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#2 海に沈み、本に溺れ

 蝉が、目覚めの声を掻き鳴らした。
 梅雨が明け本格的な夏になると、そこら一帯がまるで水面が光を反射するようなきらきらした気配で満ち始める。目には見えない水滴があちこちに漂っている気がするのだ。草木も生い茂りいきいきと生命力を放ち始め、瑞々しく艶やかな葉の先まで、血潮となる水が行き渡っているのを感じる。コバルトの空を我が物顔で悠々と泳ぐ入道雲は、絞ると勢いよく水を吹き出すだろう。たぷんたぷんと水を湛えた腹を揺らしながら空を行く。
 夏になると、水の中のような浮遊感が私を襲う。暑さのせいか、空気のせいか、はたまた夏が見せる幻惑か。すん、とにおいを嗅げば、水の匂いが鼻腔をくすぐるのだ。
 夏という季節丸ごと、水の中に沈んでいるみたいだ。

 幼稚園、小学生の頃、夏休みと言えば海水浴、海水浴と言えば和歌山の白浜だった。奈良在住だったあの頃、同じ関西圏内で出かけやすいからとはいえ、ひと夏に二回も泊りがけで旅行するほど我が家族は揃いも揃って白浜っ子だったのである。
 白浜の海と言えば、白良浜。海岸は名劣り知らずの美しい真っ白な砂浜が弧を描き、透明度の高いマリンブルーの海を囲っている。美しい眺めである。海水浴シーズンになると真っ白い砂浜が見えなくなるくらいのパラソルがひしめき合い、見渡す限り人、人、人、の大賑わい。皆場所取りに忙しく、のんびりと景色を眺めなぞしていたらあっという間に海ではなく人の波に呑まれてしまうだろう。いやはや、夏の海水浴場とは戦場である。
 
 そんな白良浜の海でも、弧の端の方にいけば、人も少なくなってくる。
 私は人気がない静かな場所でひとり泳ぐのが好きだった。
 水の中に潜ってしまえば、自分一人だけの世界が広がる。誰の声も聞こえなければ、姿も見えない。不思議な感覚であり、子どもの頃の私にとっては、探していた秘密基地はここだったのか、とひどく安心させるものでもあった。
 浅瀬より少し深い場所まで泳いでいって、水底まで潜る。そうして素潜りしたまま仰向けになって海面を眺めて泳ぐのが、一等好みの泳ぎ方だった。水底から水面を見上げると、波模様がちらちらと光を反射し、普段なら眩しくて目を細めてしまう太陽も柔らかな日差しを身体の上に投げかける。水のヴェールとその向こうに透ける空は、私を水の虜にさせるのには十分で、何度でも水底に誘った。
 己一人しか知らない秘密の場所、秘密の景色、秘密の宝物。
 水底から見上げる世界をそんな風に思っていたのかもしれない。
 “海”と言って多くの人が連想するのは、空と海が水平線でセパレートされた青一色の景色だろう。けれど、私にとって“海”という言葉から想起される世界は、空と海が重なり合い滲み合った透明な情景なのだった。

 余談ではあるが、白浜にあるアドベンチャーワールドは、遊園地、動物園、水族館の三拍子が揃った夢のアミューズメント施設である。白浜に行った際には是非お立ち寄りを。名物はなんといってもパンダである。東京の上野動物園のパンダばかり有名であるが、白浜のパンダも負けてはいまい。ぐでんと地に伸びて寝ころびながら笹の葉をむしゃむしゃやる姿は、怠け者の王様よろしくふてぶてしいが、そのふてぶてしさも一周回って愛嬌。すべてが可愛く見えてくる。嗚呼、パンダ。なんと愛すべきふてぶてしさ。サファリパークやイルカショー、小動物のふれあい広場も楽しかった思い出がある。動物に癒され安閑としたら、ジェットコースターに飛び乗ってスリルを味わうのも一興。是非足をお運びくだされ。
 閑話休題。
 
 さて、海に魅かれて育ったせいか、本も、海を感じるものが好きである。
 幼少の頃よりずっと手放さず好きな本がある。
 工藤直子さん『ともだちは海のにおい』(理論社)である。
 いわゆる児童書と呼ばれるものであるけれど、海のにおいと優しさが詰まっている。大人になった今でも疲れたときには、ページを開き、目を閉じて、文字の向こうに揺蕩う波音に耳を傾ける。心が安らかになるとはこのことを言う、と私は思う。
 登場するのはいるかくじらである。ふたりが友達になり、お互いの好きなことを話したり、夢を語ったり、さみしい気持ちを共有したり、そんな、なんでもない海での日常が工藤直子さんのほんのり温かく優しい唄を聴いているような文体で紡がれてゆく。一篇一篇は短くて、いるかとくじらの生活を「しつれいします」と小窓から覗いているみたいで、なんだかくすぐったい気持ちになる。
 
 詩もたくさん収録されている。これがまた、堪らなく素敵だ。

 「知られない海の宇宙が
  知られないままに きょうも
  ゆっくりゆっくり まわっている


 なんて甘美な響きであろうか。「海の宇宙」という詩の中でのワンフレーズである。
 幼少期に初めてこれを読んだとき、誰も知らない、誰にも知られていない、静かで穏やかで、そして上も下も右も左も分らない真っ暗闇の深海を、光るクラゲやプランクトンや魚たちがチカチカと星のように瞬きながら、眠るいるかとくじらの周りを惑星のように転回する景色を夢想した。そしてそんな海の世界がどこかにあればいい、と大人になった今でも考える。

 また『ともだちは海のにおい』は装丁がとても美しい
 表紙は手に吸い付くような水色、詩が書かれたページは海の底を思わせる藤色。そうして普通の白いページと相まって、一冊の本の色彩がすばらしいバランスで物語の世界を支えている。
 表紙絵や挿絵には、長新太さんの肩の荷を下ろして一息がつけるような絶妙に気のぬけたイラストがふんだんに使用されている。長新太さんといえば「キャベツくん」シリーズでおなじみの絵本作家であり、好んで彼の作品を読んで育った私にとって、『ともだちは海のにおい』は手放すことのできない作品なのである。
 
 思い描く、海。それは人の数、思い出の数だけ、無限に広がる。
 私の海は、どんなに言葉を尽くそうとも、私だけの海なのだ。
 あなたの海がそうであるように。
 そして今日も、私は海へ潜ってゆく。
 大きく深く最果ての見えない「本という海」へ、幼かったあの頃この本のページを開いたときから、深く深く潜り続けているのである。

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