子どもの居場所、心のおきどころ
今回も長い忘備録です。
天気予報を見て、洗濯を沢山したのに、なかなか晴れずに、もやもやと晴れるのを待っているようななんとも言えない気持ち。
晴れたら良かったとすっきりできるのに
夕暮れ時まで晴れずいたら何となく頑張って洗濯したことが損だったような気持ちになってしまう。
どっちにしろ洗濯物は乾くのに、どうしてわたしはこんな気分になってしまうのだろう。
一つ一つ、言葉にしていくとこんな感じなのだろうか。
それとも、もっと混沌としたもやもやなのだろうか。
分からない。そもそも、そんなもやもやを感じていないのかもしれない。
そうなのだ、人は悩んでなんぼだ。
何かに感動して心を揺さぶられる時もあれば
酷く傷ついて落ち込む時もある。
そんな心の動きについていけないからと、
あきらめるのもまたそれはそれで苦しい。
ただ、喜びも悲しみも楽しみも怒りもみんな含めて
自分の歩いてきた道の後ろで形を作っている。
経験を重ねて、自分の信念みたいものもできてくるのだろう。
少年よ大いに悩み苦しんで超えていけ。
本心はそこにある。だから、ぶっちゃけ、学校なんて行きたければ行けばいい。嫌なら行かなければいい。と思っているわたしなのだけれど
世の中の圧に負けてしまう。
一人では戦えない、弱い人間だ。情けない。
そんな母を持つ息子さん。いろいろと思うことがあるのだろう。
毎度、毎度、これで良かったのかと確信が持てずに進んでいく後ろ姿はさぞ、心細いことだろう。ごめんよ。
学校によって、地域によってさまざまなスタイルがあるのだろうけれど、過度の偏食で給食が食べられない。何かと不安になりやすい。ということで、支援級所属での学校生活がスタートした。
情緒クラスなので、何か問題がなければ本来所属するべき通常のクラスに交流という形で参加することになる。
入学当初は基本交流級だったのだけれど、一日の流れが時間割どおりではないことが多く、見通しが立ちにくいのと、どうにも周りが気になり授業に集中できないということで、現状は支援級で受ける授業と交流級で受ける授業とを行ったり来たりしている。
何となく自分は交流クラスの子とは違う活動をしている時もある。
そうしているのは全員ではないということも分かってきた。
けれどそのことに対して後ろ向きな気分になっているかと言えばそうではなく
学校は楽しい。勉強も楽しい。と肯定的なものだった。
それが急に「明日学校に行きたくない」とぼやくようになったり、目の下にクマができるくらい疲れをため込んだりと不穏になってきていた。
何か嫌なことでもあったのかと聞いたところで、話してはくれない。
とは言え、まだ、夜も眠れているようだし、なんだかんだと学校に行けているので、何か学校で嫌なことでもあったのかと思うぐらいで突っ込んで聞くことはしていなかった。
彼の「学校に行きたくない」という言葉にもしかしたら慣れがあったのかもしれない。
いつもなんだかんだと送り出してしまっていた。
しかし今回は時間が解決してくれることはなかった。
帰ってきても「やっぱり行きたくなかった」と泣いてしまったのだ。
これはもう、SOSだと思いまずは話を聞くことに。とはいえ、うまく話してくれるわけではない。この手のスキルがわたしにあるわけでもない。尋問みたいに問い詰めてしまったり、こちらが主体になって話を誘導してしまったり…反省個所は多々あるものの、何とか彼の困っていることを見つけ出した。
知らない間に席替えがあった。
後ろの席になったら、前の人の頭が気になり集中できない。
それで、黒板が見えない。
このことを先生にも言えず、我慢して参加していたのだけれどもう、嫌になってしまったのだ。
それなら先生に事情を伝えようと連絡。
これで一件落着かと思いきや、後ろの席になったのは支援級と交流級での移動など、後ろの方だと他の子からの注意がなくスムーズにいけるという配慮があってのことだったことで、すぐに席を変えることは難しいとのお返事。
まぁ、それはそれで仕方がない。
本人にも事情を説明して納得してもらう。でもなんか違和感。もやもやが晴れない。このもやもやはなんだろう。
確かに本人もすっきりして学校に行っている。席を変える代わりに、不安を軽減すべく、安心できるぬいぐるみなどお守り持参の許可を得たり、交流級での授業も無理しないで参加ということで、一日、支援級で過ごす時間が増えたりもした。
できる範囲での対応をしていただいた。けれどすっきりしない。
