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【聖石原莞爾信仰】「タロット神智学」による『我が最終戦争論(ハルマゲドン)』|「タロット愚者」の『石原莞爾』と「トランプジョーカー」の『石井四郎』

特集「カトリックロゴス感覚としてのタロットカード」

Tarot Card「The Fool 0」について|『石原莞爾』と『石井四郎』の「似て非なり」

「始まり」と「終り」の在り方|「álpha and oméga」

全能者のして神なる主、現在居まし、かつても居まし、またこれから来る者が、こう言われる、「私はアルファであり、オメガである」。

岩波書店「ヨハネの黙示録 1:8」

álpha and oméga
1 始めと終わり:〓
▶聖書では,永遠に時を支配される意で,神またはキリストを指す. cf.〖聖書〗 Rev.1:8.
2 ⦅the alpha and omega⦆ 中心的要素,最も重要な特徴:〓
[c1384.中期英語]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

alpha and omega
n. 始めと終わり(*ギリシャ語アルファベットの最初と最後の文字であることから); the ~ 最も重要な要素

『ビジネス技術実用英語大辞典V5 英和編』 プロジェクト ポトス

すべての「始りと終り」を意味する。

「最初」に「愚者」であるなら「無知の知」により「最後」は「最高善の神の叡智(賢者)」を得る。

しかし「最初」に「カリスマ・デマゴーグ」であるなら「doxa」を「絶対知」とする活動によって「無知の知」を攻撃し「最後」は「人の叡智(愚者)」となる。

前者は神を最も近く感じ、後者は神から最も遠い。
前者は「タロット愚者」を意味し、後者は「トランプジョーカー」を意味する。

タロット神智学の啓示(黙示)において重要なのは「最高善の神の叡智」の受肉である。
それがタロット占術であるのです。
最高善の神は真の「叡智」を齎す。
しかしカリスマ・デマゴーグは人間関係の産物として形成される「まがい物の叡智」に過ぎない。
「まがい物の叡智」は人間関係で形成された「お約束」の産物である。

それは「叡智のない馬鹿騒ぎ」に陥る「トートロジーと循環論証」の「お約束」であるだろう。
「doxa」を「絶対知」として祀り上げる「ヲタ芸」(cult)なのです。

現代の社会現象はそのような陳腐なものであるのです。
しかしそのような凶悪な異端教団は人を「死への崇拝」へ導き集団自殺などの凶行事件を引き起こすだろう。

そのような事態を象徴するタロットカードとは「悪魔」であります。

タロット神智学|天使ミトラの恋愛タロット

東條真人

"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."
"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."

「The Fool 0」について

最高善の神の下の「愚者(叡智)」は「至高の抽象化の高み」となる
人の王の「愚者(霊感商品の詐欺商売)」は「原始的段階に近いデマゴーグ」となる

何故ならば「ロゴス」の受肉と「doxa」を「絶対知」として形成した「霊感商品」は全く違うからです。

「黒ミサ」の異端教団を祀り上げる傲慢な人類は「愚者(霊感商品の詐欺商売)」によって世界を滅ぼす「サタン」となるだろう。
それは「バフォメットの異端教団」と言えるのです。

「呪術崇拝」から形成される「象徴(偶像崇拝)」とは「doxa」を「絶対知」とする「知識の鵜呑み」であったのです。
「知識の鵜呑み」とは「バフォメットの異端教団」の「絶対知(doxa)」を鵜呑みにすることを命じる。
しかし「知識の中身を問わない」ことはその「知識」がデマゴギーであってもそれをカリスマ・デマゴーグの「嘘のない言葉」として祀り上げることを意味している。
「知識」の中身が「明らかな偽り」であっても良いのが「呪術崇拝」から形成される「象徴(偶像崇拝)」であり、フロイトはそれを「原始的段階に近い」と評した。
それは当然の呼び名であった。
「最高善の神の叡智」から遠く隔たり「人」のカリスマ・デマゴーグに容易く扇動される存在は劣等で原始的と言われても仕方がないだろう。

「タロット信仰」と「トランプ崇拝」をそこに見ることができる。
タロット信仰は「知の廃棄」を前提とした「叡智信仰」であり、トランプ崇拝は「知の鵜呑み」を前提とした「バフォメットの異端教団」である。

ではこれらは「タロットカード」の中では一体何のカードによって示されているのだろうか?

