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HLAB Alumni Interview #8-1 吉田茉祐(HLABに参加して感じたこと)

HLABは2011年以来、高校生、そして大学生の多くの参加者が、各々のフィールドで活躍しています。

今回は、HLAB Alumniにインタビューをしていく企画第8弾として、2012年参加者、2014年House Leader、2015年実行委員、2016年副委員長だった吉田茉祐さんのインタビューを掲載します。

インタビューは4回に分けてお送りしてまいります。(第2回/第3回/第4回

第1回目は、自己紹介から始まり、HLABに参加した時に感じたことを中心にお話いただきました。吉田さんは、HLABで参加者として何を感じ、どうして戻ってこようと思ったのでしょうか。

──今、何をされているのかを教えてください。

吉田:現在はあるメーカーの人事部門で、20代向けの次世代リーダー育成プログラムを企画・運営しています。

数年前から社内の課題として、巨大な組織の中で仕事が細分化され、一人ひとりの責任範囲が限られてしまうことで、グローバルに勝てるリーダーが育たたなくなっていることが懸念されています。そこで、若いうちから”修羅場経験”を積ませるための次世代育成プログラムが創設されました。

私が担当している20代向けのプログラムでは、部署から推薦された若手社員が、全社の選考を経て、3~6ヶ月海外の拠点に派遣されます。派遣先では現在担当している業務よりも"ストレッチ"したアサインメントを課せられ、現地のスタッフをリードしながらタスクを完遂することが求められます。このプログラムを通して、海外の”現場”でグローバルに考える力や多様なチームをリードする力を身につけてもらいたいと思っています。同時に、頼れる人が少ない中で、自分の力で道を切り開くチャレンジ精神を得る経験になることを強く願っています。

──そういう研修プログラムをひたすら作っていくことを仕事にしているのですか?

吉田: このプログラムは年次で動いているおり、一年の大きな流れとしては候補者の選考、派遣者のタスク設定、派遣開始~終了までのサポートです。
そうしたプロセスと同時並行で、プロモーションのためにホームページを作成、派遣者に向けた研修の企画・実施、またプログラムの改善企画等を行なっています。今年は派遣者/過去派遣者に向けたメンタリングプログラムや、派遣者が内省し自らの”やりたい”を見つけるための研修などを新しく始めました。取り組んでいることだけを見ると、あまりHLABでやっていたことと変わらないかもしれません。

──まゆさんのHLABとの最初の関わりはどのような感じでしたか?どこでHLABを知りましたか?

吉田:とても運命的な出会いでした。私は中学までは部活でスポーツをやっていたのですが、高校に入って「スポーツはやりきった」と思い、スポーツは大好きでしたが少し違うこともやってみたいと思いました。

しかし、出身高校の慶應女子は非常にドメスティックな環境で、「夢中になれる新しいこと」を見つけることは難しく、悶々とした日々を過ごしていました。そこで高校1年生の終わりに、志高く取り組めていることがないと、中学時代のソフトボールのコーチに相談しました。その方が偶然、当時のHLAB運営委員の友人で、「吉田、こういうプログラムがあるから、応募してみなよ」と言われ、初めてHLABを知りました。

正直それだけでは興味を持てなかったのですが、その直後に日経新聞で広告を見た親にもHLABを勧められて、これは”縁”かもしれないと思いました。応募してみようと決めたのが締め切り直前で、前日にエッセイを書いて、バタバタと応募したのを覚えています。

HLABとの最初の関わりは、2012年に高校生としてサマースクールに参加したとき。

──HLABのサマースクールに参加した時は、どんな気分でしたか?

