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【第31話】幻想の中で生きる②

自分が感じていることと現実には乖離があるのかもしれない、と順子は考えるようになっていた。

最近、順子が保育において気になっていたのは、保育者の子どもの理解が浅いということだ。
たとえば保育者の保育記録を読むと、「〜して遊んだ」「〜を楽しんでいた」という記述が多い。
しかしこれでは、子どもが何を楽しんでいたのか、記録を日々チェックしている順子には理解できない。
もう少し丁寧に子どもの興味関心や育ちを読み取って欲しいという思いが順子にはあった。


そんな思いから順子は、つい保育者に強く指摘をするようになっていった。子どもを深く理解しようとする姿勢が失われているのではないかと危惧していたのである。
しかし、ひょっとしたら、保育者は子どものことを理解しているけれども、文章として記述することが苦手なだけなのではないか。


たとえば飛田である。保育経験は長いが、お世辞にも文章が上手とは言えない。記録には一日の出来事を羅列しているだけで、読んでいても面白くないし、子どもの姿が見えてこない。
しかし、今日の飛田と子どもたちとのやりとりを思い出すと、子どもたちのことを理解し、その育つ力を信頼していることが伝わってくる。

就職面接で保育について熱く語っていた飛田が、保育に対して熱意がないはずがない。つまり、子ども理解は十分にできていても、それを表現することが苦手なだけなのだ。


順子自身が、職員のことを理解できていなかったのだ。

まさに、幻想の中で一人であがいていただけだったのかもしれない。一生懸命指摘しても、保育者の変化が実感できず、空回りしていることは分かっていた。

これでは、子ども理解をせずに保育をしているようなものだ。


「ストーリーで読むファシリテーション 保育リーダーの挑戦」一覧はこちら
https://note.com/hoikufa/m/mdab778217cb1

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