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#新潟
わし流 にいがたブラタモリの旅 その19 『日本遺産「北前船」の文化財を巡る日帰りツアー』 ⑤ 新潟市歴史博物館みなとぴあみ 編
さて、ツアーの最後は新潟市歴史博物館みなとぴあ。こちらのエントランスホールで新潟古町芸妓さんの踊りを鑑賞。
10年以上まえに古町の料亭で芸妓さんの踊りを鑑賞したことがある。しかしそのときは接待要員として駆り出されてたので、ガチガチに緊張しててほとんど覚えてない。ただ踊りが始まったな、くらいにしか思わなかった。
ところがッ、今回まじまじと芸妓さんの踊りを鑑賞したのだが……
めっちゃいいじゃない
わし流 にいがたブラタモリの旅 その18 『日本遺産「北前船」の文化財を巡る日帰りツアー』 ④ 金刀比羅神社(寄合町)と湊稲荷神社 編
さて、魚や片桐寅吉さんでお昼をいただいたあと、つぎに向かったのは寄合町の金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)。こちらには難船彫刻絵馬(なんせんちょうこくえま)が奉納されている。転覆寸前の遭難から救われたことに感謝して、船主さんが奉納されたとか。
ある日、新潟へ向かっていた北前船が出雲国(島根県)沖で暴風雨にみまわれる。船乗りたちは帆柱を切るなど手を尽くすが転覆寸前のたいへんな状況となる。
そこで万
わし流 にいがたブラタモリの旅 その17 『日本遺産「北前船」の文化財を巡る日帰りツアー』 ③ 旧小澤家住宅と魚や片桐寅吉 編
さて、日和山のつぎに向かったのは旧小澤家住宅。江戸期後半から新潟町で活躍した小澤家の店舗兼住宅で、平成14年に小澤家から新潟市へ寄贈されたという。へぇ〜、意外と最近なんだな。
初代当主である小澤七三郎が江戸期に米取引を始めたことが最初。着実に財力をたくわえ、明治になってから北前船で廻船業に進出する。その後、廻船問屋へと転換し、運送・倉庫業、地主経営、石油商など事業の規模を拡大していって、ついには
わし流 にいがたブラタモリの旅 その16 『日本遺産「北前船」の文化財を巡る日帰りツアー』 ② 金刀比羅神社(西厩島町)と日和山 編
さて、白山神社のつぎは西厩島町(にしうまやじまちょう)の金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)。ここには江戸時代に奉納された北前船の模型が展示されている。
って、ここ、よく通るぞッ。この商店街にある海老ラーメンのラーメン屋さん、仕事で行くぞ。でもこの看板には気づかんかったわ。
金刀比羅神社を目当てに行くときっと目にとまるんだろうな。でもいつもラーメン屋さんだったからなぁ〜、まったく目にとまらんかった
わし流 にいがたブラタモリの旅 その15 『日本遺産「北前船」の文化財を巡る日帰りツアー』 ① 白山神社 編
「新潟市歴史博物館みなとぴあ」特別企画、『日本遺産「北前船」の文化財を巡る日帰りツアー』 なる日帰りのツアーに参加してきた。新潟市内の北前船に関係する文化財、白山神社、旧小澤家住宅、金刀比羅神社、日和山などをめぐる。
新潟市に住んでいる方ならわかるだろう。これらはめっちゃ近くていつでも行けるようなところである。とりわけ白山神社は学生時代から何度も通ったし、その周辺には県民会館やら陸上競技場、りゅ
わし流 にいがたブラタモリの旅 その14 「にいがた古町の堀 〜後編〜」
さてさて、後編はココ、白山神社からスタート。前編でも言ったけど、わし、これまで神仏にはまったく興味なかったから、白山神社にはとくに思い入れはない。
初詣や祭りも行かない。なぜなら人混みがキライだからだ。ま、しいて言うなら、学生時代に古町へ遊びに行くときの通り道くらいか……。あぁ……なんてつまらん人間よ……(汗)
白山神社の鳥居の前も堀だったんだなァ。これはめっちゃ風情あっていい感じ。堀に架かっ