それは「愚者」のカードである。
「愚者」はタロットでは一般に「The Fool 0」とされています。
「愚者」は一般的には「doxaの人」の意味となります。
しかし人は自分が「doxaの人」であることを知った時から「無知の知」を得ます。
それは「叡智」の受肉システムを手に入れることなのです。
そのメカニズムを解説しましょう。

※「愚者」の「タロットカード」は「トランプカード」において「ジョーカー」の原型であったと言う通説がある。

「叡智」の受肉とは?

〈「悔い改め」とそれに対する「隣人愛」〉は「最高善の神の至上命令」である。

何故〈「悔い改め」とそれに対する「隣人愛」〉が「最高善信仰」なのだろうか?

それは「絶対に覆らない善」であるからです。

「偽善」とは「間違っていても善を装う事」を言います。
間違いが判明し明らかに「善」ではなくとも「善」を装うことなのです。
「善行」はその代表的存在です。
そのような「善悪」のあり方は「真偽」のあり方と同様です。

そのような「偽善」とは「社会的善行」とされた行為を人に見せているだけなのです。
それは「善」ではなく「善に見せる技術」であり「悪」なのです。

例えば「善悪」を考えて「善」を判断する存在とサッカーワールドカップでスタジアムを清掃する日本人観客がそのいい例でしょう。
「善悪を考える善」は最高善信仰です。
しかしサッカーの観客が行う清掃行為は「社会的善行」ではありますが「善」ではなく「善に見せる技術」でしかありません。
「偽善」であり「悪」なのです。

※公共トイレの「政治的宣伝映画」(社会的善行)だったらしい

そして「悔い改め」とは「善ではない場合には悔い改めること」であり、又は「悪である場合に悔い改めること」である。
「隣人愛」はそういった「悔い改めた者」に対する姿勢であり「アガペー」を示しています。
それが最高善信仰でありそれへ一々敵対して蹂躙することは可能でしょう。
しかしそのあり方を完全に逆転させることはできません。
何故ならその「躓き」への「悔い改め」の導きがいつ如何なる時であっても可能だからです。
それが〈「悔い改め」とそれに対する「隣人愛」〉のその可能性の中心なのです。

仮に「悪」を犯した人物に対してでもその者が「悔い改め」をするなら「隣人愛」の「アガペー」を持って他者が遇するのです。
それが最高善信仰の在り方です。
それは最高善の高みへ人々を導きます。
「神の王国の到来」は現実にきっと出現するでしょう。
フロイトはそれを「至高の抽象化の高み」と書いています。

ただ「社会的善行」に対して「社会的悪行」が存在します。
それは「社会的悪行」とされても「善悪」を考えて実行していたならば「善」と言えることを示しています。
ここでは逆に「善」が「社会的悪行」とされるのです。

そのような善悪の転倒は「バフォメットの異端教団」の為せる技です。

それは「悪に見せる技術」によって貶められ実行されたイエス・キリストの磔刑に似ています。

石井四郎の場合

石井四郎

「青ひげ」は「赤ひげ」に変わったのか?

