために,代りに攻撃の標的とされてしまう者,集団,国,民族などのことをいう。ナチスが民衆の不満をユダヤ人への憎悪攻撃に転嫁,解消したのはこの典型的事例である。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

はんさい【燔祭】
holocaust
旧約聖書『レビ記』でモーセが定めた供犠の1つ。供物を必要とし,雄牛,羊,やぎ,はと(この場合は,雄,雌を問わない)のみが用いられた。その目的は神の崇敬と賛美,神への感謝,祈願,贖罪の4つに大別され,供物が供壇で焼尽され,神のみに捧げられ,供犠中最も高貴なものとされた。⇨ホロコーストは,転じて第2次世界大戦中のナチスによるユダヤ人大量虐殺をもさす。(→灌祭, ⇨素祭)

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

かんさい【灌祭】
nāsik; drink offering
ユダヤ教の祭儀。神の賛美,神への感謝,祈願,贖罪の目的でぶどう酒または水を祭壇に捧げる。(→素祭, ⇨燔祭)

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

そさい【素祭】
minhāh
ユダヤ教の用語。贈り物,供物の意。ヘブライ語の動詞 mānan(贈る)に由来。旧約聖書の『民数記』 28章5によれば,毎日朝夕2回,常燔祭とともに祭壇に捧げる食物のことで,麦粉と油を混ぜたもの。捕囚期以後,夕ベの供物を捧げる時間を意味するようになり,『エズラ書』9章4~15では供物の代りに捧げる夕ベの祈り minhāh hā-erebをさすようになった。(→灌祭, ⇨燔祭)

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

○同(おな)じ穴(あな)の狢(むじな)
一見関係がないようでも実は同類・仲間であることのたとえ。多くは悪事を働く者についていう。同じ穴の狸(たぬき)(狐(きつね))。

『大辞泉 第二版』 小学館

○猿(さる)も木から落ちる
木登りがじょうずな猿でも時には誤って落ちる。その道にすぐれた者でも、時には失敗することがあるということのたとえ。弘法にも筆の誤り。上手(じょうず)の手から水が漏れる。

『大辞泉 第二版』 小学館

獺祭の言葉の意味は、獺が捕らえた魚を岸に並べてまるで祭りをするようにみえるところから、詩や文をつくる時多くの参考資料等を広げちらす事をさします。

ムジナ」が俗ラテン語でありアンチキリストである一方で「獺祭だっさい」は魚(イクトゥス)を示している。
かわうそ」は「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)を意味している。

ムジナ」はアンチキリスト(俗ラテン語)であり悪魔(devilfish)を示し、「かわうそ」はキリスト教化を意味する「聖ラテン語化」(Libocedrus decurrens)でありイクトゥス(fish)を示している。

ただ魚(イクトゥス)から「ムジナ」が生まれて行きます。
しかしこのような「ムジナ」はその場の「綺麗事」のあり方に過ぎず魚(イクトゥス)ではないのです。
魚(イクトゥス)とは「獺祭だっさい」でありキリスト教信仰の告白であるからです。
この告白がないなら「ムジナ」のデマゴーグであることが判明し超危険な存在を示す烙印とされます。
獺祭だっさい」とはキリスト教信仰の告白なのです。

映画「天使のいる図書館」

まみ【˟貒・˟猯】
アナグマの別名。また、タヌキをいうこともある。

『大辞泉 第二版』 小学館

映画「天使のいる図書館」の主演を務めた『小芝風花』はマミ(タヌキ)みたいでとても可愛かった。
最高に近い作品だった。

ま‐み【魔魅】
人をたぶらかす魔物。また、邪悪な人のたとえ。「―とは人の虚言(そらごと)とのみ思い居しに」〈露伴・いさなとり〉

『大辞泉 第二版』 小学館

筑摩書房 柳田國男全集5 日本昔話集 狢と猿と獺ムジナとサルとカワウソ

むかしむかし、狢と猿と獺の三人がつれ立って、その弥彦詣りに出かけたことがあるさうです。其途中で三人は拾ひ物をしました。その拾ひ物は蓙が一枚、塩が一叺と豆が一升とでありました。是をどういふ風に分配したらよいか。中々相談が纒まらなかったそうです。其うちに狢は賢いからかう言ひました。猿さんはこの蓙を持って、山の樹の上に登ってひろげて、方々を眺めたらいいぢゃないか。獺さんはこの塩をどこか魚のゐそうな池へ持って行って撒いて、魚を浮かせて捕ったらいいぢゃないか。私は残りの豆を貰って食べようと言ひますと、他の二人はうっかりと賛成してしまひました。猿は喜んで樹の上へ蓙を持って行って、それを敷いて見物をしようとしますと、直ぐにすべってしまって、猿も木から落ちました。さうして足を挫いてしまひました。獺は池を見付けて一叺の塩を打ち込み、其後から水の中に入って見ますと、塩水が眼にしみて真赤に煽れてしまひました。これは飛んだ物を背負ひ込んだ。全体狢がずるいからいけないと、二人で苦情を言ひに狢のうちへ行きまして、其間に狢は一升の豆をちゃんと食ぺてしまって、女房の狢と二人で豆の皮を毛の間へ挟んで呻る真似をしてゐました。私たちも豆を食べたらおできが沢山出来て、苦しい苦しいと言ひました。猿と獺とは又だまされて、それぢゃ御互ひ様だから、仕方がないと言って帰って行ったさうです(越後)。

