暗黒太陽伝 ブラック・ドット・ダイアリー(15)(16)
第15話 ただ英国のためでなく……
マクスウェルの話を、菅原が和訳してくれたところによると────。
加賀見台中学校が建っている土地は元々は「鏡台」と呼ばれる小さな丘になっていた。
そこは古代、祭祀が行われていた聖なる場所で、土地造成時に青銅器の鏡も出土している。
丘の頂点はちょうど2ーCの教室があった場所で、そこは日本列島を横断するレイラインの重要なポイントだったという。
国際レイライン協会は英国連邦を通して、日本政府に2ーCの教室の使用権を申し入れ、認可された。
ただし10年の期間限定で、来年4月にその期限を迎える。
この10年間、2ーCを管理していたのは加賀見台中学校に在籍する現役中学生だった。
国際レイライン協会のモットーである現場主義と自主自立の精神に照らせば、この地の学生に管理の一部を任せることが理念にかなっている。
現在、管理を任されている三年生の月本礼香、ツキモト先輩は、初代菅原楓から数えて5代目の管理者。
彼女が来春、卒業したあとは、西堀慶時、君に2ーCの管理をお願いしたい。
つまり、あなたもレイライン教団に入りませんか?
今日この教室へ連れてこられたのは、その勧誘活動のためらしい。
「ちょっと、いいですか」ぼくは口をはさんだ。
「どうぞ」と菅原。
「質問です。形としては、この学校を管理しているのは、ここの教師たちだと思うのですが、彼らはこの件をどこまで理解しているのでしょうか」
「ニホンのきょういくしゃ、さいあくです」マクスウェルが笑った。
「はんぶん、ジョークですが。かれらは、なにもしらないほうがしあわせです」
「私の個人的な経験から言っても、そうですね」と菅原。「レイライン研究会を立ち上げて、二年間頑張りましたが、学校側からは理解も協力も得られませんでした」
マクスウェル(菅原訳)は続ける。
「日本の教師は総じて優秀だとは思いますが、良くも悪くも常識的、自由な発想を禁じられた存在だとも言えます。文科省、自治体の教育委員会、教職員組合にがんじがらめにされている彼らにこれ以上の負担は酷でしょう」
マクスウェル(菅原訳)は続ける。
「国際レイライン協会は公式の団体ですが、核となる活動は非公式です。誰にも知られず、讃えられもせず、世界を裏から支える、縁の下の力持ち。それがわたしたちなのです」
「世界にはすでに紛争と混乱の兆しが現れています。来年は11年周期の太陽活動のピークが予測されています。非常に危険な時期が近づいています」
「一見マイナーなこの場所、2ーCこそ、レイライン上、最も狙われやすいことは10年前の経験でも明らかです」
そこまで話すと、レイライン卿、じゃなかった、マクスウェル卿は、一息つきたいのか、バカでかいペットボトルを持ち上げ、一口、水を飲んだ。
「お話は、わかりました。それで、国際レイライン協会は、ぼくに何をさせたいのでしょう? ツキモト先輩に変わって6代目の管理者になれ、ということですが、具体的に何をすればいいのですか?」
左横に立っていた月本礼香が、ぼくの目の前に右手を突き出した。
Vサイン。
どうした、急に?
