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きっと、ずっと

突然だけれど、私は現在休職している。
職場で色々あり、自分の身を守ろうとトゲトゲのハリネズミ状態だった。それがひっくり返って起き上がれなくなり、起き上がろうともがく力も無くなってしまった。

私を知る友人や、周りの人からしたら信じられないと言われても仕方ない。
それほど私は、いつも明るく元気で、自分で言うのもどうかと思うがパワフルでよく喋る、うるさいくらいの奴なのだ。

医師から休職するように言われた期間も折り返しになり、家で静かに過ごす日々に一つの小包が届いた。
送り主は、新卒の時に働いていた会社時代の元同期。
伝票には、『ワレモノ』とだけ書かれていて、果たして何が届いたのかと少し身構える。
それにしても、人から自分宛に何かが届くと言うのは、何歳になってもときめいてしまう。
期待で鼻息を荒くしながら、中身を見たい気持ちが抑えきれず少し乱雑に箱を開ける。
すると、丁寧に切られた緩衝材代わりの英字新聞の下に、彼女の地元で有名な銘菓や即席で食べられるうどんなどがびっしりと入っていた。
しかし、これはただのプレゼントではないことは一目瞭然だった。

一つ一つの包装に、その商品の特徴やなぜ選んだのかというコメントを書いたメッセージカードがついていた。
何かが届いたぞ〜!なんていう、ペラっペラの期待を遥かに超えた。

「このお菓子は定番!美味しすぎてすぐなくなっちゃうからゆっくり食べてね」

「紅茶好きだよね?ゆっくりテレビでも観ながら飲んで癒されてね〜」

「このおまんじゅう、素朴なんだけど美味しいの。きっと気に入ってくれると思う!」

彼女の優しさと愛情に、言葉では表せられない気持ちになり、嬉しさを飛び越えて1人へなへなと背中を丸めて座り込んでしまった。

きっといろんなお店をまわって買い集めてくれたのだろう。
丁寧に梱包し、一つ一つにメッセージカードをつけ、お煎餅やビスケットが割れないように送ってくれたのだ。送料だって、安いわけじゃない。

考えれば考えるほど、ずっしりじんわりと心に沁み入り、段ボールの中身を見つめながら涙を溢した。

人が弱っているとき、きっと多くの人はそっとしておこうと考えるのではないだろうか。それも一つの優しさと思いやりだ。
でも彼女は、大きな大きな愛情を目に見える形で送ってくれた。
きっと、何年経ってもずっと、この優しさに救われた気持ちは忘れないだろうと思った。

それと同時に、今は疎遠になってしまった1人の友人との出来事を思い出していた。

あの時救ってくれたのは

高校時代の話。

私の高校生活は、今思い返しても部活一色だった。

練習に明け暮れ、帰宅してからも地元のテニスコートで大人に混じって練習し、クタクタになって寝るような毎日。
勉強は二の次だったので、毎日の授業の予習とミニテストの対策をするので精一杯。
定期テストは一夜漬けが当たり前で、運動部らしく体力を使い、3時間睡眠とかで乗り越えていた。基本的には惨敗。
クラスに張り出される成績上位者の紙なんて見る必要なかった。
それほど、当時の私はテニスに打ち込んでいて夢中だったし、本気だった。

私たちの部では、ダブルスのペアを一度組むと、上級生が引退したことによる組み替えが起こるまで添い遂げる必要があった。
時間をかけて練習を重ね、ダブルスを作り込むことで、勝てるペアにするのだ。
2年生の夏、先輩が引退し、遂に組み替えの時期が来た。
入部したての頃、軟式から硬式への移行がうまく行かなかった私は、同期の中でも下手な方のカテゴリーにいた。
上手くなりたい一心で周りに引かれるくらい練習していたので、入部時からの伸び代がエグかったと思っているのはきっと私だけではないだろう。

その努力が有難いことに顧問に評価され、数名を差し置いて当時上手い層にいた子とペアになれた。
私のペアになったのは、パワーがあって決め所をしっかり決めてくれる、それでいて繊細で丁寧な同級生だった。
彼女は双子で、双子の妹も同じ高校の同じテニス部に所属していた。
とても面白くてそれでいて可愛らしい、今でも大好きな双子だ。

彼女とのペアもなかなかいい感じになってきた高校2年生の冬に、私にとって大事件が起こった。

ある日の練習で、10人いた同期の1人が部活を欠席した。練習の最後は試合形式で実戦力を鍛えるのにもかかわらず、1人余ってしまう。
ご存知の通り、偶数じゃないとダブルスは組めない。
人数を数え状況を把握した顧問が、「誰か〇〇と組んでやって」とアナウンスする。