やひこやま【弥彦山】
⇨新潟県中西部,⇨長岡市と⇨弥彦村の境,日本海側にそびえる山。標高 634m。⇨佐渡弥彦米山国定公園の中心で,山麓には⇨弥彦温泉,⇨岩室温泉,観音寺温泉などの温泉と,⇨越後国一の宮である⇨弥彦神社がある。山頂からの眺望に優れ,1958年ロープウェーが架設され,1970年弥彦山スカイライン,1975年越後七浦シーサイドラインが完成した。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

やひこじんじゃ【弥彦神社】
新潟県中部,弥彦村に鎮座する元国幣中社。祭神アメノカヤノミコト。天長 10(833)年名神祭にあずかった古社で越後国一の宮。 1956年元旦未明に起きた初詣客による雑踏事故(死者 124人)でも知られる。例祭2月2日。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

やひこ【弥彦〔村〕】
⇨新潟県中西部,弥彦山東麓,新潟平野西部にある村。⇨越後国一の宮の弥彦神社の門前町として発展。弥彦神社の灯籠おしと舞楽は重要無形民俗文化財。国民保養温泉地の弥彦温泉があり,ロープウェー,弥彦山スカイラインなどが通る観光地。佐渡弥彦米山国定公園に属する。 JR弥彦線の起点。面積 25.22km²。人口 8545(2005)。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

やひこおんせん【弥彦温泉】
新潟県中西部,弥彦村,弥彦山の南東麓にある温泉。泉質は硫黄泉,食塩泉。泉温は 27℃。 1960年開湯,現在は近くの観音寺温泉より引き湯。国民保養温泉地に指定されている。弥彦神社に近く,弥彦観光の宿泊拠点ともなっている。佐渡弥彦米山国定公園に属する。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

○同(おな)じ穴(あな)の狢(むじな)
一見関係がないようでも実は同類・仲間であることのたとえ。多くは悪事を働く者についていう。同じ穴の狸(たぬき)(狐(きつね))。

『大辞泉 第二版』 小学館

むじな【˟狢・˟貉】
〔穴ぐま〕a badger; 〔たぬき〕a raccoon dog
〓一つ穴のむじな
◾彼らは一つ穴のむじなだ
They are all part of the same gang.

『プログレッシブ和英中辞典(第3版)』 小学館

むじな【狢・貉】
〖動〗 〔アナグマ〕 a badger; 〔タヌキ〕 a raccoon dog.
〓彼らは一つ穴の~だ.
They are all of a gang.
◾あの二人は同じ穴の~だ.
Those two are in cahoots.

『新和英大辞典 電子増補版』 研究社

○猿(さる)も木から落ちる
木登りがじょうずな猿でも時には誤って落ちる。その道にすぐれた者でも、時には失敗することがあるということのたとえ。弘法にも筆の誤り。上手(じょうず)の手から水が漏れる。

『大辞泉 第二版』 小学館

さる【猿】
〓霊長目のうち、ヒト科を除いた哺乳類の総称。原始的な原猿、中南米の広鼻猿、アジア・アフリカの狭鼻猿、類人猿の四つに大別される。ほとんどがオーストラリア以外の熱帯地方にすみ、ニホンザルはその北限の種。日本では、ふつうこれをさす。ましら。
→日本猿

