あたまのことば、こころのことば
ブラッドベリチャレンジで読んでいる「存在の耐えられない軽さ」。
今日読んだ部分がとてもよかった。
物語の中のトマーシュがそうであるように、そのわずかな差異を知りたいと思う。
noteを書くのが久しぶりになってしまった。
書きたいと思いつつ書けなかっった。
以前、『自分の心の機微に敏感になって「話したい」「知りたい」を表現する』という記事を書いた。
自分の心の機微に敏感になる。
それは具体的にどういうことだろう?
どうすればそれができるようになるだろう?
答えはきっとシンプルで、ただこうやって書けばいいのだと思う。
自分の心の機微に敏感になるために、心の言葉を書く。
頭で考えた言葉が悪いわけではなく、心の言葉も書けるようになりたいのだ。
ブラッドベリチャレンジとは別で読んだ「夏みかんの午後」という本。
こちらも面白かった。
僕は、日記ってなんだか書きにくい、と苦手意識を持っている。
多分、頭で考えてカッコつけようとしているからだ。
書き続ければ、素直な言葉も書けるようになるかもしれない。
わかるなー、と思った。
ハッピーなことを素直に受け取る。
そんな単純なことをどうして難しくしてしまうのだろうとも思うけど、単純なことを単純なままにできないときもあるのだ。
先日、「せっかく会えたんだし、〜」という言葉をかけられたとき、泣いてしまった。
相手は困ったと思うが、それは悲しかったからでも、つらかったからでもなく、うれしくって泣いたのだ。
自分との出会いをそんな風に思ってくれる人がいる。
それはうれしいことだ。
そこで涙が出るのは、自分では自分のことをそんな風には思っていなくて、その言葉に驚いてしまったから。
そのときは、うまく言葉が出てこなくて黙り込んでしまったので、相手をさらに困らせてしまった。
自己表現って、自分のためだけにするものでもないな、と思った。
うれしいときに、泣いてもいいけれど、その涙はうれし涙なのだと伝えて、せめて相手を困らせることはないようになりたい。
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