"Fair is Foul, and Foul is Fair. "
"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. "

例えば「善行」の代表例は「人体実験」で有名な「日本陸軍防疫731部隊」の創設者であり部隊長であった石井四郎であろうと思います。
石井四郎は敗戦後に日本で「赤ひげ」として暮らしたとされています。
「731部隊」が殺人鬼の「青ひげ」の代名詞であるとすれば「赤ひげ」は医者の「社会的善行」の代名詞であります。
これは最高善の〈「悔い改め」とそれに対する「隣人愛」〉ではなく、「社会的善行」であり「偽善」の在り方でしょう。
それらは「悪」です。

あおひげ【青ひげ】
Barbe-bleue
フランスの詩人 C.⇨ペローの民間伝承に基づく『童話集』(1697)に出てくる殺人鬼。6人の妻を殺し,7人目の妻にその罪を発見される。ブルターニュ伝説では,15世紀の軍人ジル・ド・⇨レーがそのモデルといわれる。転じて「青ひげ」は,保険金などを目当てに妻を殺す男をさす。 J.オッフェンバックのオペラにもなっている。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

青ひげ(ドレ画,挿絵)

「赤ひげ」は「ヒポクラテスの誓い」の信仰者である

実践理性批判

イマヌエル・カント「実践理性批判」
「きみの人格やいっさいの他者たちの人格のうちにある人間性を、つねに同時に目的として取りあつかい、けっしてたんに手段として取りあつかわないように行為せよ」

これは患者に対する医学の在り方である。
しかし石井四郎は医学の名の下に人体実験を行い殺戮を行った。
手段としてのみ扱い同時に目的として扱わなかったのです。
彼は「doxa」を「絶対知」として祀り上げるため人体実験部隊(cult)を形成した。
それが日本陸軍防疫731部隊である。
ヲタ芸集団(サブカルチャー)であり異端教団だったのです。

※731部隊の創設者は千葉県芝山町出身の石井四郎であり国立千葉大学医学部はその意思を引き継いでいる。患者を騙し人体実験に利用している証拠と証言がある。

Hippocratic Oath (hip′ō‐krat′ik ōth).〓
ヒポクラテスの誓い(通常,医学士の学位を受けるときに医師が行う誓い.そこで,医師は医学の実践に際して,倫理的な原理を守ることを約束する.この誓いは,Cos島出身のHippocrates(紀元前460―377)にちなんで名づけられている.医学の同業者組合,すなわち,アスクレピアズ協会に属していた彼は,医学の父と称えられている.なぜなら,彼は,医学という技術と科学を哲学や宗教から分離した初めての人だからである.しかしながら,その誓いは,Hippocratesの言語資料体を構成する無数の様々な書物の中で現在まで伝わっているが,それがHippocrates自身によるものであるということについては,近代の学者たちは疑いをもっている.この誓いが,(アスクレピアズ協会の人々の間で,すべて認められ,許されていた)自殺,安楽死,堕胎,手術を禁止していることは,むしろPythagoras学派に由来していることを示唆している.この誓いがいつつくられ,そのもともとの使われ方がどうであったのかはわかっていない).

「私は,医神Apollo,Asclepius,Hygeia,Panaceia,そしてすべての神と女神の名に懸けて,そして,これらの神,女神を証人として,この誓いと約束を果たすことを,私の能力と判断によって誓う.私に医学技術を教えてくれる人を両親と同様にみなす.私の人生,そして必要ならば,私の食料もその先生に分け与える.先生の子供たちは私の兄弟とみなし,彼らに医学技術を教える.医学知識は,書いて,口頭で,あるいは実習で,私の息子たちや私の先生の息子たちに教える.同様に,私たちの職業の規範に従い,他の何者にも従わずに,誓約書に署名し,誓いを宣言したすべての医学生に教える.私は,私の能力と判断に従って,病人の利益のために治療手段を施す.危害を加えたり犯罪を犯したりはしない.私は,誰に対しても,求めに応じて死をもたらす薬を与えたりはしない.また,その使用を勧めたりはしない.同様に,女性に堕胎をさせる薬を与えない.私は純粋な,神聖な生活をし,医療技術を磨く.私は,結石による病気であっても手術はしないが,それに従事する人を妨げたりはしない.私が訪ねる家はどこも,私は病人の利益のためだけに訪れ,意図的な悪行や姦通はしない.特に,男性でも女性でも,自由人でも奴隷でも,性的に親密な関係を結ぶことはない.私は,職業によるものであってもなくても,私が見たり聞いたりした,人々の個人的な生活に関する私的な性質について一切漏らすことはしない.なぜなら,私はそうした情報を暴露することの恥を理解しているからだ.もし,私がこの誓いを実行し破らなければ,私は人生と職業の実践に満足し,人々の間で永遠の栄誉に浴するだろう.もし,私がこの誓いを破り,偽りの誓いをしたら,私のすべては反対になるだろう

