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後藤潤吏さんの生き方

ー食にたずさわる人の生き方にふれることで、再び、自分や他者、世界の広がりを感じるー
【インタビューマガジン・Rinfinity】

第6回の2023年9月は、愛知県・豊橋『ごとう製茶』後藤潤吏(ごとう ひろさと)さんにお話を伺いました。

大地、太陽、水、空気。
大きな自然が生むリズムに溶け込んだ生活。
無理なく、ゆっくり、ナチュラルに・・・。
「お茶作り」への情熱と「食」へのこだわりを持ち、
「自然界の気」をいただくことで感謝の心をもてる自分達がいる。
飲む人の笑顔に会いたくて、おいしい!!の声が聞きたくて
「食」の安全と本物の味を求めて「お茶作り」を楽しむ毎日。
どうぞ皆様の食卓が、大切な方との時間が、
笑顔と歓びのあるものでありますように。


生きる意味を考え続けた日々

ー自己紹介をお願いします。

「後藤潤吏です。
27歳のときにお茶づくりをはじめて、ごとう製茶の4代目になるんですけど、完全に引き継いだわけではなくて、今は3代目の父と一緒にやっています。
入った時期が一番茶が終わった頃だったので、紅茶づくりが最初でした。
その時は時間があったので、手摘みでつくったり、『美味しい紅茶ってどうしたらつくれるのかな』と実験をひたすらやるところからスタートして、10年お茶の仕事をやっています。」

ーどんな子供時代を過ごされましたか?

「どんなんだったんでしょうね。
小中のときは、かなりおとなしかったと思います。
そんなに主張しないのでどこの集団にいても大丈夫な感じで、友達は多くてよく遊んではいましたけど、内向的でした。
高校は、同じ中学からの同級生は誰もいないところへ行きました。
それで、それまでの友達との付き合いもなくなるし、勉強もあるので、あまり外に遊びに行かなくなっていきましたね。
大学のときも、内向的な方に振り切っていってました。
中学までは友達と遊ぶのも楽しかったんですけど、引きこもりたいみたいな感じになってて、できるだけ人と関わらないようにしてました。
その中で、哲学的なことだけは考えてましたね。
まあ、小学校6年ぐらいから、『なんで生きてなきゃいけないのか』っていうのをずっと考えてたんですけど。
高校、大学と考える時間が増えて、もうひっきりなしに考え続けていました。
何かを食べるよりも、寝るよりも、生きる意味とかを考えてました。」

ーそれは、ひたすら自分一人で考えたんですか?

「自分一人でしたね。
本を読んでも、ネットで調べても、大人に聞いても、納得の行く答えが返ってくることってなかったんですよね。
生きる方を優先する理由がどこにもない。
ただ、それが起きたのは、生きる方に重心を置いた教育を受けたからなんですよね。
『生きるのには意味がある』とか何とか言われちゃって。
自殺はよくないってテレビでも言ってるし。
でも、その理由ははっきり言ってくれてなくて。
じゃあ、自分が死にたいってなったとき、苦しいから死にたいってなったときに、今までの『生きる方が絶対に正しい』みたいな価値観とは合わないから、逆にそこで苦しむ。
生きるのには意味があるとか、生きた方がいいとかいう教育がある一方で、生きる意味があるなら自由は全くないってことだし、『他に生きるのにどんな正当性があるの?』っていうことは誰も説明してくれないし。
生きる意味なんてないように思えるけど、いや、ないでいいんですよ。
ないならないでいいんだけど、そこにそれまで受けた教育、『生きることには絶対に意味がある』とか『生きた方が絶対にいい』とか、そういうのがいっぱいくっついてたせいで苦しんでた、って感じです。
だから、『なんで生きなきゃいけないんだ』って、ずっと考えてました。
でも、最終的に気づいたんですけどね、『その質問が間違えてる』って。
世界は、別に『生きる方がいい』とかそんな話にはなってなくて、対等に並んでるものを頭で区別して、『生きる方がいいよ』っていう教育を受けただけの話で、それが結果として葛藤を生んでいただけ、っていうことにどこかで気付いたんで、考える必要がなくなったんですよ。
あとは、『死にたい』っていうのも、何かが生きようとしてるんですよね。
死んだ結果、何かが救われると思って『死にたい』って言ってるわけじゃないですか。
その思考の矛盾みたいなものに、10代の最後、大学1、2年の時にようやく気付いたから、そこでいったん思考が止まって、一気にフラットに見えるようになりました。」