「ここにナノチップが入っているの」と言ってツキモト先輩は、人差し指と中指の間を示した。
「2ーCの中の部屋は光のパルスを増幅する作用を持つ特殊な鋼板で覆われています。私の右手の中に、この白い箱のような教室の鍵があるというわけ」
「君の手の中にナノチップを埋め込ませてもらい、この部屋の新しい〝鍵〟になってもらいたい」とマクスウェル(菅原訳)。
「文字通り、君には〝key person〟になってもらいたいのだ」
英国流にうまいことを言ったつもりなのか、マクスウェルはちょっと得意げだった。
ただ、日本政府から英国連邦への、この空間の使用権の貸与は来年の四月で切れる。更新されるかどうかは、まだ不明だという。
「チップを埋め込むのは、別に痛くはないわよ。すごく小さいものだから」
ぼくが少し考えこんでいると、ツキモト先輩が言った。
「ケン、コー、ヒッガイ(健康被害)もありません」とマクスウェル。
「私とはいつでも連絡が取れるようにしています」と菅原。「サポートに熊谷さんもつくから大丈夫よ。熊谷さんの経歴を聞いたら、君はビックリすると思うけど」
ぼくは右に立つ熊谷さんを見上げた。熊谷さんはニコニコしながら会釈した。
身のこなしが妙に軽く、確かにタダモノじゃない感じはある。特殊部隊出身とか、伊賀忍者の何代目とか、だろうか。
「しかし、ぼくなんかでいいのでしょうか? かなり重要な役目のようですが、ぼくは理屈っぽいだけの中二病の中一です。適任者は、ほかにもいるのでは?」
「君は私たちの話を客観的に判断するだけの知力を有しています。そして、知的好奇心はもちろん、これほど勇気と行動力のある中学生は君をおいてほかにはいません」とマクスウェル(菅原訳)。
「最初に君を推薦したのは私なのよ」とツキモト先輩。「私は親がたまたまレイライン協会の会員だったから、割と簡単に活動に参加できた。でも、後任者探しは正直、難しかった。協会から転校生を送り込む案もあったけど、幸いなことに君が現れた。君は自分から興味を持って探りに来たから、これは逸材だと思ったのよ」
「ニシーボォリサン。どうでしょーか? 全世界15万人のレイライン・アソシエイツがあなたにきたいしています。このやくめ、ひきうけてもらえないでしょーか?」
マクスウェルが身を乗り出して言った。
最初に現れたときと同じくらい髭モジャ顔が大きく映し出されている。
ここまで言われて断る理由はなかった。
「わかりました。お引き受けしましょう」とぼくは言った。
おぅ、ありがとーございまーす、と頭を下げるマクスウェル。
左右に立つ二人と菅原が拍手した。
「それでは早速ですが、これからレイラインについての特殊講義を受けてもらいます」菅原が言った。
え、今から⁉
「マクスウェル卿、お願いします」
画面が切り替わり、世界地図が現れた。
そこに引かれた無数の線。
その中で日本列島を貫く一本の線だけが赤に変わった。
赤い線上に「Kashima」「Emperor」「Fujiyama」「Ise」の文字。
どこかで読んだ光景である。
「これがレイライン、です」とマクスウェル。
パワーポイントの皇居と鹿島神宮の間に「2ーC」の文字が浮かび上がった。
何とレイラインは、この教室を通過しているのだ。
いや、もう知ってるし……。
マクスウェルによる特殊講義は、90分間続いた。
第16話 新たなる暗黒の予兆
世界の支配構造は、意外と単純だった。
この地球では、権力を握っている一部の人間たちが、巨大なマネーの力で政治と経済を取り仕切っている。
彼らは国家間、民族間、宗教間の対立をあおって戦争や紛争を起こしたり、支配に異を唱える邪魔な人物を消したりもする。
ここまでは、陰謀論が好きな人たちがよく噂している内容とほぼ同じだった。
では、一部の権力者たちがすべて悪いのか、といえば、そうではない。
彼らもまた、マネーの力で動かされている我々と同じ立場なのである。
お金とは、一種の情報生命体であり、人類はお金に寄生されている。
お金が自らを増やすために、人類は長時間働かされたり、大量に殺されたりしているのだ。
寄生虫に感染したカタツムリが自分から鳥に食われようとしたり、ハリガネムシに寄生されたカマキリが川へ飛び込んだりするのと変わりはない。
お金とは、我々の便利な道具ではなく、我々こそがお金に使われている道具なのだ。