吉田:正直、楽しかった思い出よりも、辛かった思い出の方がよっぽど多かったです。英語はある程度できたので授業は面白かったのですが、閉鎖的な環境で中高時代を過ごしたことで内向きになっていた自分にとっては、あまりに衝撃を受ける場でした。キラキラとした自信に満ち溢れ、カッコいい夢を語っていた同世代の子を見て、いかに自分は考えていなかったのか、プライドがズタズタになりましたね。

それから高校生の時は、とても人見知りだったので、フリーインタラクションの時間が苦痛で仕方ありませんでした。人の話を聞くのは好きだったのですが、自分から質問したり関係構築できず、年下の子がガツガツ質問しているのを見てすごく引け目を感じたのを覚えています。

ハウスも仲良く総じて楽しかったとは思いますが、HLABの期間を通して大きく成長したかと言われたらそうではない気がします。どちらかというと、「自分」という存在が一度ぶっ壊れた、ただ辛い経験でした。
それでも、今でもなぜだか分かりませんが、このプログラムは凄く意味があるものだと感じました。

──自分への意味があるっていうですか、それとも社会的な意味があるということですか?

吉田:社会的に意味があるということです。HLABを通して自分が極端に変わったとか、成長した実感はないけれど、自分の中で何か火がついたような感覚がありました。そうした衝撃を起こせる機会は、狭い世界で生きる日本の高校生にとって本当に意味があるものだと感じたんです。だから自分自身がHLABの活動を支援する立場になりたいと思い、HLABが終わってすぐには、大学生になったら絶対に戻ると心に決めていました。そして、高校3年の3月には大学生HLに応募したのです。

──大学生として戻って来た時は大学1年生だったのですね。

吉田:そうです。高校の終わりに応募して、活動が始まった時は大学1年生でした。

──それはHL(ハウスリーダー)としてですか?

吉田:そうです。

──その時にHLになったのはどうしてですか?

吉田:当時はプログラムを運営したかった訳ではなく、自分と同じような高校生たちに、何か変化のきっかけを届けたいという想いがありました。「高校生のためのプログラム」だからこそ、高校生と一番接点を持てるHLになりたいと、EC(実行委員)になるという選択肢は全くありませんでした。

2014年には、House Leader(HL)として活躍。

──参加者としてのサマースクールと大学生になって最初の1年目のサマースクールだとどういう変化がありましたか?

吉田:個人的にはすごく楽しかったです。SL(セミナーリーダー、海外大学生)が本当に尊敬できる人で、自分にとっての親友のような存在になりました。ハウスに限らず色々な高校生と話すことができて、元々やりたかったことは多少なりとも達成できた気がしていました。

しかし、当時多くのHLが運営に対して不満を持っていたんです。こんなに大事な意味を持った素敵なプログラムなのに、なぜこれほど沢山ネガティブな意見が出てしまうのか、腹立たしいほど悔しかったのを覚えています。
この時、初めて「高校生のため」だけではない、「大学生のためのプログラム」としてのHLABを考えるようになりました。

──高校生の時に辛かった思いが、大学生になって少なくなったのは、なぜだと思いますか?

吉田:それは責任の違いにあると思います。自分が高校生たちをサポートする側にいるからには、自分がなよなよしている場合ではなかった。尊敬しているHLABの先輩がよく話していたように、どんな時も「かっこいい大学生」でいなければならなかった。そんな自分を意識しているうちに、昔の苦手意識はなくなっていました。

──割り切って、高校生のために自分のことは置いておこうという感じに聞こえましたが、疲れませんでしたか?

吉田:全然疲れませんでした。ある意味、大学生としての責任感が生まれたからこそ、自然と変われたのではないかと思います。分かりやすく言えば”キャラ変”したのではないかと(笑)

加えて、サマースクール前に他のHLと何度もミーティングをしていたので、高校生の時のようにいきなり知らない人に囲まれるということはなかったので、状況が全く違ったのかもしれません。

──そこからどうして2015年もやろうと思ったのですか?

吉田:先ほど話したように、自分はHLABは物凄く意義があるプログラムだと思っていたので、運営面のトラブルによって、大学生にとってマイナスな印象が残ることがとても悔しかったんです。

「それを解決するのは自分だ」と思った訳ではないのですが、これだけ課題がある中で翌年度も残る人は少ないのではないかと思いました。なので、残りたいと思っている自分が、翌年のプログラムを良くするために動くべきなのは当然のことだと、2015の継続を決めました。

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