米国とカナダのほとんどすべての医学校の卒業生は,学位授与式の間,医学の実践において,倫理的な原理を守るために,何らかの形式の制約を暗唱する.しかし,いまや,Hippocratesの誓いの原文を使用する機関は少ししかない.ほとんどの卒業生は,規則上あるいは道徳上制約にしばられるというよりも,その訓練を,単なる形式上のもの,あるいは伝統への敬意を示すものとみなされているようにみえる.この誓いの現代版は,典型的には,自分の先生の子供たちに無料で医学技術を教えることを約束するとか,手術をしないなどといった,文化的にすでにない用法,すなわち遺物を除外している.より重要なことは,それらのほとんどはまた,神への祈祷を除外し,宗教的な勤めや義務およびそれを破ったときに受ける罰への注意を除外し,さらには,安楽死や医師の助けを借りた自殺,堕胎,患者との性的な関係を誓ってやめることを除外していることである.RoeらとWade(1973年)の裁判において,合衆国大法廷は,堕胎を禁止する点でHippocratesの誓いの権威を拒否した.この誓いは古代の文化水準を反映しておらず,ユダヤキリスト教の堕胎に関する考え方の影響を長くもち続けてきたものであるとの理由による.「まず傷つけないように」(しばしばラテン語で“primum non nocere”と引用される)という一般によく知られた規範は起源がわからないが,Hippocratesの誓いの一部ではない.
『ステッドマン医学大辞典』 メジカルビュー社

『ステッドマン医学大辞典』 メジカルビュー社

石原莞爾の場合

石原莞爾

カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)
最高善信仰
〈「悔い改め」とそれに対する「隣人愛」〉

"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."
"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."

imago Dei 〔L.〕
神の似姿〔カトリック教会〕
〈91学術・キリスト教〉

『人文社会37万語対訳大辞典』 日外アソシエーツ

もう一人例を挙げると「満州事変の首謀者」であった「石原莞爾」です。
彼は「満州事変の首謀者」でありましたがその後早々に左遷された。
何故なら彼にとって「一億玉砕」のような馬鹿げた戦争は「イマーゴ(真善美の回復)への信仰」と程遠かったからであろう。

「イマーゴ(真善美の回復)への信仰」を持った日本軍人|石原莞爾は「真の平和」と「神の王国の到来」を目指した最高善の信仰者であった。

そして石原莞爾は「社会的善行」ではなく、敗戦後に「イマーゴ(真善美の回復)への信仰」を持って田舎に引き篭もった。
これは最高善信仰の「神の王国の到来」を石原莞爾が自らの「イマーゴ(真善美の回復)への信仰」によって見ようとしたからだろう。
軍人であった彼は最後に明らかに「最高善信仰の人」として〈「悔い改め」とそれに対する「隣人愛」〉の至上命令に従ったのです。
「石原莞爾」は「叡智(ロゴス)」の受肉した人であり「偽善(悪)」ではなく「最高善信仰の人」であった。

神の王国の到来(至高の抽象化の高み)

時の徴(「知の鵜呑み」は知に見せる技術、「知の廃棄」は知の受肉システム)

最高善信仰

〈「悔い改め」とそれに対する「隣人愛」〉は最高善の高みへ世界を導く。
それが「神の国の到来」である。

"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."
"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."

