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さとり世代?vol.27


わたし、蔦屋書店だいすき。


読みたい本が、ズラーっと並んでて、
次から次へと気になる本が出てきて
あぁまだこんなに知りたいことがあるんだって
ワクワクする。
読書好きって、なんかカッコつけてるみたいであんまり言えなかったけど、こういう時があるから、私は本が好きなんだとおもう。



スターバックスがついてる蔦屋書店は、なおさら良い。
ズラーっと並ぶ姿が図書館みたいで、ワクワクするのだ。
勉強も作業している人も多いからみんなも頑張ってる気がして、あがる。


そんな私は、週に5回はスタバに通う、上顧客なのだ。そう、とくに偉そうに言えるレベルのものではない。最近は暑すぎてグランデのアイスラテは5分で飲み終わる。

私は中目黒にあるpilatesに毎朝通っている。
pilatesがおわって、そのまま帰るのは何だか勿体無い気がするから、いつも代官山の蔦屋書店まで歩き、仕事の前まで作業をして帰るのが日課なのだ。

スタバのテーブルカウンターには本がズラーっと並んでいる。ボーッと座ると、目の前に立てかけているこちらが目についた。

うぉぉ…

と、手に取る。たぶん、ぎくっとしたから、手に取った。

このひと、コピーライターで有名な人だよな。

自己啓発本は、何だか後ろめたさを感じてしまって、あまり読んでこなかった。

選ばれなかった、かー

選ばれなかった、ねー


なんて考えることは多分誰にだって人生に何度か訪れる

選ばれなかったことにガッカリしたり、馬鹿にされるのが怖いから、熱くならないように、最近はいろいろとする前に悟って終わるらしいよ

一昔前まで、ゆとり世代という言葉がでたね
いま、私たちの世代はさとり世代と呼ばれているらしい

ペラペラっとめくると、情熱より現実主義と書いていた、そうなの?

こんなことを思い出す。

4歳のころ、通っていた幼稚園ではプリンセスのドレスをみんなで着てお披露目するのが流行っていた。
私もそれに憧れていた一人だった。
オーロラ姫のピンクのドレスが着たかった。オーロラ姫になりたかったのである。

だけど、私はオーロラ姫にはならず、皆を試着室の外から眺めていた。
着て嬉しがっている自分を母親や周囲に気付かれることは恥ずかしかった。


これは5歳くらいかな


その同じ年、自分の誕生月に
幼稚園のおともだちや、そのママ友が集まってマクドナルドで誕生日会を開催してくれるのもまた、当時の恒例だった。

私は誕生日月が12月。
ようやく自分の番も回ってくるのだ。
何日も前から楽しみにしていた。
当日はやっぱりすごい嬉しかった。

でも、なんだか手作りの紙のサンバイザーを頭につけて、マクドナルドのキャラクター大集合のどデカいステッカーを胸ポケットに貼って嬉しくなっている自分の姿はなんだかとてつもなくダサくて、照れ臭かった。突如、猛烈にその場所にいられなくなり、お腹が痛くもないのに、お腹が痛いといって途中で母親と帰ったことがあった。本当は帰りたくなった。

家で、絶望感に苛まれた。オカンにもう一回戻ろうと言ったが、もちろん叶うはずはない。ああ、なんてクソみたいなプライドだと4歳ながらにおもった。だからこの記憶はよく覚えている。

そんな風になにかを俯瞰的にみたような気になって、人の目を昔から異常に気にする、可愛げもない変な子どもだった。本当はちゃんと普通の、子どもだったのに。

そんなことを本を見つめながら、思い出した。選ばれなかった、という話から、なんとも飛びすぎた話である。
しかしあれも、悟りだったのか?

そういう悟りって、何?あきらめ?見栄?
4歳の頃から何考えてんだ、わたし。

たしかに、何かに熱くなったり、感動したりする姿をみられるのは、ちょっぴり恥ずかしい

そのままの人間らしい姿を見せて
拒まれたり、選ばれなかった事実を知るより、
まだみせてないし、やれるって、やってないだけってプライドや可能性を残してる方が、楽なことだけは昔からちゃんと知っている。逃げている🐥

でも最近、文章を書くことがもっと上手になりたいと、よく思う様になった。そのためにはもっと沢山載せないと上手にならない気がしている。

でも、それまでの評価はやっぱり怖いのだ。
下書きには沢山たくさんたくさーん書いてある。それでも送信ボタンにまでは中々行きつかぬ。

面白いことを書けなかったら、思うように書けなかったら、自分の中の大事にしている感情を言葉にしたことによって、何の価値にもならない表現に変えてしまったら、やっぱり自分できないじゃんって、かっこ悪い自分の現実を突きつけられるのが怖いのである。

いつも動きがダサくて、最初からかっこいいようになんてできないんだけど🐟

でも、
誰かや、何かに選ばれなくなるかも、とか
こう思われるかも、とか
こう言われるかも、とか

そんな他人の指標に合わせた
どことない文章や見栄えよりも、
心の中にある混沌とした気持ちをそのまま
書いてみたい

底に感じてる反骨心や希望だってもっと声にしたいとおもう
誰かのためではない、自分がそうでいたいのだ

それが、もしも自分だけの考えで、他の人には同意されなくても、ちょっと笑われて、自分でも後になって、恥ずかしくて、ぐちゃぐちゃに消したい黒歴史になっても🤣、そこから軌道修正できることだってあるんじゃないか

それくらい失敗したって、許してくれるでしょう
そんな誰も読んでないんだし。いひひ



なんだか、たまたまその夜に読んだこの本は、感動して泣けた
上っ面も、見栄えもない、身ぐるみ剥がされた気持ちを綴る文章はやっぱり生きている

さとり世代って言われたってさ、いつもは悟ったふりして実はどこかに隠れてるちょっとした熱いものをもっと素直に掘り出して、みんなで上に持ち上げていきたいよ

だって、こんなもんじゃないでしょって
私はもっとやれるでしょって

そういうウェルカムな雰囲気、私もっとほしいわよ

そんなに気張らないでさ

海外にいた時に出会った友達が
異国からやって来た理由が空気が乾燥してて過ごしやすいからって言ってたよ。

それくらいがいいよね
突き出た大きな夢や理由なんていらないのだ

だから最近の私のお気に入りの言葉は

「前言撤回」と、「それはそれ、これはこれ」なのである。異論は認める。

そんなふうに時には都合のいいように解釈しちゃお。そんくらい適当になんでも始めて、違ったらやめてみるがいいのだ

私みたいなめんどくさ真面目人間は、そうでもしないと自分の背中を押せる言葉はでてこないのよ。どっちゃねん

だからいつも遠くから色んなことを眺めて、うらましがっていた4歳の私よ

別にオーロラ姫着て、嬉しくなったってええんやで🐟

いつかお母さんになったら代わりに言ってあげよ

お腹すいたから今からバナナたべよー


またねーん


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