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人生で1番傷ついた話

人間生きていれば誰しも、大きさにかかわらず傷ついたり凹むことがあるはず。
今回は、今まで生きてきて1番しんどかった話。
いまだに傷は消えないけど、時間がいちばんの薬となってかさぶたができたと思っています。

想像してなかった

大学3年生の2月。
私は現地に留学している友人を頼って、イギリスを訪れた。
大のハリポタファンである私にとって、ロンドンはこの世で一番憧れ、ずっとずっと訪れてみたかった地。
小学生の頃からの夢が叶った旅行だった。

楽しんでいたのも束の間、ヨーロッパの寒さを舐めていた私は、完璧な防寒が出来ておらず風邪をひきます。
帰国までに回復することはなく、熱は上がる一方。
飛行機の中でもフルーツと水しか採れないような状態。
不幸は重なるもので、俗に言うlost baggage に遭っていたので、全てが入ったスーツケースもどこへやら。(私の旅行におけるハプニング集に関してはまた今度)

ズタボロの状態でリュックひとつ背負い、命からがら帰国した。
日付を跨ぐ頃に日本に到着する便だったので、空港近辺に住む友人Aに泊めて貰う約束をしていた。その友人Aは小学校からの友人で、高校の部活も一緒だったので家族みたいな存在。
もう一人部活の同期の友人Bがおり、3人で仲良くしていた。
お互いのことをよくわかっており、気を遣わず心地よい関係。2人が大好きだった。
彼女たちに会うために、当時月1くらいの頻度で東京へ足を運ぶ程だった。

いつも通り3人で楽しくお泊りをするはずだったが、韓国でのトランジット中に連絡を受け、私の体調不良を知った友人Bは

「今は就活が控えていて、体調を崩せないの。申し訳ないけど、移るわけにいかないので、お泊まりはまた今度にするね。」

とのこと。
私は快く

「全然大丈夫!自分の身は自分で守らないとだから気にしないで!またお泊まりしようね。」

と伝えた。そうよね、そんなの当然だ。

「ありがとう。Aと二人でご飯だけ行ってくるね!」

友人Aもからも気をつけてきてねと連絡を受けた。到着後、終電間際の電車に駆け込み彼女の最寄駅へ。間に合ったと一安心。
しかし一向に既読がつかない。
電話にも出ない。
行き場に困り、深夜に用もないコンビニを一人でうろうろ。
ようやく返ってきた返信には、終電を逃してしまったとのこと。
私はまず、

「え!大丈夫??どうやって帰ってくるの?」

と心配した。すぐに電話が鳴った。

応答すると、私の状況を聞きつつはっきりしない返事をする友人。
その時、電話口では友人Bと男性の声がした。
申し訳なさそうにコソッと

(大丈夫なので先入ってください!)

と言う声が聞こえた。
私は状況を悟ったが、黙って彼女の判断を待った。

その後に送られてきたLINEは

「今から渋谷来れる?」

「もう終電ないなぁ」

「そっか…タクシーで来てくれればお兄さんが払ってくれるって言ってるけど…
もしくはうちの目の前にホテルあるから、そこ泊まってくれれば、申し訳ないから私がホテル代払うよ…。」

頭の中で試合終了のゴングなのか、心がバキバキに割れる音なのかわからない音がした。
絶望の音。

(あーあ、そっかそっか、帰ってこないのかー
だいぶ前から約束してたんだけどなぁー
熱あるって言ったし、カバンも失くしてメンタルやられてるんだけどなー
そうか、私との友情は相席屋で出会った一夜限りの男どもに負けたのかー)

彼女たちは相席屋を愛用していた。
2人とも可愛い見た目をしていたので、チヤホヤされるのが楽しかったのだろう。
2人とも恋人はいたが、いつでも乗り換えられるように出会いを求めていたらしい。
以前からそれを知っていたが、何も悪いことではないと思っていた。
その日も例外じゃなく、2人で相席屋に出かけ、盛り上がった勢いで2軒目に流れたところだった。

全てを悟った私は、コンビニでホテル探しを始める。しかしどこも満室。
仕方なくタクシーを拾って空港に戻り、ベンチで朝を待つことにした。
深夜2時頃、友人BからLINEがきた。