㋐ずるがしこい者や、物まねのじょうずな者などをあざけっていう語。
㋑野暮(やぼ)な人やまぬけな者をあざけっていう語。
〓雨戸などの上下の桟に取り付け、鴨居(かもい)・敷居の穴に差し込んで戸締まりをする用具。
〓自在鉤(じざいかぎ)をつるす竹に取り付けて、自在鉤を上にあげて留めておく器具。
〓小さな紙片の四隅を折って括猿(くくりざる)のような形を作り、中央に穴をあけて凧(たこ)の糸に通し、凧の糸目の所まで上って行かせる仕掛けの玩具。
〓ミカンの実の一袋を髪の毛などでくくって、括猿の形をこしらえる遊び。
〓《浴客の垢(あか)をかく動作を猿が爪(つめ)で物をかくのになぞらえていう》江戸で、湯女(ゆな)のこと。風呂屋者。
〓江戸時代、上方で、岡っ引き・目明かしのこと。
〓心の猿・竪(たて)猿・真(ま)猿・横猿(ざる)赤毛猿・言わ猿・送り猿・尾長猿・尾巻猿・蟹(かに)食猿・瓦(かわら)猿・聞か猿・狐(きつね)猿・括(くくり)猿・蜘蛛(くも)猿・虚仮(こけ)猿・小猿・木の葉猿・米搗(つ)き猿・鹿(しか)猿・千疋(せんびき)猿・台湾猿・手長猿・天狗(てんぐ)猿・日本猿・幟(のぼり)猿・人似(ひとに)猿・日避(ひよけ)猿・豚尾猿・吠(ほえ)猿・見猿・眼鏡猿・山猿・栗鼠(りす)猿
⇀猿(さる)に烏帽子(えぼし)
⇀猿(さる)の尻笑(しりわら)い
⇀猿(さる)の人真似(ひとまね)
⇀猿(さる)も木から落ちる

『大辞泉 第二版』 小学館

だっさいしょおくはいわ【獺祭書屋俳話】
⇨正岡子規の俳句論。 1892年発表。「俳諧といふ名称」以下 29項より成る。子規の俳句革新運動の端緒となった俳論だが,蕉門の俳人論,旧派宗匠の俳諧作法の批判などが中心で,革新への方向はまだ明確化していない。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

だっ‐さい【˟獺祭】
〓《「礼記」月令から》カワウソが自分のとった魚を並べること。人が物を供えて先祖を祭るのに似ているところからいう。獺祭魚。おそまつり。うそまつり。
〓《晩唐の詩人李商隠が、文章を作るのに多数の書物を座の周囲に置いて参照し、自ら「獺祭魚」と号したところから》詩文を作るとき、多くの参考書を周囲に広げておくこと。
⇀だっさい‐き【˟獺祭忌】
⇀だっさい‐ぎょ【˟獺祭魚】

『大辞泉 第二版』 小学館

〓獺祭忌
the anniversary of Masaoka Shiki’s death. ▶9 月 19 日.

『新和英大辞典 電子増補版』 研究社

だっさい‐き【˟獺祭忌】
《子規が獺祭書屋(だっさいしょおく)主人と号したところから》正岡子規の忌日。9月19日。《季 秋》「うち晴れし淋しさみずや―/万太郎」

『大辞泉 第二版』 小学館

筑摩書房 柳田國男全集5 日本昔話集 猿と猫と鼠サルとネコとネズミ

昔々ある所に、爺と婆とがありました。婆は精出して木綿を織ると、それを爺が風呂敷に入れて、方々の町を売りあるいてゐました。或日爺は木綿を売りに出て、一人で山路を帰って来ると、遥か向うの山の樹に大きな雌猿がゐるのを、猟師が鉄砲を持って撃たうとしてをりました。雌猿は手を合せてへこらへてくれといふ様子をして拝んでをりました。可愛さうな事をすると思って留めに行きますと、思はず鉄砲がそれて、爺は肩先を打たれました。猟師は飛んだことをしたと思って遁げてしまひました。さうすると何処からともなく多くの小猿が現れて、一しよう懸命に介抱をしてくれました。さうして猿の家へ連れて行って、大そうな御馳走をしたさうです。婆が心配をしてゐるからもう還ると言ひますと、猿たちが御礼に宝物をくれました。是は猿の一文銭と謂って、世にも大切な宝物ですが、命の親様にさし上げます。是を祭って置くと金持ちになります。
ほんとうにお猿が言った通りでありました。家では婆が年の暮だといふのに、木綿も売らずに爺が還って来たので散々に怒りましたけれども、猿の一文銭の御蔭で、僅かな間に金持ちになりました。ところが近所によくない人があって、急に爺婆が金持ちになったわけを聞いて、知らぬ間に其宝物を盗んでしまひました。
爺と婆とはびっくりして、方々尋ねて見ましたがどうしても在りかが知れません。そこで家に飼ってゐる玉といふ猫を喚んで、玉よ、猿の一文銭を三日の内に探し出して来い。探して来てくれたら御褒美だ。探し出さなければ是だよと言って、光る短刀を抜いて見せました。猫は是を聴いてすぐに飛び出して、一匹の鼠をつかまへて言って聴かせました。鼠よ、うちの爺様の宝物がなくなった。三日のうちに見付けて来い。見つけて来るならば助けて遣る。見付けないと尻尾まで食べてしまふよと言ひました。鼠は食べられると大変だから、三日の間近所の家々をまはって、 猿の一文銭を探しました。さうしてしまひに隣りの悪者の家の箪笥の中にあるのを見つけて、引き出しを噛ってそれを取り出し、持って来て玉に渡しました。玉は喜んで、それをくはへて爺様に渡しました。爺も婆も猫の玉も鼠も共々に大喜びで、皆が皆いつ迄も繁昌しました。めでたしめでたし(因幡)。 