「石井四郎」と「石原莞爾」

タロットカード「The Fool 0」とトランプカード「ジョーカー」は全く違う。
これはタロットカードの「愚者」|「The Fool 0」であり、それはタロットカードの占術における意味の反転性を示している。

「愚者」である石井四郎は「叡智のないdoxaの人」でありトランプカード「ジョーカー」となった。
それはタロットカード「愚者」が反転した意味であるだろう。

※ただ一般のトランプゲームに於いて「ジョーカー上がり(ジョーカー勝ち)」はタブーとされている。

「愚者」である石原莞爾は最高善信仰からカトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)を入れる場所を確保した。
それはタロットカード「愚者」であり「叡智の人」である。

「タロット神智学の原理」

この2つの「愚者」の見極めが「タロット神智学」の基本型であるのです。
「doxa」を「絶対知」とする「異端教団」と「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」の聖戦である。

言い方を変えると「イマーゴ(真善美の回復)への信仰」と「カリスマデマゴーグの禁忌」が「無知の知」となる。
それは「無知の悔い改め」と「隣人愛」と言えます。

要は「知識人」ではなく「知識人に見せる技術」を持つだけではデマゴーグを生むだけなのです。
「無知」の「悔い改め」が「叡智」となりそれへ賛美することが「最高善の神のアガペー」(愛徳)としての「隣人愛」となる。

それが「doxa」を「絶対知」とする「異端教団」と「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」の聖戦である。

それはただ「いつまでも騙し抜くカリスマ・デマゴーグ」ではなく「最高善の神の叡智」(ロゴス)のあり方なのです。
それはソクラテスの教え「無知の知」の在り方だろう。

むちのち【無知の知】
Bewusstsein des Nichtwissens
⇨ソクラテス哲学を特徴づける有名な言葉。哲学者(愛知者)という意味でのギリシア語 philosophosは,ピタゴラス,ソクラテス的意味では,神だけが知者 sophosであるとの立場から,知者でないがゆえに知 sophiaを愛求する有限的存在としての人間の本質規定であった。したがって philosophiaは,いわゆる賢者や知恵の本性が神と比すれば無にも等しいものであることを明らかに自覚することに始る。本来的な知のイデーのもとにおける自己の無知の自覚が無知の知にほかならず,ソクラテスの優越は,だれよりも深くこのことにおいてすぐれていたことによる(『ソクラテスの弁明』)。しかも無知の知は,消極的側面にとどまらず,かえって迷妄をはらし真実の知への扉を開くのであり,かかる自覚を自己の本質的契機としてこそ,「能うかぎり神に似ること」が philosophosの目標として措定されることになる。それゆえにまた教育者としてのソクラテスは,人々にこの自覚を与え本来的な知のイデーヘ視座を転換するように努めるのであり,そのことはプラトンの対話篇に印象的に示されている。
『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

純粋理性批判

純粋理性批判 第二版序文
「したがってわたくしは、信仰に余地を求めるために、知識を除去しなければならなかった。」
"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."
"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."

第二版序文

「したがってわたくしは、信仰に余地を求めるために、知識を除去しなければならなかった。」とイマヌエル・カントは書いた。

「信仰を入れる場所」とはカトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)の場所を確保することです。
そしてそこは「叡智の宿る場所」です。

それがない「異端教団」は「叡智のない愚者」である。
しかし彼らは「叡智に見せる技術」を持っている。
それが「いつまでも騙し抜くカリスマ・デマゴーグ」の存在です。

一方で「最高善の神の至上命令に恭順し悔い改める愚者」は「最高善の神の叡智を受肉する賢者」であるのです。

神を讃える

結局は「最後の愚者」は「異端教団」であり、「最初の愚者」は「最高善信仰の人」であるでしょう。
「いつまでも騙し抜くカリスマ・デマゴーグ」と「最高善信仰者」(ロゴス)との関係性は「聖戦」と「黙示」となって世界大戦(ハルマゲドン)を引き起こす。

そして世界大戦(ハルマゲドン)に於いて最後に勝つのは「最高善の神」である。

それが『我が最終戦争論(ハルマゲドン)』である

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