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自己紹介③イジメ~北煌樹@Arther~

おはようございます☀️
こんにちは✨
こんばんは🌙
北煌樹@Arther(ほくおうじゅあーさー)です

↓↓↓自己紹介の全談はこちら↓↓↓
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前回の記事はこちら↓↓↓

始まり

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始まりは、仲間だと思っていた同じサッカー少年団の同級生から、ハブられ始めたことでした。
放課後、サッカー仲間(だと思っていた)の中心人物でもあった同級生に遊ぼうと家に電話をしたら、用事があるからと言われたので、他の同級生にも家に電話をしたら同様の答え、また他の同級生の家に電話をすると出掛けてると親御さんに言われ…というのが他にも続きました。
結局一人で暇なので、自転車を駆り近所を徘徊している時、たまたま最初に電話をした中心人物の家の前を偶然(今思うときっと子ども心にも何か変だと薄々感じていて真実を探ろうとしていたのだと思う)通りました。

するとそこには、

電話をして断られたり留守だった同級生たち
全員の自転車が見事に並んでいたのです

私はその瞬間、認めたくない事実を認識せざるを得ませんでした。


そう

俺は仲間外れにされているんだ

その次の日から、私はサッカーの練習をサボるようになり、ただでさえ下手くそで人一倍練習をしなければならないのに、練習に行かなくなったのです。
当然、元々あった同級生や下級生たちとの実力の差は広がる一方です。
そうすると、周りから更に馬鹿にされ妹と比較され、仕舞にはたまに行く練習時の二人一組でやるような練習にすら誰も組んでくれなくなって独りで体育館裏などにコッソリ隠れるようになってその練習をやり過ごしたり…
当然監督(5・6年生の担任の先生となる)には何処に行ってたんだと詰めらるのでその度に下手くそな言い訳を並べていたり…
周りの私に対する態度は更にエスカレートし、サッカーが下手くそだの邪魔だのと共に、服がダサいだのイモくさいだの(当時はイケてない恰好などをイモくさいと表現していました)、更には臭いだの見たら目が腐るだのと、サッカーとは全く関係のない罵詈雑言を浴びせられるようになりました。

確かに、そもそもの見てくれもカッコ悪い上に、家庭は決して裕福とは言えない家庭環境だったため、当時はやっていたブランド物のジャージやトレーニングウェア、シューズやすねあて(ガードルやシンガードと呼ばれるもの)などは勿論買えませんでしたし親にオネダリなんて出来やしませんでした。
結果、お下がりやボロボロのジャージシューズなどを着るしかなかったので、確かにお世辞にも身綺麗とは言えませんでしたが、それでもやはり、そもそも周りが持ってる着ているものを恨めしく見ていた最中に自分の身に着けているものを馬鹿にされては、当然その心に深く傷を残すのは言うまでもありません。
しかもそれは上級生である私の同級生が私に言っているのを下級生が見ていれば、その下級生たちにすら同じ言葉を浴びせられるようになってきます。

イジメというものは悪循環のお手本のようなもので、それに対して言い返そうものなら、何倍にもなってさらに罵声を浴びせられるため、イジメられている者は何も言えないことを本能的に察するので何も言い返せません。
でもそれもそれで、何も言い返さないことをいいことに、連中は更に罵りはエスカレートする、という、正に四面楚歌のアリジゴクのような状況に堕とされるのです。
私のクラスには同じサッカー少年団に所属する人間が多くいました。
つまりその結果、サッカーをやっている時だけではなく、普段の学校生活の中でもイジメが行われるのは当然のことです。
そう、私はそのイジメによって、好きなサッカーでも、クラスでも、居場所を失ってしまったのです。

イジメの影響

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更に、そのイジメの影響は普段の学校生活だけにとどまりません
それは運動会。
前述のように私の家庭は裕福ではなかったので、当然両親ともにフルで共働きだったため、親は学校のPTA活動なんかに参加できるはずがありませんので、親同士の繋がりも希薄となってしまうのは仕方がありません。
でも、子ども同士の仲が良ければ、運動会など親が参観するような行事では、隣同士で家族ぐるみでお昼を食べたりということが普通に起こるのですが、子である私は学校でイジメられ、親は親同士の繋がりを持ちずらい、という状況下で、運動会のお昼に繰り広げられる上記のようなことが起こるはずがないのは当然の摂理です。
そして運動会当日も両親ともに仕事があるため、朝から運動会を見られはしませんでしたが、私が参加する競技の時間に少しだけ顔を出してまた仕事に戻る、というくらいしか出来ませんでした。
わずかな時間を縫って来てくれたことは、本当に嬉しかったし、感謝しかありません。