私はなんの気無しに、「じゃあ私と組む?いっちょやったろうぜ!」なんてノリで、組む相手がいなくなっていた同期に声をかけたのだった。その日は確か、正規ペアの彼女を待たせる形で試合した。
当然、誰かがやらなければいけなかったし、自分だったらいつも組むペアがいないことは心細い。声をかけられたら嬉しいと思ったのだ。

これがまずかった。

私の正規ペアは、私の軽はずみな行動が気に入らなかったのだ。
彼女の目の前で、何の迷いもなしに「違う人と組みまーす!」と立候補し、ヘラヘラやっている私を見て、ひどく傷ついたらしい。

そんなことは一ミリも想像できなかった私は、何事もなかったかのように、なんなら人助けをして偉かった自分を誇らしく思いながら、翌日も部活へと向かった。
朝練を終え、部室で授業に行く準備をしていた時、双子の妹と2人きりになった。
いつもの調子でヘラついている私の姿は、火に油を注ぐことになる。
天真爛漫でよく笑う彼女が、私の問いかけに応じないどころか、目すら合わせてくれない。

そこで初めて、自分がしたことが大きな影響を与えていたことを知った。

双子は誰が見てもわかる仲良し姉妹だ。
痴話喧嘩はすれど、喧嘩するほど仲がいいとはこのことだという言葉が初めて腑に落ちた2人だった。
昨晩、きっと双子の姉が自宅で私の薄情な行動を嘆き悲しんだのだろう。
血のつながりには何を持ってしても抗えず、姉を悲しませ傷つけた私は、彼女の中で100%悪者になっていた。
何が起きているのか。そして、悪いことをした心当たりのない私は、彼女たちの気持ちが理解できなかった。部室で混乱し、固まる私に対し

「自分のしたことわかってる?お姉ちゃんを傷つけるのだけは絶対に許さない」

と語気を強めて言われた。
ようやくこちらを向いてくれた彼女の視線は、見たことがない程鋭かった。
弁明も余地も、弁解の隙もなかった。

彼女の言葉は、その視線と同じくらいの鋭さで丸腰の私に見事に刺さった。

私は衝撃に耐えきれず、何も言わずに荷物を引っ掴んでその場から逃げ出した。
高校生になり、少しづつ人付き合いが上手くなってきたと思っていた。
何より部活の同期10人は本当に仲が良く、バランスの取れた大好きな仲間だと思っていた。
大好きな人から一方的に責められ、パニックだった。
教室に着くと、起こったことが鮮明に整理された。尚更耐えきれず、両目にハンカチを押し付け、クラスメイトには目にゴミが入って痛いだけ、と溢れる涙を誤魔化した。

一度号泣スイッチが入ってしまうと埒が開かず、その日は人生で初めて授業をサボり保健室に駆け込んだ。
普段保健室では見ない顔が、真っ赤に泣き腫らして飛び込んできたからか、先生はひどく驚いた顔をしていたのを覚えている。
保健室の先生に泣きながら一部始終を話した。結局、なんてアドバイスをもらったかは全く覚えてないけど、仲間にあんなことを言われる環境ではこれ以上部活を続けられないと本気で思った。

それでもすぐに「あいつらが嫌だから辞めまーす」と辞められるわけではないのが、わたしの無駄な責任感の強さだ。
その日の放課後も部活に向かった。
今の私なら「そんなん休めよ!」と思うが、理由をつけて後ろめたく思いながら休むより、平静を装う方が簡単だった。

部員みんなが集まり、コートへ向かう。

何事もなかったようにしたい一方、ひどいことをされたから誰かに気づいて聞いてもらいたいとも思っていた。
そして、私と同様に何事もなかったように振る舞う双子とは目も合わさられず、どう言い訳をして、いつ頃辞めようかなんてことをぼんやり考えていた。
いくら平静を装ったと言っても、やはり浮かない顔をしていたのだろう。私を見た部員の1人が異変を察知し、群れから引き剥がすように私の腕を強く掴んで真っ直ぐに目を見た。
そして、ただ事ではないことがお見通しであるように「待って、何かあった?」と小声で真剣に言った。

