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情景143.「張り詰める姿への羨み」【掌編小説 at カクヨム】

今回ご紹介する掌編小説は、カクヨム投稿の『あなたが見た情景』から「張り詰める姿への羨み」です。

第一線で仕事を果たす作り手。
その姿に胸を焦がされる見習いの子。
私自身斬りつけられるようだ。

何かを作り、いったんカタチになり、そのあと

みなさんは何を思われますか。
どうします?

「よし! できた! 出来は最高! じゃあ今夜は打ち上げね!」
なんて風には、なかなか切り替えられない
のが私です。

麦わらの一味みたいに「宴だァー!」ってわーっとやってみたい気持ちもなくはない……かもしれませんが、ただ、その片隅で、出来たものを睨みながら集中を切らさずにいるヒト、という方も得てしていらっしゃいまして、不意に見かけてしまうとつい、つられて目で追ってしまう。

それを情景にしたのが、この「張り詰める姿への羨み」です。
実際、ひかれてしまうのですよ。

何かが出来たあと、自分は気力を使い過ぎてクタクタのヘトヘト……なんてこともあるでしょう。
それでも、背中を丸めながら、疲れた目で成果物をにらみつつ、張り詰めつづける。

本当にこれでいいのか。
見落としはないか。
やれることはやったか。
受け手に伝わるものができたか。

なんて考え込んで、気持ちを切り替えられない。

カタチになったあとも、それを気にしてしまうのは作り手の性なのかもしれません。
そういう「がんばるヒトの背中」は私の大好物です。

ちなみに、私はどうなのかと言うと……。

私は、書き上げた瞬間というものが好きです。
それが欲しくて書いていると言っても過言ではありません。
思考を執筆に使ったあとで空っぽになった頭の軽さ(言い方)が、なかなかどうして気持ちがいいのです。

書き上げた瞬間の静かな気持ちよさ。
それまでずっと星もない夜の中にいたのに、急に日が登りだして視界がブワっと開けるような。
それを静かに感じるのが、ひとくさり書いたあとの私です。

その断片のようなものについて、以下の情景の記事で少し触れています。

これが欲しくて書いている、というのは格好つけすぎですが。

ただ、そうなりきれないかつての私が、「がんばるヒトの背中」を追えば、作中のように思ってしまうのかもしれません。

ともあれ。
疲れていてもさらにがんばる大人の姿に心を焦がす、そんな途上の青年の情景。
お楽しみください。


あなたが見た情景』は、目の前の景色を眺めるように情景を思い描ける、ちょっとしたお話のあつまりです。

どこからでも何話からでも好きなところから読みはじめて大丈夫。
気になったタイトルをひらいてみてください。



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