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《ありがとうエピソード》展覧会のお誘い。

幼少期に私に優しく接してくれた毒親以外の『温かい大人のひとたち』。

そんな人たちとの思い出を《ほっこり♡ありがとうエピソードシリーズ》としてちょこちょこアップしていきたいです。

私が人として希望を失わずにいられたのは、彼らがいたからです。

このエピソードは幼少期ではなくティーンエイジャー(笑)の頃のお話です。

私は15歳で心療内科通いが始まった、筋金入りの毒親育ち虐待サバイバーを自負(?)しています。
私は16歳になっていたでしょうか。
当時通っていた精神科病院では私はカウンセラーさんと相性が合わなかったようでした。
私は民間のカウンセリングルームにもカウンセリングをお願いしていました。
最初は『アンタはおかしいんだからカウンセリングに行きな』と母が私を連れて行っていたのですが、ある日 ベテランのカウンセラーさんからやんわりと『娘への過干渉』を指摘された母は激昂しました。
ヒステリックに喚き散らす母を私は恥ずかしく思いました。
それ以降、私は電車を乗り継いでひとりでカウンセリングルームに通っていました。
(もちろん母自身が『あんなところ行くもんか!』となっていたのもありますが)


趣味を尋ねられたかして、私はカウンセラーさんに話しました。
『私…絵を描くんです』
するとカウンセラーさんがデザイナーさんと繋がりがある方だとわかりました。
するとすると後日、そのデザイナーさんが私の絵を見て『二科展出してみない?』と仰るものだから、私はビックリしました。

地元の二科展は終わっており、東京開催の全国二科の方へ出すことになりました。

絵の勉強なんて中学生の頃にしたくらいで、正直『ホントに、これ出せるの?』と不思議な感じでした。

ハッキリ申し上げて、なかなかに毒気の強い絵でした。
どこに向けたらよいかわからない『憤怒』や『不快感』、『恐怖心』などを描き表したものでした。

結果として小さな賞ではありましたが評価をしていただき、とても嬉しかったことを覚えています。
美大生がとるような賞だとお聞きしました。

その後、私は地域の美術展に出品したり、地元での二科展に出品したりと『表現をする』ことを『自分に出来ること』として認識するようになりました。

18歳になる頃には二科会員になる権利もいただいたのですが、段々と筆が進まなくなっていた頃でしたから辞退してしまいました。



いま思い返すと、私の持つ何かを『いいね!』『あら、面白いじゃないの!』とポジティブに捉えてくれる方に恵まれてきたとつくづく思います。

もちろん、そのポジティブに対して『そんなことないですよ、私なんか全然です〜』と3秒思ったら、
『…そんなにユニークですか?』
    ↓
『面白いって思ってくれたの?』
    ↓
『………わ〜い♡』
とポジティブに乗っかることができる自分の性格もプラスに働いているとは思います。


『やってみたら?』
『面白いよ!これ、いいよ!』

そんな風に背中を押してくれる方たちに巡り合えたエピソードでした。


絵を描くにはどうしても場所をとるため(私の作品はデカい)いまはチョコチョコゆるいイラストを描く程度です。

しかし、服作りやメイクなど『表現すること』を止めないのは『表現できるって素晴らしいことだよ!』と教えてくださった方がいたからだよなぁと思っています。

たぶん、このnoteも私にとっては『お絵描き』みたいなものなんです。


家庭には恵まれなかったけれど、思い返すと自分に影響を与えた温かい人たちがいてくれたなぁ…。




いまでも『表現すること』は続けていますよ。

ありがとうございましたっ(^^)






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