新茶時期より前の茶畑

小学生の頃から『なんで生きるのか』という問いを考え続けた後藤さん。
思考の矛盾に気付き、フラットに見えるようになったその後、『岡本太郎の絵』との出会いがあったそうです。

岡本太郎との出会い

「一気に価値観がフラットになったその後すぐ、岡本太郎の絵をテレビでたまたま見たんですよ。
その時に衝撃を受けて、物理的にぶん殴られた感じがしたんですよね。
何が起こったのか分からないくらいの衝撃で、その次の日から、もう見え方が全部変わっちゃったんですよね。
絵とか、ものの見え方が、『人の意図とか意志が入ったものが本当につまらない』と見えるようになりました。
そこからは、『なんでそんな衝撃が起きたのか』っていうのを分析する毎日がはじまりましたね。
20代前半は、ずっとそれを考えてました。」

『岡本太郎の絵』との出会いに衝撃を受け、そのとき自分起こったことの分析を続けます。

「人間が生きて、ほとんど無意味に思考が働くので、結果的に概念を張り付けて、色んなことを説明してわかった気になるっていうゲームをやってるだけなので。
概念を組み合わせて、どんどん空中戦になって 、どんどん実態から離れていくんです。
思考が積みあがって、もう意味不明なぐらい遠くに行っちゃうんで、これって苦しくなるんでしょうね。
本来何も考えなくても大丈夫、あるがまま、そのままだったのに、そこに思考を積み上げていく。
それが悪いわけじゃないけど、実態から離れすぎたところばっかりで考えてると苦しくなる。
考えてることが本体なわけじゃないから、そんなの何も考えなくたって、何も思わなくたって、何もしてなくたって、本体はそのままあるんだから、安心してればいいんじゃないのっていうところがスタート地点で。
思考を積み上げていくと、苦しくなっちゃうんでしょうね。
せっかくここまで積み上げたものが台無しになっちゃうっていうか。
自分の考えたことこそが大事で、それが生きてることだって思い込んでるから。
でも、そんなのは後から自分が考えたもので、でっちあげなんですよ。
なので、岡本太郎の絵を見たときに、それを崩されたんですよね。
芸術があった方がいいなと思ったのは、思考にまみれて帰ってこれなくなっちゃった人、その思考を一瞬にして消し去ることができるところがあるからだな、と思ったんです。」

新茶時期の新芽

「お茶」というアプローチに取り組む

大学卒業後、お茶づくりとは違う仕事に就かれた後藤さん。
農家が忙しく、大変な状況も見ていましたが、お客さんが直接買いに来てくれて、無農薬でつくっていることへの感謝の声も聞いていました。
その中で、『やらないともったいないよな』という気持ちもあり、27歳のときにご両親を手伝うかたちでお茶づくりをはじめました。

「両親が『紅茶づくりの体験会』をしていて、その手伝いをしていたんですね。
1回に15人くらいの人が来てくれて、自分でお茶を揉んで紅茶をつくってもらうんですけど。
葉っぱはうちで用意したもので、品種も摘んだ日も一緒だから、香りとかは大体一緒なんだけど、それでも人によって違いが出るんですよね。
そういうことを見ていたので、『どういう風につくったら、美味しい紅茶ができるのかな』っていうのが気になって、自分でも空いた時間にお茶の葉を摘みに行っては、こういう風にするとどうかなっていうのを試してみる、ということを最初やってましたね。
そうしたら、豊橋に住んでいる有名なお茶の先生とインドに行くっていう話があって、こんなチャンスないと思って、行くことになったんです。
実際に行ってみて、温度とか揉みの強さ、発酵時間もちゃんと管理してるんだなっていうことは分かったんですけど、日本とは気候も品種も全く違うから、同じようにつくる意味はないと思ったんですね。
なので、全部自分でテストして、データを取ってやってみようと思って、帰ってきました。
それで、次の年に『何がいい条件なのか』っていうのをテストしてやってみて、それが楽しかったし、ちゃんとやろうと決めて。
その最中に、岡本太郎の絵みたいなものが『お茶をつくる』ってことでできるよね、って思ったんですよね。
衝撃を受けてるのは脳みそだから、どんな風な入り方をしても一緒だろうと思ったんです。
絵で衝撃を受ける人もいるし、小説で衝撃を受ける人も、音で衝撃を受ける人もいる。
お茶は香りと味だけど、そういうアプローチがあってもいいなと思って。
覚悟を決めるんだったら、もう戻れなくなるけれど、本気で『死ぬ代わりに、条件を調べる』っていうスタイルでいける覚悟がなぜかあったんですよね。
そこからは、全力でそっちに行けたんです。
1秒も目が逸れたことがなく、ひたすらテストして、データ取って。
なんでデータを取ったかっていうと、『味が本質的なものを邪魔してほしくなかった』からなんです。
芸術って、出来上がったものに人の意図を含んでないんですよね。
だから、見たときに、『自分の一番奥にある思考でできてない部分』にたどり着いちゃうんですよ。
こっちが意図的に作るものじゃなくて、できちゃったものっていうか。
そういうものをつくりたいな、と思ったので。
そのときに、味がうまいとかまずいとか、そういう表面的な話が本質を邪魔してほしくなかったんですよね。
なので、できるだけその表面は自由自在に整えられるようにしようと思って、データを取りました。」

