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テレビの絶叫演出は、なんとかならないか

 チャンネルを回して、テレビドラマにする。
 私は3分と我慢ができず、スポーツ番組かニュース番組に変えてしまう。
 短気過ぎるかもしれないけれど、やっぱり実話が一番かなと。でも、ちょっと寂しい。
 もう重厚なドラマを観ることはできないのか。
 もちろん、日ごろドラマを観る習慣のない私だけの見方ではあるだろう。
 視聴率争いが、厳しいのは分かる。
 テレビは一瞬で視聴者の関心を捉えないと、視聴率は落ちてしまう。この視聴率の危機感から、現場ではあらゆる工夫を重ねていることだろう。
 一方では、「努力逆転」という言葉もある。
 スタッフの死に物狂いの努力が、かえって視聴者にストレスを与えて、結局はチャンネルを変える原因になる場合もあると。
 「昔はよかった」などとは言いたくない。
 でも、抑えた演技と演出の重厚感には得難いものがある。名作ドラマには、新たな人生の経験をさせてもらった充実感があった。
 ドラマが目先の刺激を争って、一瞬の流行りを求め、どこまでも先鋭化していくと、競争は短距離化し視聴率は一瞬の勝負となっていく。
 ところが、日本の人口は全体的には高齢化している。鑑賞者の中心が、以前よりも高齢者にシフトしている。
 この世代は、観る目がある。
 現役時代には仕事が忙しくて本を読む暇がなくても、社会的な経験は蓄積されてデータバンクをもっている。このデータバンクをふまえて、作品を分析する。年配の方の特徴は、その豊富な人生経験で、作品の質を一発で見抜くことにある。
 テレビの製作スタッフは、きっと体力が必要なこともあり、どんどん若いスタッフに入れ替わっていることだろう。高齢化する鑑賞者と、世代交代した表現者の間には、歳の差が乖離していくばかりだ。
 この現象はこの先も、広がるのかもしれない。
 高齢者のじっくり鑑賞したいという欲求は強い。人生の本質をとらえた、普遍的なテーマを追求した良い作品に、出合いたいと。
 この気持ちは、残りの人生を無駄にしたくないという切迫した思いが裏にあるからだろう。この切迫感が満たされぬ苛立ちは、若い世代には理解しがたいものかもしれない。この苛立ちは絶叫演出と演技では満たされることはない。
 この意味で、テレビも腰を据えて、そろそろ長い視点でテーマ性のあるドラマに取り組んでもいいのではないか。スポンサーの理解が必要だけど。
 たとえば、地味で、こつこつと働き努力していく人生を、ドラマの中心に据えるのは難しい。
 でも、名作とは何かと考えたとき、世代を超えて鑑賞者の心に残る作品には、「生きていく実感」がしっかりと捉えられていたと思う。ドラマの登場人物から、一人一人の背負っている何かが観ている者の胸に伝わってくる。
 そんなドラマを観たいと思う。いつかは。 


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