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「頑張る」という自己満足の病

「よく頑張ったね、努力したね」
漢字テストで満点を取ったときの
ことだろうか。

頭を撫でられ、少し誇らしげな
気持ちになった。

漢字は書いて覚えるものだ。
そう教わった素直な子供は愚直に
ノートに書きつづった。

部首の成り立ちや、その字があらわそう
としたことをもう少し学ぶ姿勢が
あればもう少し身になったかもしれない。

ただの漢字の書き取りテストでは
そこまでの中身を問われることはない。

ここで頑張って努力して結果を出す。

小さな成功体験がその子の中で生まれる。
もちろんそれが新しい挑戦につながり、
その子の成長につながることも大いに
あるだろう。
しかしながら、副作用もあるのは
事実だ。

漢字の書き取りは愚直な反復
作業で確実に覚えることができる。
結果を出すことができる。

そこで少年は、誤って教訓を
捉えてしまう。

まず愚直に単調作業を繰り返すことが、
苦ではなくなった。
脳の中でこの単調さに耐えられれば、
インセンティブがあると刷り込まれる
ようになってしまったのだ。

野球をやっていた時も正しいフォームは何か。
どこを鍛えたら自分はうまくなれるのか。
そんなことは二の次だった。

誰よりも1メートル長く走り、
誰よりも1球多く投げれば、
ある程度は上手くなる。
多少の才能の違いはあれど、
ある程度のレベルぐらいまではいけるだろう。

そう信じて疑わなかった。
今思えば、愚かな少年であり
悲劇である。

何事も単純に数や時間を費やせば
成長できる、前に進めるというものでは
ないのだ。

頑張って結果を出した人は、
努力をしている。
多くのケースにあてはまるだろう。

ただそこから、考えなければいけないのは
「間違っていない努力」という前提と
その元々の素質があるのを忘れてはならない。

あんまり先天的な才能の話を
すると、嫉妬や羨望にエネルギーを
使おうとする人がいるが、
凡人の場合はそこを受けいれることは
避けられないのだ。

「頑張る」のはいいことだ。
ただあなたが何か結果を出すための
努力を伴うものであるならば、
その前にやることがある。

「頑張る」ことが目的になって
いないか自身に問いかけてみること
である。

正しい努力と言い切れるものは
なかなかないが、第三者から見れば
間違った努力は世の中に溢れている

「間違ってない」努力が
できる人間でありたいものだ。

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