「時間見てなくて本当にごめん!大丈夫?」

私は心の中で、論点そこじゃねーだろと思いながら、たったひとこと

「大丈夫」

と返した。
それ以外の言葉を伝える気力もなかった。

明け方4時頃、友人AからLINE。

「ごめんね、大丈夫だった?今どこにいるの?今からで良ければうちで寝ていく?」

これに対しても

「大丈夫」

としか、返せなかった。

怒りや悲しみの感情は浮かばなかった。
不幸中の幸いだったのは、機内で運命的に仲良くなった女性と話しながら朝を待てたこと。

私は到底一人暮らしの家に帰って精神を保てるとは思えず、バイトの予定や友人との約束を全て放り投げ実家に帰った。

傷ついて気付いたこと

それから1週間寝込んだ。
熱が下がったと思ったら上がる。
実家のリビングでひたすらディズニーのアニメ映画を観た。
少し体調が良くなったので母と食事に出かけたが、落ち着かずにすぐに帰りたくなった。
こんなのは初めてだった。
生まれて初めて、ひきこもりになる人の気持ちがわかった。
実家”だけ”が安全地帯のように思えた。

実家で引きこもって3日くらい経った朝、初めて自分に起こったことを理解できた。
それまでは正直、うまく受け止められていなかったのだ。

彼女たちは、東京在住でもなければ東京に慣れてもない私が、終電を終えた深夜に一人残され、果たしてどうすると思ったのだろう。
何故、終電を逃したと気づいた時に帰ろうとしなかったんだろう。
何故、駆けつけなくて大丈夫だと思ったんだろう。
何故、ファミレスもない自分の最寄り駅まで来ていた友人を、置き去りに出来たんだろう。
何故、どちらか一方でも、私を想って今日は帰ろうと言わなかったんだろう。

次々と疑問が浮かび、自分が受けた仕打ちが酷いものだったことを理解した。
その時に初めて、悲しくて涙がでた。

今まで積み重ねてきたものが崩れ落ちるとはよく言うが、そうじゃなかった。
崩れ落ちるならば、どんな形であれ物体は残る。時間はかかれど、直せばまた積み重ねられる。
しかし、この時は頑丈に積み重なっていた積み木が2つ、完全に消えたのだ。
心に穴が空くとはこういうことか。
彼女たちの存在は完全に、気化してしまった。

大好きだった友人が、ただの女性になった。

それから

友人Aは、私が実家に着いた頃、長いLINEをくれました。
自分がした仕打ちの重大さ、今までの信頼も全部失ってしまったことへの後悔と、今後も仲良くしてもらえるよう努力したいと、誠実な言葉をくれました。
勇気のいる行動だったと思います。
その後は私の誕生日以外、気軽に連絡をしてくることはありませんでした。
事の重大さを理解していたら、気軽に自分から連絡出来ないのが自然だと私は思います。

それから2年ほど、彼女たちには会いませんでした。正確には会えませんでした。
部活の同期で集まる約束をしていたけど、当日の朝突然熱が出て行けなくなってしまって。
身体が拒否したんだと思います。

3年経った今ようやく、友人Aとは程よい距離感で仲良く出来ています。
過度な期待はせず、ある程度線を引いて。
幸か不幸か同業者になったので、自然と話すことができるようになりました。

未だに当時の話は出来ていませんし、面と向かって謝られたことはありません。

友人Bとは、今後2人で会うことはないと思います。
でも、それでいいや。

はあ、またまた長かったですね。
ここまで読んでくれた方には感謝を伝えに行きたいくらい。

読んでみて、どうでしたか?
「ええ!こんなのあり得ない!アウトォ😡!」
それとも、
「そんな寝込んだり絶縁するほどの事🤔?」
って感じ?

もしこれが自分に起こったら?
もし自分が友人A、Bの立場だったら?
と思い返してみて欲しいなぁ。

もし、今傷ついている人がいれば伝えたいのは
きっと根本的な解決策や、特効薬はないと気付いているはず。
最初にも書きましたが、時間が一番の薬だと思います。
人の不幸な話でも聞いて、こんなこともあるんだなーとか思いながらどうにか気を紛らわして、時が過ぎ傷口が塞がるのを待ちましょう。
その時間に
誰かに助けを求められますように。
落ち込むあなたを励まし支えてくれる人がいますように。
そしてその人を大切にできますように。

私には
私よりも怒って守ってくれた母 と
「はぁ?!あり得ない!みんな想像力が足りてないんだよなぁ考えればわかるのに!」
とその時私が言えなかったことを言ってくれた親友がいました。

傷つかないで済むに越したことはないけど
傷ついたあなたはもっと強く素敵に、そして人の痛みがわかる分だけ人に優しくなれると思います。

良いことも悪いことも長く続かないらしいですし。生きていれば、ね。

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