だから支配者も被支配者も、お金の奴隷という意味では同じ存在なのである。
こんな話を聞かされて、お金の支配を打倒して人類を解放しようと立ち上がる人は健康的でいいと思う。グレタ・トゥーンベリさんとか共産主義の人のことだ。
ぼくなんかは、じゃあ限界集落のはずれにでも小屋を建てて自給自足の生活でもしようかと後ろ向きに考える。
それで狂った暴徒たちが攻めてきたら、あっさり殺されてもいいやと思ったりする。
こんな面倒くさいバカバカしい世界からは、さっさと去るに限る。
来世もいらない。
もし異世界に飛ばされたら、また小屋を建てるだけだ。
だが、マクスウェルは「ちがーう!」と言うのだ。
お金の支配を消し去ることなどできない。
戦争も紛争も防げない。
人類はこの先もバカバカしい生活を続けるだろう。
しかし、多少マシにはできる。
それでいいじゃないですか、と言うのだ。
レイラインで世界は救えない。
水道で世界が救えないように、だ。
だが、水道があれば渇きは癒える。
水の循環は生命の基本的な条件だ。
レイラインとは、地球精神の水道である。
太陽を理解し、地球を貫く光の意味を知れば、人類は今よりマシな存在になれる。
我々がやろうとしていることは、地球精神のインフラ整備。
我々は地球精神の水道技師、配管工なのだ、と。
地球精神の蛇口の水漏レ、地球精神の排水口のツマリを解消するのが、ぼくに与えられた使命らしい。
国際レイライン協会────その実態は、暮らし安心クラシアン。
わかったようなわからないような話で、マクスウェルの特殊講義は締められた。
名誉総裁で高等弁務官の英国貴族をもってしても、この世界の真実はこの程度しかわからないようだ。
誰もこの世の真の姿を知らない、というところまではわかった。
それを知って、ぼくはなぜかとても安らかな気持ちになったのだった。
* * *
四月────。
ぼくは中学二年生になったが、別に何か変わったということもなかった。
ただ中二病はそろそろ卒業しようと思った。
中学二年にもなって中二病というのはちょっと恥ずかしい気がする。
自分が何かヤバいことをしたのを中二病のせいにするのはもうやめよう。
これからは、本物のヤバい人になることにしたのだ。
ツキモト先輩は卒業し、早くも高校陸上界で活躍している。
ぼくは先輩に代わって6代目の2ーC管理者になる予定だったが、そうはならなかった。
状況に変化が生じたのだ。
日本政府が英国連邦への空間使用権の更新を断ってしまった。
国際政治の場で英国と日本の関係も変わってきたということだ。
特殊鋼板でできた電子制御のボックスは秘密のうちに撤去され、2ーCはめでたく十年におよぶ閉鎖を解かれた。
教師たちの間では、天井の配管の亀裂は業者の勘違いだったという話になり、新学期から新しい2ーCの生徒が当たり前のように席を並べることになった。
生徒たちは、2ーCの人数が知らないうちに一人増えているとか、自殺した女子の声が聞こえたとか騒いでいたが、一月もたつと静かになった。飽きたのだろう。
だからといって、この教室が安全になったわけではない。
封印が解かれたことで、むしろ危険度は増している。
ぼくは新2ーCの生徒として、ほかのクラスメイトたちと共に教室に座っていた。
ぼくは国際レイライン協会日本支部のエージェント、コードネーム「文庫本(ペーパーバック)」として2ーCに送り込まれたのだ。
ぼくを2ーCにねじ込むくらいの力は、レイライン協会にもあるということだ。
クラスの中で、ぼくは相変わらず浮いた存在で話しかけてくる者もいなかった。
図書室の誰も借りない文庫本のようにただ椅子に座っていた。
一年のときのお騒がせも昔の話になった。
ぼくはスパイとしては理想的な存在感の無さを発揮して学校生活を送っている。
タカハシとの交遊は復活していた。
タカハシはクラスは別だが、写真部の部長になり、キャノンのミラーレスカメラを片手に軽いフットワークで校内のあちこちに出没している。
昨日の昼休みも、タカハシは被写体に飢えているのか、カレーパンをかじりながら「おい、何かおもしろいものないか。おまえ以外で」と言っていた。
「さあな……」ぼくは生返事したが、ちょっと考えて「だが、今年は何か起きるかもな」とつけ加えておいた。
果して、ぼくがタカハシに向かって何気なくつぶやいた「何か」は、間もなくやって来たのだ。
(つづく)