ね‐こ【猫】
《「ね」は鳴き声の擬声、「こ」は親愛の気持ちを表す接尾語》
〓食肉目ネコ科の哺乳類。体はしなやかで、足裏に肉球があり、爪を鞘に収めることができる。口のまわりや目の上に長いひげがあり、感覚器として重要。舌はとげ状の突起で覆われ、ざらつく。夜行性で、目に反射板状の構造をもち、光って見える。瞳孔は暗所で円形に開き、明所で細く狭くなる。単独で暮らす。家猫はネズミ駆除のためリビアヤマネコやヨーロッパヤマネコなどから馴化(じゅんか)されたもの。起源はエジプト王朝時代にさかのぼり、さまざまな品種がある。日本ネコは中国から渡来したといわれ、毛色により烏猫・虎猫・三毛猫・斑(ぶち)猫などという。ネコ科にはヤマネコ・トラ・ヒョウ・ライオン・チーターなども含まれる。
〓《胴を猫の皮で張るところから》三味線のこと。
〓《三味線を弾くところから》芸妓のこと。「―が一枚とびこむと、八右衛門がしらまで、浮気になってがなりだす」〈魯文・安愚楽鍋〉
〓「猫火鉢」の略。
〓「猫車」の略。
〓海猫・飼い猫・烏(からす)猫・唐(から)猫・雉(きじ)猫・恋猫・小猫・麝香(じゃこう)猫・シャム猫・漁(すなど)り猫・虎(とら)猫・どら猫・泥棒猫・盗っ人(と)猫・野猫・野良猫・灰猫・化け猫・ペルシア猫・招き猫・三毛猫・山猫
⇀猫(ねこ)に鰹節(かつおぶし)
⇀猫(ねこ)に小判(こばん)
⇀猫(ねこ)に木天蓼(またたび)お女郎(じょろう)に小判(こばん)
⇀猫(ねこ)の首に鈴を付ける
⇀猫(ねこ)の子一匹いない
⇀猫(ねこ)の子を貰(もら)うよう
⇀猫(ねこ)の手も借りたい
⇀猫(ねこ)も杓子(しゃくし)も
⇀猫(ねこ)を被(かぶ)・る
⇀猫(ねこ)を殺せば七代祟(たた)る

『大辞泉 第二版』 小学館

○猫(ねこ)に鰹節(かつおぶし)
猫のそばに、その好物の鰹節を置くこと。油断できないこと、危険であることのたとえ。

『大辞泉 第二版』 小学館

○猫(ねこ)に小判(こばん)
貴重なものを与えても、本人にはその値うちがわからないことのたとえ。

『大辞泉 第二版』 小学館

そ【˟鼠】
〓ソ〓 〓ねずみ
〓〈ソ〉
〓動物の名。ネズミ。「鼠咬症(そこうしょう)/窮鼠・首鼠・田鼠・殺鼠剤」
〓こそこそと悪事を働く者のたとえ。「鼠賊」
〓〈ねずみ〉「鼠色・鼠算/野鼠」
◈「鼡」は俗字。
〓鼬鼠(いたち)・金海鼠(きんこ)・海鼠(なまこ)・鼹鼠(もぐら)・鼯鼠(ももんが)・栗鼠(りす)

『大辞泉 第二版』 小学館

ねずみ‐こう【˟鼠講】
加入者がねずみ算式に会員を増やすことにより、加入金額以上の金銭を得る一種の金融組織。昭和53年(1978)制定の「無限連鎖講の防止に関する法律」(通称、ねずみ講防止法)で禁止された。無限連鎖講。

『大辞泉 第二版』 小学館

ネズミこう【ねずみ講, ネズミ講】
◆a multilevel sales program, a Ponzi [pyramid] scheme, a Ponzi game
マルチ商法, ネズミ講, 連鎖販売法

『ビジネス技術実用英語大辞典V5 和英編』 プロジェクト ポトス

ねずみこう‐ぼうしほう【˟鼠講防止法】‐バウシハフ
《「無限連鎖講の防止に関する法律」の通称》終局的には破綻する性質を持つねずみ講(無限連鎖講)に関与する行為を禁止し、ねずみ講がもたらす社会的な害悪を防止するための法律。昭和53年(1978)制定、翌年施行。無限連鎖講防止法。

『大辞泉 第二版』 小学館

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?