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ミライノコミチ

どうにも言うことを聞いてくれない。
そのイライラが爆発してしまった。
人の痛いとこを突く。怒りの鉄則。
わたしは怒りに任せて
息子にきつい一言を浴びせる。

もうお母さんがいないほうがいいよね。

彼の顔つきが変わった。
更なる号泣。

僕はお母さんが大好きなんだよ。

涙をポロポロ流していた。
わたしは何てことを言ってるんだとは思いつつも
もうあとには引けなくなっていた。

だって君はぜんぜんわたしの話を聞いてくれないじゃない。わかってくれないじゃない。どうしてそんなことするの?ピリピリと棘のある詰問をしてしまった。

僕はミライノコミチから来たんだよ。
家がなくて1人だったんだよ。
だからお母さんのところに来たんだよ。

ミライノコミチ?
何の話やら分からない。
ただ彼はそこまで言うとはち切れんばかりの声で泣き叫んだ。

寂しかったんだ。
だからお母さんのところがよかったんだ。

何か遠くの記憶を思いだすかのように
彼は泣きながらわたしに訴える。

なんだかわたしも泣けてきた。

そうか君は寂しかったんだ。

独りでぽつんと佇む彼の姿が浮かんだ。

友達とさよならをするだけで今生の別れのように泣いてしまう彼。先に1人で帰ることができず、最後の1人になりようやく

みんな帰ったね。また会えるかな。と帰り支度をすることが多い彼。

部屋で1人になると必死にわたしを探しにくる。

とにかく寂しがり屋。

ワイワイみんなといると嬉しくて自分をコントロールできなくなる。

幼稚園に入って欲しいものを聞かれたときに友達と速答した彼。

わたしにはきっと感じたことのないくらいの寂しさがあるんだろうと思っていた。

おかしなことかもしれない。

けれどきっと寂しかったのは今の彼じゃない。彼の遠い前世の記憶。

そんな気がした。

わたしといると寂しくないと思ってやってきてくれた彼。

ありがとう。

君といるとわたしも寂しくないよ。

ごめんね。

昔々の寂しさを思い出させてしまったね。

でも、もう大丈夫。

今は一緒だよ。

君が1人で生きていけるようになるまで
どれくらいの時間が必要かは分からないけど
君は自分でここに来てくれたんだよ。
だからその時がきたらきっと君はまた
自分で道を選んで行くんだね。
その時はもう寂しくないよ。

いつも見守ってるからね。
時々、意地悪なお母さんだけど。
時々、怒ってどうしようもないお母さんだけど。
君が満足できるまで
抱っこしてあげるから
夜も一緒に眠ろうね。

こんな風に想いを言葉にして伝えることができたら
あんなに怒ることもないだろうし
泣くこともないんだろう。
言葉で伝える。
それが得意ではないお母さんでごめんなさい。

全身で泣いている彼をわたしはただ、抱き締めることしかできなかった。
寂しかったね。
もう大丈夫だよ。
そんなことしか言えなかった。

現実も空想も昨日のことも赤ちゃんだった頃のことも
区別なく記憶しているだろう君。
世界はきっとごちゃごちゃで
複雑で刺激的で
生きづらいことの方が多いんだろうね。

それでも頑張って
元気一杯、泣いて怒って笑って喜んで
君の毎日はそれはそれは忙しいね。

どれだけの君の願いを叶えてあげられているだろうか。
どれだけの寂しさと寄り添ってあげられているだろうか。

わたしにできることは一体、なんだろうか。

声を振り絞るかのように泣く君を
もう大丈夫だよ。
一緒だよ。
ごめんね。意地悪をして。
ここにいるからね。
そう言って抱きしめた。

涙が溢れる目を擦りながら
お腹すいた。
そう言って彼はパクパクとお菓子を食べ出した。

ミライノコミチは森にあったんだ。
友達はいたけど僕は独りだった。

まるで昨日のことのように彼はそう言って
話を切り上げた。

きっといつかのどこかの彼の記憶なんだろう。

時々彼は思い出話をはじめる。
急に思い出すらしい。
忘れてしまいそうな小さな約束もきちんと覚えている。
嫌だったことも忘れずに残している。

気持ちを整理しているのか
記憶を整理しているのか
独り言を言いながら遊んでいることがある。
よく聞くと
誰かとした会話だったり
叱られたこと
友達と遊んでいた時に話していたこと
CM のセリフだったりと
様々なことを口にしている。
忘れられないから吐き出している。
そんな気がする。
わたしはそんなときそっと彼の言葉に耳を傾ける。

