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ぼくは車の運転ができない

ふと振り返ってみると、
他人が当たり前にできること
ができないことが多い。

自分が求めた「結果」にはことごとく
「失敗」を重ねてきた
ということ。

これからも失敗を続けるだろうし、
それでいいと開き直っている。
そのうちのひとつを今日は書きたい。

たとえば車の運転。
普通免許は取得したが、
絶望的にセンスがない。

隣に座った同乗者に
「死ぬかと思った」といわれたこと
は一度や二度ではない。

注意力散漫なのかよくわからないが、
本当に向いていない感覚。
ハンドルを握るたび
に強烈に感じていた。

営業職の時代のとき。
助手席のドアに3回目の傷を
つけた時点で、自分にとって
の免許証は身元確認のための
カードになった。

人を傷つけなくて本当に
よかったとおもう。

あれから自動運転が
普及することを世界で
一番願っている。


父親はかつてスポーツカー
(たしかGTRとか言っていた)
を乗り回すほどの車好きだった。


旅行で車で遠出できたら、
どんなに楽しいかとも思う。


それに憧れていたわけではないが、
仕事で乗り回すのが
当たり前だと思いこんでいた。


あの日から車の運転を
楽しむということを捨てた。


あのまま運転をしていたら、
取り返しのつかない
失敗が待っていたかもしれない。
だから後悔はしていない。


何かを捨てる。
その先の選択肢をひとつ減らすこと。

資格取得をあきらめる。
出世をあきらめる。
家を買うことをあきらめる。

自分が求めてきた結果に対し、
断念すること。

誰にでもあるでしょう。

私は数え切れないほど、
そればかり重ねて
きた気がする。

でも「何かを諦める=失う」ではない。
新しいものが見えてくる
こともある。

車の運転をしなくなって、当時の私は
電車とバスで顧客を回ることが
メインになった。

移動時間は増えたが、
車の運転をしなければ
ならないというストレスがなくなった。

移動中は惜しみなく商談の準備ができたし、
本などで営業のスキルを学ぶ時間に
あてることで確実に成績が伸びた。

商談が終わったあと、
バスで帰ることを知っている社長に
車で送ってもらうことも何度かあった。

そのときの雑談がきっかけで、
新しい顧客を紹介して
もらえたことも何回かあった。

その結果、当時はスマホしか
売っていなかった自分が
オフィス移転や工事の
新規事業のビジネスにも関わること
ができるようになったのだ。

このときの経験がなければ、
大胆に今のキャリアに
チャレンジしようという
気持ちにはならなかっただろう。

結果がでない。
うまくいかない。
あきらめよう。

そうやってネガティブな気分と
それを「失敗」と位置づけるのは簡単だ。

でもちょっと待ってほしい。
そんなときは、
残された選択肢に全力で
フルコミット
してほしい。

「失敗」と判断するのを保留するのだ。

残された選択肢や
新たに発生した出来事が
全く方向違いの成功を持ってくる
こと
がある。

毎回、毎回、勝った負けたとか
損得勘定ばかり考えている
としんどくなってしまう。

ギャンブルとまで言わなくても、
思い切って捨てて、
風に身を任せるような
判断も時には必要だなぁと
しみじみ思う。

そしてできないことや
手に入らないものに悲観する
のではなく、残されたもので
何ができるか。

常に知恵を絞る習慣を
今後も忘れないようにしていこう。


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