成人
フリーター生活の途中、私は20歳になった。
田舎の友人達が、成人式にみんなで集まるから帰っておいでよと言った。
私も友達に会いたかった。
でも、田舎に帰るとなれば実家に連絡しないわけにはいかない。
いくら友達が事情を知って、うちに来てもいいよと言ってくれても、
そこまで甘える気にはなれず、それを知ったら親は恥をかかされたと激怒するだろうと思った。
噂がすぐ広まる狭い田舎町で、親はいつも問題などない完璧な家族を装っていた。
私は久しぶりに実家に電話をかけた。
リストラされたこと、今はフリーターなこと、彼と住んでいること、成人式に帰りたいと伝えた。
母は、あまりの情報の多さに、一瞬言葉を失った後、ため息をついて言った。
「え?え?フリーターって、、、情けない。で、同棲ってあんた、、、正社員は無理なの?ちょっと待ってお父さんに聞くから」
母はいつも自分で判断しない。こうやって父にお伺いを立てる。
母が大きな声で父に長い愚痴をまくしたてた後、父が一言だけ何かを言ったのが聞こえた。
「、、、いいって。帰っておいで。お姉ちゃんの時の着物があるから、それでいいよね?知り合いの美容院に予約してあげる。」
着物は姉のお下がりかとがっかりしたけれど、とりあえず受け入れられたことにほっとした。
否定されるのには慣れている、予想通りだ、問題ない。
久しぶりの実家は、なんだか懐かしい感じがした。
私は、少し嬉しかったのもあって、めずらしく明るくおしゃべりになっていた。
けれども母は私の話には興味がない様子で、あきれたように言った。
「そんなに能天気に話してるけど、生活大丈夫なの?もっと真剣に就活したら?お父さんも何とか言ってやってよ」
父は読んでいた新聞に顔を向けたまま、ぼそっと言った。
「、、、仕事なんてそんなもんだろう。俺も若い頃は苦労した」
坊ちゃん育ちの父も、それなりに社会人として色々あったのだろう。
私は「子供」として頭ごなしに叱られるのではなく、
「大人」として認められたようで嬉しくなった。
同棲のことも、何も言われなかった。
「お父さんが何も言わないなら、しょうがないわ」と母は言った。
母は、着物がお下がりだからと、美容院代や小物代などを奮発してくれた。
母はいつもこうだ。
学習机も、卒入学のおしゃれ着も、文房具も、いつも姉は新品。私は姉や誰かのお下がり。
足りないものだけを、愛情の違いではないと誤魔化すように、お金をかけた。
総額が同じじゃないことは、子供の私でも分かっていた。
それをずっと不満に思っていたけど、社会人になった私は思った。
安くても、これだけ買うのはあれだけ働いたってことか。子供二人分を揃えるのは大変だろうな。
母が予約をした田舎の美容室で、私は流行りとは程遠いメイクをされた。
それでも、初めてのプロのメイクで、鏡に映る自分は明らかにいつもと違っていた。
成人式の話はつまらなかった。
「成人おめでとう!」という祝賀ムードよりも、
「成人の自覚をもって、、、」と説教をされ、
「成人したからってまだヒヨッコだ。調子に乗るなよ!」と言われたような気がした。
化粧をして着物を着て、わくわくしていた気持ちは一気にそがれた。
久しぶりに会う友人達との時間は楽しかった。
仕事や勉強、恋愛、新しいそれぞれの場所で、みんなが頑張っていた。
たくさん話をして、たくさん写真を撮って、お互いに頑張ろうねと言って別れた。
後で写真を見返すと、
アイドルみたいに可愛い友人達の中に、1人だけ昭和初期の演歌歌手のような自分がいた。
以前の私なら、恥ずかしくて落ち込んで、誰にも会いたくなくなっただろうと思う。
でも、その時の私は思った。
「野獣もプロにメイクされると、芸能人になれるんだな」
少しだけ自分に自信がついた。
そして気づいた。
父に瓜二つだった私の顔は、母にも似てきていた。
帰る頃には、また無口になっていた私に気遣うように、母が言った。
「辛かったら帰ってきていいんだからね。無理しないで」
(実家の方が辛いから帰るわけないよ)という言葉を飲み込んで、
私は「うん。お世話になりました」と言って、東京に戻った。
以前よりも少しだけ、実家は近い存在になった。
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