わし流 にいがたブラタモリの旅 その13 「にいがた古町の堀 〜前編〜」
かつて新潟古町にはたくさんの堀が張りめぐらされていた。もともと新潟は港で栄えた街で、堀は舟運による物流の動脈として、重要な役割を担っていたのだ。
そこできょうは古町の西堀と東堀をジョギングしながら、かつての堀の痕跡を探してみようと思う。堀がどこを流れていたかはマップに入力しといたので、それを頼りにいざ、ブラタモリッ。
スタートはここ、早川堀通り。ここには堀を再現したものがあるというのだが……。
わし流 にいがたブラタモリの旅 その12 「古津八幡山遺跡④ 〜生活・ものづくり編〜」
弥生時代後期に起きた争乱(倭国乱)が収まったことによって、人びとは丘陵の上から低地へと集落を移した。その低地にあるのが舟戸遺跡である。
そして空いた丘陵の上につくったのが古津八幡山古墳である。時代は古墳時代へと移ってゆくのだ。
その古墳時代中期、舟戸遺跡の竪穴住居にはカマドがあった可能性が高いという。そうであればここは新潟県内でいち早くカマドを取り入れた集落といえるらしい。
また古墳時代の木
わし流 にいがたブラタモリの旅 その11 「古津八幡山遺跡 ③ 〜古墳編〜」
古津八幡山集落をかこむ環濠の外側から、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)という墓が3基見つかったという。
有力者の墓と考えられてるようだが、その中の一つからは棺も見つかったんだな。そして中からは短剣と矢じりが見つかっている。どうやらムラの長にそえられた品と考えられているらしい。
標高がもっとも高いところに1基だけ、墓道が発達した四角い墓が見つかったそうだ。これは前方後方形への進化の過程での中間
わし流 にいがたブラタモリの旅 その10 「古津八幡山遺跡② 〜弥生時代編〜」
ここに弥生時代の定義が書かれている。それを読むと、ま、簡単に言っちゃえば、人工の田んぼをつくって稲作を始めたころから古墳が出現するまでの期間が弥生時代なんだな。
そしてどうやら稲作は西から始まって東へ伝わっていったようだ。とするとだよ、ここにも書いてあるけど、西と東とでは弥生時代の始まりにズレがあるってことじゃないか。
通常、弥生時代は紀元前9世紀ころからとなってるようだが、新潟の弥生時代の始
わし流にいがたブラタモリの旅 その9 「古津八幡山遺跡 ① 〜環壕集落編〜」
先日、たまたま車で秋葉区を通ったので、ついでに以前から行きたかった「古津八幡山古墳」に寄ってきた。
この周辺なんて何度も通っているし、何度も看板見てるのに、興味がないとまったく目に留まらない。ところが遺跡に興味が出てくると一転、めっちゃ気になり出すのだ。こんな近くに古墳があったのだからね。
古代の日本では弥生時代になって稲作が始まると、土地や米や水をめぐってムラどうしで争いがはじまったのだそう
わし流 にいがたブラタモリの旅 その6 「亀田砂丘の遺跡 〜鎌倉・室町時代編〜」
この時代から日本では武士が登場するんだな。そして流通や経済活動も活発になって、他の地域の焼き物や中国の磁器が発掘されるようになるのだ。
現代の中国産というと、安かろう悪かろうの粗悪品のイメージがある。しかしこの時代の中国は日本よりずっと文明が進んでいて、中国の品は高級品とされていた。
そのため土地の有力者は、中国産の青磁や白磁といった唐物をこぞって所有していたそうだ。つまり唐物は権力の象徴であ
わし流 にいがたブラタモリの旅 その5 「亀田砂丘の遺跡 〜奈良・平安時代編」
これはスゴいッッ! 見よッ、江南区の奈良・平安時代の遺跡発掘マップを。亀田の域を越えて江南区全域、赤点だらけだよッ!
……っと、なんか「赤点だらけ」というワードには、高校時代いい思い出がないせいかビクッとしてしまうな…
ま、それは置いといて、この時代になると亀田は大和政権によってどんどん開拓されていったという。そして平安時代になるとこんどは有力貴族や寺社が開発していくのである。
まあ詳しくは