私は、この時の彼女のことがずっと忘れられない。

***

今朝の出来事知っているのは、おそらく私と双子の妹だけだ。
ペアであった双子の姉は、私に直接何かを言ってくることはなく、姉を守ろうとした妹が起こしたことだった。

あの場で私と双子を除いた同期は7人。
その中で彼女だけが、見て見ぬふりをせずに声をかけ、話を聞き味方してくれた。
その日は部活後も連絡をくれて、彼女が落ち込んだ時によく聴く音楽を教えてくれた。
夜遅くまでLINEに付き合ってくれ、おすすめされた曲を聴きながら眠りに落ちたのだった。
翌日の学校への足取りは言うまでもなく重かったが、その曲を聞きながら自転車を漕ぐと少しだけ気が紛れた。
彼女の支えのおかげで、部活をもう少し続けてみようと思ったのだった。

私はあの時、確実に。
彼女に救われたのだ。

8年経った今でも、私の腕をグッと掴み心配する彼女の顔と、学校の昇降口の前で鮮やかな黄色の葉を落とした銀杏並木が寒そうにしている様子が鮮明に思い起こされる。

25歳の今、思うこと

その後のことは、時間が解決してくれるもので。私も双子もその件について何も言わなかったと記憶している。 
個人的には、一つの出来事として箱に入れて蓋をした。割と強めの、それこそ布タイプのガムテープをビシッと貼った気持ち。
歳を重ねるごとに箱は小さくなっていくものだ。
そうそう、辞めるとか喚いていたけれど部活はしっかりと引退まで全うし、ダブルスでそこそこの成績を納め、みんなで仲良く卒業することができた。

でも、今だからこそ少しだけ考えてみたい。

正直なところ、今思い返しても双子の妹に言われた『自分のしたこと』はわからない。
私の行動でペアが変わるわけでもなければ、私のペアに対する思いに変わりはなかったからだ。
でも当時、確か試合が近かったような気もするし、もしかしたら彼女はとてもナーバスになっていたのかもしれない。
そして、大切な人が悲しむ姿を見て黙っていられなかった双子の妹の気持ちは、今になればわかる気がする。

そんなこんなあったけど、若気の至りでして。彼女たちとは今も変わらず仲良しです。
折に触れて会い、元気をくれる大好きな人たち!
2人に限らず、当時の部活の同期はみんなパワーをくれる宝物。

そして、あの時の私を救ってくれた彼女とは、大学2年生に起きたある事件以来、2回しか会っていない。

この話の、その後会えなくなってしまった女性。

彼女と今後会えるかどうかは、正直わからない。
それこそ、蓋をして仕舞い込めるような出来事というよりも、あの事件は彼女の存在もろとも私の中から消滅してしまったような出来事だったからか、考えることが出来ないでいる。

それでも、当時17歳だった彼女が、17歳の私にかけてくれた優しさと愛情、私を支え守ろうとしてくれた正義は消えないものだと、強く思う。

***

嫌なことした側はそのことを覚えていないってよく言うけれど、実は救った側もそれをそこまで大ごとだと思っていないのかもしれないなんてことを、ふと思う。

そう感じたのは、冒頭の彼女の贈り物を見た時だった。
実は、彼女もちょうど一年間くらい前に体調を崩し休職していた時期があった。
その時、なかなか連絡が取れず心配になった私は、手紙を書き、一緒にお気に入りのお茶のティーバックを何種類か用意した。そして、一つ一つにコメントを書いた付箋を貼ってレターパックに詰め込んだ。
他にも、お気に入りのハンドクリームやキャンディーも同様にして送りつけたのだった。

送った当の本人は、「LINEだと返事をしなければいけない気持ちになるから、手紙の方がいいかな、でも手紙だけだと味気ないな、あ、あれもこれも入れたろ」というおばさん精神から、半ば押しつけのような感じだったのに。

少し前に自分がしたことが、何倍にもパワーアップして彼女から返ってきたのだ。
思っていたよりも、影響を与えていたのかもしれないと、少しだけ過去の自分を褒めてあげたくなった。

だって、受け取ったお菓子たちを見つめ、嬉しくてニヤニヤしているんだから。
もしかすると、私からの贈り物を受け取った一年前の彼女も、今の私と同じような気持ちになったのかなぁ、なんて。
最高な友人を持って幸せ者だし、これがあるだけで守られている気分になる。

そしてこのホカホカする心で思ったことは、
この優しさを、救われたことをずっと忘れないようにしたい、とかじゃなかった。

きっとずっと、忘れられない記憶になる。

だって、もう2度と関われないと思った人のことなのに、折に触れて思い出してしまうくらい、救われた記憶はこんなにも鮮明に、そして綺麗なものとして残っているんだから。

困っている人がいたら、迷わず真っ直ぐ手を差し伸べる。
改めて、当たり前のことを本気でやっていきたいものです。

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