岡本太郎の絵を見て起こった衝撃を、『お茶』というアプローチでつくろうとした後藤さん。
そのことを数式に例えてお話してくれました。

「芸術を見たときに起こっていることって、思考じゃないんですよね。
思考はデジタルなものだけど、本質はアナログだなっていうのを最初に岡本太郎の絵を見たときから感じてて。
アナログで見て、アナログを感じて、思考でデジタルに置き換えてからものを扱ってる。
岡本太郎の絵とか、僕が衝撃を受ける絵、芸術作品には、この差を埋めにくる作用があるんです。
数式って、思考上デジタルにものを扱いますよね。
でも出力はアナログに出来る。
例えば、1+1=2っていう式は思いっきりデジタルで。
でも、この1をxにしたらxに入るのは無限に分解できるわけだから、その出力がアナログになるじゃないですか。
それで、その方程式の一つになりたかったんです。
自然の方程式がいくつかあって、パラメーターは全部変動で、無限にある。
自分が可変パラメーターとしてそこに入り込んだら、出力はアナログになるよね、っていう。
その出力が、僕だったら『お茶』で、飲んだ人が『お茶ってこういうものだよね』とか『こういう味の範囲だよね』と思っているのを全部ぶっ壊してくれれば、思考が消えてアナログにかえってこれる。
自分の本質にかえってこれる。
自分が世界の方程式の項のひとつになって、自分の意志を働かせない、ここで自分を『1』だとか言っちゃわない、そういうことがしたかったんですよね。」

茶刈機での摘み取りの様子

そのままで全員が一挙手一投足完璧

お茶をつくりはじめて、『3年間丸ごとゾーン入り』でひたすら実験を繰り返してきました。
そこからの出来事や、今思うことをお聞きしました。

「コンテストで優勝して、メディアの人も来てくれて、やたらとちやほやされる状況があって。
そうすると、自分の手柄にしはじめたんですよね。
確かに、自分で考えてやったことかもしれないけど、その思考自体が後から勝手に発生してるんですよ。
自分がやったってことになりはじめたら、だんだんうまくいかなくなってきて。
次からつくるものに思考が入り始めるんですよ。
自分がつくったものに全く納得できない状態のときもあって。
それが起きたのは、僕が『芸術作品』っていうものに重きを置き過ぎてるからなんですよね。
そうすると、そういうものを作りたいっていう方向感が出ちゃうから。
『その方向感がないところに全部がありますよ』っていう主張をしてるのに、『あれがつくりたい』とか言い出したら、絶対できないんですよ。
評価がついてくるたびに、どんどん自分がやったことだと思いはじめて、『またあれをつくらなきゃ』と思うようになっちゃって。
でも、コントロールできないことなんですよ。
自然にできるものだから。
またいつかそういうことができるかもしれないし、そもそもそんなものできなくたって、『そのまま全員が一挙手一投足完璧でしょ』っていう話で。
例えば、100年誰もそういうものをつくらなかったとしたって、100年前の岡本太郎の絵があれば十分じゃないですか。
そもそも、人がつくったものからじゃなくたって、その辺に落ちてる石ころで十分なんですよ。
僕がやりたかったのはそういうことなので、今となってはもう『お茶をつくってる人』とは認識してもらわなくてもよくて、何か次のことがやれたらっていうか、何か起こるでしょうみたいな。
もしも困っている人がいたら、『大丈夫だ』っていう話はできるし、それで十分だと思っています。」

茶畑とピンクのモクレン

後藤さん、ありがとうございました!


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