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【遊びとスポーツの違い】

 「子どもにとって遊びは大切」というのは多くの方が何となく理解しているところだと思いますが、ではスポーツとは一体何が違うのでしょう?スポーツと遊びの違いを知ることによって、乳幼児期から習い事をさせたいと思っている方々の参考になれば幸いです。


【遊ぶとは】

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 そもそも、遊ぶというのはどういうことなのでしょう。砂場にいる3人の子どもたちを想像してみてください。
『「砂場で山を作ろう」というAくんの提案があり、それに賛同するふたり。せっせとスコップで山を作り、満足する高さまで大きくすることができた。そうすると、Bくんが「上から水を流そうよ」と話しかける。これも満場一致で賛同されたようだ。Cくんは「じゃあ、僕は水の流れる道を作っておくね」と、自らバケツを持って水道へ一直線。「ここは真っ直ぐがいいよ!」「嫌だ!ここは曲がり道にしたいの!」などなど、意見がぶつかりあうが、最終的には互いに折り合いをつけて水の流れるルートが決まったようである。
 さあ!Cくんが山の頂上から水を流す。勢いよく上から下へ流れていく様を見て、3人とも目を輝かせて「おおーっ!」と感動の声をあげる。
 「もっと大きい山を作ろうよ!」「もっと長い道を作ろうよ!」などなど、子どもたちはお互いに夢中になれることを探していく、、、。』

 3人の子どもたちの可愛らしくも、想像力に満ち溢れた姿を想像できたでしょうか?勘の鋭い方なら気づいたかもしれませんが、遊びというのは、子どもたちが自らの意欲で持って、時間をかけ、工夫をして作り上げていくものなのです。そこには、年齢の差、発達の差など様々ありますが、そういった壁を取り払って、同じイメージを共有できることが素晴らしいのです。


【スポーツとは】

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 サッカー、野球、バスケットボール。世界には様々なスポーツがありますが、結論を先に述べさせて頂くと、スポーツは「大人のために作られた文化」です。大人は一人ひとり、身体的な差がありますので、それを前提としています。腕力の強い人はボクシング、体力のある人は陸上競技、脚力のある人はサッカーなど、スポーツというのは身体的に有利な特徴を生かして楽しめるように作られているので、そもそも発達の未熟な子どもにとって優れたものではありません。
 そしてスポーツには「勝ち負け」があります。勝ち負けのあることを子どもにさせれば当然、親は熱中します。更に、メディアはスポーツで成功した選手の華々しい場面を多く報道し「スポーツで成功すれば幸せになれる」という刷り込みを知らず知らずのうちにさせられてしまっています。
 こうなるともう大変です。スポーツで成功できるのはほんの一握りの人間だけなのに、成長しつつある子どもの心と体をまるで無視するかのように「早く、早く」とスポーツ選手のような動きをすることを要求されるのです。
 これでは、子どもの健康な心身の発達は望めないばかりか、逆に子どもの心身に歪みを与えてしまいかねません。


【遊びの代わりにスポーツはよいか】

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 「遊べない子どもが多くなった」と言われる現代では、その代わりにスポーツをさせている親や幼稚園、保育園を実によく見かけます。ですが、これで本当に良いのでしょうか。
 本来、子どもは誰かの手を借りずとも自分で面白そうなことを見つけて遊ぶことの出来る力を持った「創造の天才」です。そのはずなのですが、子どもの自然な姿を大切にせずに、大人の都合を押し付けてしまったために本来の発達である「遊びが」できなくなってしまっていることに、私たちは危機感を感じねばなりません。

 子どもにスポーツを与えるということは、本当に子どもの成長を願ってのことではないように思います。一人の人間として尊重する、という視点に立って考えたならば「遊びの代わりにスポーツを」という安易な考え方は、子どもの発達をまるで交換可能な機械の部品の一部として捉えていると言わざるを得ません。


【どんな遊びをすればよいか】

 「子どもとどのように遊んだらよいかわからない」という方もいると思います。そんな時は無理に頑張る必要はありません。自然の豊かな公園へ連れて行ってあげてください。それだけで子どもはワクワクし、道に落ちている様々なもので遊び始めるでしょう。年齢に応じて遊びの内容は変わりますが、子どもが要求することに合わせて遊べば大丈夫です。
 外出が難しく、家で過ごさなければならない方はぜひ、絵本を読んであげてください。絵本は「心の肥やし」と言われるくらい、乳幼児期の心の発達に影響を与えるものです。人気の絵本を読み聞かせてあげることは楽しいですが、親や教育者が「こんな子どもに育ってほしい」という思いで絵本を選び、語りきかせてあげることも大切です。


 また、歌を歌ってあげたり、肌と肌の触れ合いをしてあげることも子どもの心の成長には大いに役立ちます。大好きなお母さん、お父さんの声を聴いている、触れてもらえる時間というのは、子どもにとってこれ以上ない至福の時間です。逆にスマホに子守をさせるようなことは極力避けてください。最近の研究では、スマホを与えた時間の分だけ、子どもの発達が遅れているという結果もあるようなので、十分に注意してください。また、子どもが側にいるにも関わらず、スマホに夢中になることも、褒められたものではありません。緊急の連絡であるなら仕方ない部分もありますが、そうでないのならスマホは電源を切ってカバンの中に入れておきましょう。そして、子どもと目を合わせて会話をしてあげてください。


 「0歳の子どもは会話ができない」と思っている方もいると思いますが、お母さんの声は聴こえていますし、目を合わせてくれることも、語りかけてくれることも理解しています。そして、自分を見てくれずにスマホばかりをいじっている姿も、もちろん見ています。
 「子どもだから」とないがしろにせずに「自分がされたらどう思うか」を意識できると良いですね。


【手塩にかけて育てていこう】

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 以上を踏まえた上で、親や教育者は子どもをどのように育てていけば良いのか。それは「手塩にかけて育てる」これに尽きます。手塩にかけて育てるというのは、子どもが欲しがるものを与え続けることではありません。子どものために頑張っていると、手から汗が出てきます。それでもなお、続けていくと今度は手の汗が乾いて塩になっていきます。それ程の時間をかけ、子どものために学び、手をかけて育てて欲しいということなのです。
 「待ってあげる」というのも、親や教育者にとって非常に大切な子育てです。子どもを信じて、必ず成長するという信念を持ったならば、子どもは大人を信頼し、自分の力で伸びていくことでしょう。

 「保育の神様」と言われた斎藤公子先生は子育てを「錦(にしき)を織る仕事」と表現されていました。手作りの錦は作るのに非常に時間がかかり、同時に大変な労力を要します。どれだけ手間をかけてもほんの少しづつしか織り上がらず、なかなか変わらないように見えますが、実際には少しづつ、確実に変わっていますし、一つとして同じものはありません。
 子どもを育てることも、錦を織ることのように、素晴らしい未来を信じながら、今できることを精一杯、時間と手間をかけて織り成されるものであって欲しいと願います。
 
 子どもたちが意欲的に遊べるようになっていくためには、大人が子どもに何かを教えようとはしなくて良いのです。それよりも、子どもと共に生活すること自体を楽しみながら、その中から子どもの秘めた可能性を発見し、伸ばしてやる方法を見つけていってあげましょう。

ライター:斎藤保育を愛している保育士
斎藤公子氏の「さくらさくらんぼ保育」実践園に勤めている保育士。
決して時代に流されない「子どものための保育」に感銘を受け、様々なツールを用いて情報を発信している。
Instagram:sakura.sakuranbo1920
note: note.com/saitouhoiku1920

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