息子さん、何となくこのままだと交流級に行くことをやめ、支援級だけで過ごすことを選びそうな感じがしたのだ。
彼がする選択ならばそれはそれでいいのなろうけれど、何かわたしの中でもやもやがおさまらないのだ。
どうにもこうにも何かわたしたちは彼に対して誤解をしているのかもしれない。
もう一度ゆっくり考えてみることにした。
彼の言葉や様子を思い出せるだけ思い出してみた。
「僕だけ交流級と支援級の時間割がある」「本当は朝の活動も交流級の人たちと同じようにやってみたい」「僕は支援級にもいるからクラスの代表にはなれない」「卒業まで今の支援級でいい」などなど、彼の中で他の子と違うことをしているという違和感を訴えている言葉がある。
そして、家の机の前に貼っていた時間割を支援級のものにして、交流級での時間が多い木曜日にバツ印を書いての意思表示。やっぱりなにか引っかかっている想いががあるのだろう。
この一連のことは席替えがあったらしい時期と一致して起きた言動。
席替えの何が嫌だったのか、しつこいけれど、もう一度聞いてみたら、
後ろの席になったことが凄く嫌ではなく、席替えがあったことを事前に知らせてくれなかったこと。自分だけ新しい席を知らずに友達が教えてくれたこと。急にいろいろ変わってショックだったこと。そして後ろの席に座ってみて困ったことを言えずにいたこと。何より、席替えなら自分もできたから参加したかったこと。そして今回の一件で、交流級の担任の先生から何かしら一言が欲しかったとのこと。自分もクラスの一員であることを知ってもらいたかった。
そうゆう気持ちのなかのもやもやを一人で抱えていた息子さん。
わたしが何となく予想して、そうなの?ああなの?と聞いているので本当に本心かは分からないけれどわたしのもやもやは解けた。
彼は何かして欲しいわけではなくただ気持ちを知ってもらいたかった。そして何かそれに対して言葉が欲しかった。
そう彼はしっかり自分で、この授業なら参加できる、この活動なら頑張れると自分の気持ちをしっかり持って交流級に参加していたし、また、クラスの一員としてしっかり自分のことは自分でやるんだと思っていたのに、自分の知らないところでいろいろと変わってしまった。
お友達から教えてもらうことは彼にとってはできないことと同じで悔しくもあり悲しくもあったのだろう。
お友達の名前や顔がようやく座席の位置と一致してきたときの席替え。心の準備もできないまま、自分の居場所がなくなったようなショックもあったのだろう。
頼りどころの先生はどうして教えてくれなかったのだろう。と思ったのにそれを言えないもどかしさ。
きっと大きな疎外感を感じたに違いない。
支援級と交流級、確かに掛け持ちをしていれば、参加できること、できないことはたくさんあるし、全てを息子の都合に合わせてやるというのが無理なの事は十分に承知している。だって学校なのだもの。
見方を変えれば、ただの我がままになることも知っている。
支援級に所属している以上、交流級にはどうしてもお邪魔しているという形になるのかもしれないけれど、それは大人側の事情にしか過ぎない。
単純に嫌だから支援級に居るわけではない。何となく学校に通ってるわけでもない。
本人の想いがあっての日々。
せっかくなら誤解なく、安心して頑張れるものであって欲しい。
今回の件、あまりしつこく話しても先生には伝わらないかもしれない。
実は本人はもうそんなに気にしていない素振りを見せている。わたしに話してすっきりしたのだろう。
ただ、自分の気持ちを先生に知ってもらいたいかきいたら、頷いていたので、連絡帳に手紙を書いた。
息子の話だと学校には何か先生に話したいことがあれば手紙を書いて投函できるポストがあるらしい。話を聞いてくれるカウンセラーの先生も月に1回、来てくれるらしい。
何でもいいから何かあったらいつでもと学校のホームページにも書いているので伝えたいことはとりあえず伝えておこう。
とは言え、想いを伝えるのはなかなか難しい。受けとるのもまた難しい。
わが子が悩む程、わたしもまた悩む。
表面的な配慮や支援じゃきっと埋まらない。
きっと心、気持ちをどうやって繋げていくか、感じてもらうかで、生きづらさが頑張ろうと思えるチャレンジになるのかもしれない。
まだまだ、1年生。
試行錯誤をしながら自分の居場所を見つけていくしかない。
その想いが届きますように。
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