あぁ、それはあの時の誰かの言葉だ。
今、幼稚園ではその歌を歌っているんだね。
それはわたしの口癖だ。
それはどこだ?
何の話だ?
彼は流ちょうに話を続ける。
どんな景色が広がっているのだろう。
わたしが声をかけると彼のお話は終わってしまう。
だからそっと耳を傾ける。

歌のような彼の独り言は時に面白く時に哀しい。

一般的に、社会的に、科学的に、医学的に、
どの言葉がいいのかは分からないけれど
彼は自閉スペクトラム症といわれる世界と
スタンダードで整えられている世界を
行ったり来たりしている。

二つの世界で生きている彼。
彼が本来もつ個性が時として彼の世界を生きづらくする。
大きな瞳でじっと世界を見つめて
一生懸命に自分の足で歩こうとしている。

彼が話してくれた彼の記憶。
それが前世なのか
彼のファンタジーなのか
それはどうでもいい。
大切なことは
彼は寂しさを知っていること。
彼は寂しさを感じていること。

専門家ではないわたしには
彼を分析するだけの知識も経験もない。
彼を見て
彼の言葉を受けて
わたし自身が彼を感じて
どうするかわたしが決めなければいけない。
正しいのか間違いなのか
悩みながら
彼が生きやすいように
自分で歩いていけるように
試行錯誤しなければいけない。
これはわたしの問題だ。

彼はどこから来たのだろう。
どこへ向かうんだろう。
そっとそんな未来に心を寄せてみる。

生きる喜びを
日々の楽しさを
伝えたい。

もし、人が次の未来に向かうのならば
いつかくるその時に
彼は笑えるだろうか。
それとも彼はまたミライノコミチで
誰かを探すのだろうか。

この世界は美しいのだろうか。
わたしにはわからない。
わたしにもまだ探している。

彼はわたしのことを選んでくれた。
たくさんの喜びを連れてやってきてくれた。

日々の忙しさに飲み込まれ
降りかかる言葉に脅え
壁にぶつかって
それでも前へ進まなければならないと
自分を奮い立て
大事なことをわたしは忘れてしまっていた。
彼にいら立ちをぶつけていた。
ぶつけていないと言い聞かせてぶつけていた。

彼は寂しかったに違いない。
必死で逃げ道を探していたんだろう。

ごめんね。

ただ、それしか言えなかった。

酷く怒られた後、
彼はいつもわたしを怒る。
力いっぱい、涙をこらえてわたしの背中を叩く。

お母さん、怒らないで。
お母さんを怒らないといけないから。
僕、怒りたくない。

叱ってるつもりが最後は感情的に怒ってしまう。
こうなると口喧嘩になる。
お互いの気持ちをぶつけてしまう。

そしていつも彼が切り出す。

お母さん、仲直りしよう。

彼はわたしよりも大人だ。
自分の中にある寂しさに素直でいられる。
勇敢だ。

たくさんのことを彼は教えてくれる。
わたしが感じなかったこと
感じたけれど背を向けてしまったこと。
真っ直ぐでいること。
生きていることに嘘をついていない。

そんな彼にわたしは何をしてあげられるだろうか。

これからも迷いは続く。
それでも
彼との日々は続く。
これからも
迷い続けていくのだろう。
彼と供に。

心の場所を彼に伝えた。
寂しくなったら胸に手をあててごらんと
ありきたりのことを伝えた。

わたしの心と君の心はいつでもつながっているよ。

彼は時々、心の場所を確認する。

僕の心とお母さんの心はここでつながっているの?

そうだよ。

彼は胸のあたりを触ってみる。

うん、寂しくないね。

彼の笑顔は美しい。
どうやらわたしも笑っているらしい。



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