そんな状況下にあると、そこで何が起こるのか。

父はただでさえ早い時間に仕事に向かわなければならないのに、運動会当日、普段よりさらに早起きをして学校へ向かい、学校中のどの親よりも早くグラウンドで場所取りだけをしてくれてましたが、どうしても仕事の合間に来るしかなく遅れてしまう母がその場所に行くと、敷いたシートが見事に無くなってる代わりに見知らぬ家族が楽しんでる姿がそこにあったり、
お昼を食べる場所がなくなった上に一緒に食べてくれるような友達も親のPTAの繋がりもないため、母と妹と3人で暗い校舎の教室でお弁当を食べる姿が生れたのです。
あの時は、母にも、妹にも、父にも、本当に申し訳ない気持ちみじめな気持ちでいっぱいで、本当はめちゃくちゃ泣きたいくらいでしたが、必死に気丈に振る舞い、その場にいる母や妹に何ともない姿を見せていました。
因みにその様子はとある先生に見られ、防犯上あまりよろしくないと注意を受けましたが、しょうがないじゃん、と、泣きそうになりながらも抗議をした覚えがあります。

それがあったのが5年生の時で、6年生の時には父は場所取りをすることはしませんでしたし(父は場所取りをすると言ってましたが私が止めました)、昨年の教訓(?)を生かしお昼のお弁当も最初から教室内で食べることを先生に先に伝えて許可を取り済ませました。

話しをサッカー少年団の出来事に戻しますね(笑)

5年生のころから始まったイジメ
なんとか6年生に上がってからもやはりサッカーは好きでボールを蹴っていたかったので、少年団も続けていました。
でも、この世代は早い男子だと身体的急成長が始まる子もちらほら出始める時期で、中には声変りが始まる子もいますよね。
なので、成長の遅い子と早い子で体格差が歴然としてき始めます。
何度も言いますが私は成長が遅く、また平均よりも小柄でしたので、周りのサッカーメイトとの実力差が6年生になって更に広がっていくと同時に、イジメも加速度を増してきました

そうなると、さすがにもう精神的に耐えられなくなり、私はついに、大好きなサッカーを辞めてしまいます
当然親にはイジメられているなどと口が裂けても言えるわけがないため、もう飽きた、などと強がりを言うしかありませんでしたが、親も勘付いてたようです(後々、あんたも小学の時イジメられてたもんね、なんて会話があったため)。

そうして私のサッカーへの関わりは、観戦専門に留まることとなりました。

ただ、サッカーを辞めてからのイジメは、卒業するころには大分小さなものへとなっていったので(無くなりはしなかった)、精神衛生上、少年団から身を引いたのは結果として正解だったと今でも思っています。
それに、この小学校の時の黒歴史は、後々の自分にとってとても大きな糧となりました。
(このことも追々綴ってまいります^^)

意外な救世主

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全く別の話しの様に思われるかもしれませんが、小学5年の12月25日、奇しくもクリスマスの夜に、私にとっての救世主が我が家にやってきます。
ゆくゆくその最期を看取るまでの家族となる迷い犬だったアイヌ犬の、

三太(サンタ)

です(クリスマスの夜に父が仕事場で保護してきた為、即全会一致で決まった名前(笑))。

ちょうど私が6年生の2学期を過ごしていたころ、住んでいた古アパートを取り壊すことが決まり、嫌が応でも次の春には引っ越しをしなければならなくなったのですが、次の住処を探す際に基準となったのが、三太の存在だったのです。
当時父は、犬猫鳥ウサギなど色んな動物を保護してきては元の飼い主や新しい飼い主を見つけていたのですが、何故か三太だけが見つからず、結果として最期を看取るまでの名実共に家族となり、しかも三太が家族となった後はパッタリと迷い犬やその他の動物たちに遭遇しなくなってました

引っ越ししなければならないと判明した時には、既に三太は完全に我が家の家族となっていたため、三太を手放すなどという選択肢は、家族中の誰の頭の中に微塵も生まれませんでしたので、三太も居るから次の住処は賃貸ではなく持ち家ではならないという必須条件も加味して家探しをしていました(当時は賃貸住宅でペット可という物件は今時代に比べると極めて少数だったそう)。
そうして引っ越した住処が、羊ヶ丘小学校のある豊平区隣の白石区に在る現在の実家となります。
天に旅立った後も家族全員が、三太はうちの家族になるべくしてやってきて、持ち家を持たせてくれた救世主だったよねと昔話をします。


さて、なぜ三太が私個人にとっての救世主だったのかというと、イジメてた面々と中学からは離れられることとなったためです。
羊ヶ丘小学校の卒業生は皆一同に、同じ中学校へと進学することに決まっていたので、中学でも3年間強制的に一緒に過ごさねばならなかったはずのところだったのですが、三太のお陰で全然別の中学へと入学できることになったのは、

私は三太のお陰と今でも感謝しています。

三太、有り難う

三太と小学6年の私



自己紹介④へ続きます😊

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それでは


有り難うございました
٩( 'ω' )و


令和3年8月吉日 北煌樹アーサー


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