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アラサーと呼ばれて【28歳の思考メモ】

こんばんは。ほほえみです。今日もお疲れさまでした!

若者だと思って生きてきましたが、とうとう他人から「アラサー」と呼ばれるようになりました。アラサーも人によっては「若者じゃないか」と考える人もいると思いますが、30歳、と聞くと成人から10年たったわけで(私の時はまだ成人式が二十歳の時でした。)20歳の時よりかは感覚も変わってきたのではないかと思います。

でも、「アラウンド30」と言われることはあまりうれしいものではありません。もちろん、28がアラウンド30なことは認めますし、30(サーティー)がダメというわけではありません。(私も2年後30歳になる予定だし!)
でも、アラウンド30という呼び名には、話し手(その言葉を使う人)からの別の意図をなんとなく感じます。「中学2年生の3学期」を「中学3年生の0学期」と言われるような心地悪さです。「中学3年生の0学期」には、「あなたたちはこれから受験生になるのだから、気を引き締めてくださいね」のような別のメッセージが込められていますよね。それと同じニュアンスを「アラサー」という言葉にも感じるのです。

私個人としては「30歳になる=30年生きる」というだけの気持ちですが、「アラサー」という言葉には「結婚は?自立は?昇進は?」のような、世間や社会、もしくは政府が作り出した「理想の30歳」と押し付けてくるニュアンスを感じます。てか、私は28歳なのに、勝手に30代の仲間にしないでくれよ、とも思います。まだ20代でやりたいことがあるんだよ。


私は女性なのでそう感じるのかもしれませんが、アラサー、アラフォーのような類の言葉はやはり女性に向けて投げかけられることが多いように感じます。何歳になっても今日が一番若いのだから、もういい加減「(見た目だけでも)若いほうがいい」みたいな価値観は廃れてほしいです。「若さは財産」なんて人類共通でしょう。

年齢なんて所詮「何年生きているか」を表す数字に過ぎないんだし、もういい加減、そんな呪縛から解放されませんか?

まだまだ実現の日は遠そうですね。

今日も読んでくれてありがとう。
いい夢見てね♪

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