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自分の心の機微に敏感になって「話したい」「知りたい」を表現する

きのう読みはじめた「根っからの悪人っているの?」という本がとても面白く、一気に読み終えました。

本に「修復的司法」という言葉が登場していました。

従来の司法制度では、犯罪を「国家に対する違法行為」と捉え、加害者に刑罰を与える。
しかし、それは犯罪の根本的原因の解決や深い反省にはつながらず、むしろ逆効果にもなる点、また、被害者への支援や保護などが規定されていず、被害者は手当てが受けられない点などが批判されてきた。
それに対し、修復的司法では、犯罪を社会に対する「損害(ダメージ)」と捉える。
そして、加害者自身が自分の責任を認め、できる範囲で被害を修復するように促す。
修復的司法には、被害者と加害者が直接会って対話をするほか、多様な方法がある。
世界では、犯罪だけでなくさまざまな社会問題や日常の対人トラブルなどの場面で、広く実践されるようになっている。

根っからの悪人っているの?

被害者と加害者の対話から、犯罪の「修復」がはじまるのかもしれません。

被害者には、事件直後から必要な支援をする。
そして、加害者には自省が必要。
自分がどういうふうに育ってきて、今の自分に至っているかってことをよく見つめて、まずは自分の被害者性に気づく。
そうして初めて、自分が被害者にどんなことをしたのかに目が向いて、気づけるのかなと私は思ってる。
被害者のほうも、まずは自分自身の回復が必要。
そのうえで、被害を受けとめることができればいいなと思います。

根っからの悪人っているの?ー山口さんの言葉

加害者が、自分の被害者性に気づくこと。
被害者が、回復し被害を受けとめること。
過去に起こったことや、過去の自分がどんなことをして、どんなことをされて、どう感じていたのか。

それぞれが自分の過去を見つめ、語ることから、加害者と被害者の対話がはじまるのかもしれません。

ことが起こり、塀のこちら側と向こう側に分かれる。
目に見える塀もあれば、目に見えない壁もある。
自分と他者の境界はどこにあるのでしょう?
皆さんは、どんな時に自分と他者の境界があるように感じますか?
そして、どんな時に自分と他者の境界がないように感じますか?

うれしいっていうか、自分がしたことにちゃんと反応してもらえてる感じ。
で、「もっと言いたい」「もっと自分のことを伝えたい」ってなる。
そしたらわかってくることがすごくいっぱいあって、ずっとそれの繰り返し。
場をたくさんこなしていくと、今話し始めたばかりの人たちの、ちょっとした心の機微、わかりづらい微妙な感情とかが少し読み取れて、自分なりに共感できるようになる。
「この人、今緊張してるな」とか。
で、自分が今まで他の人にやってもらったことを返してあげる。
それを繰り返していく。

根っからの悪人っているの?ー翔さんの言葉

これって、すごいことだと思います。
心の機微を読み取ろうとすることって、できたらいいなと思うことかもしれませんが、エネルギーが必要で避けられていることでもあるように思います。
塀を建て、壁をつくってしまえば、それ以上考えなくてもいい、感じなくてもいいことなので。

「話したい」「知りたい」と思う気持ちを表現するとき、自分と相手にあいだがあるならば、そのあいだの差異を考える、感じること。
それはエネルギーもいることだけれど、自分と相手のあいだに強固な塀や壁をつくるのではなく、自分の心の機微にも敏感になって「話したい」「知りたい」を表現していきたいと思いました。

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