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小さくたって、役に立つ。

今月で1歳10ヶ月になる娘。
ここへきて言葉を真似して発しようとする意欲が高まりつつあるようだ。

数日前、旦那さんと話しをしながら夕飯の支度をしていて、
そろそろごはんができる頃、近くにきた娘に
「あっちの部屋にいるじぃじとばぁばとにぃにを、ごはんだよー、って呼んできてー」
と、冗談混じりにお願いしたら、

娘自ら言葉として発したことのない「ごはん」というワードにもひるむこと無く「うん!」と大きくうなずいて、

「あっち?」
「ばぁばー!ごあぅー!」と繰り返しながら消えていった。
心配する両親をよそに、見事に任務を遂行。食卓に家族が集合した。

1歳児も役に立つもんだ。

子供はいつだって、親の想像を簡単に越えてしまう。

私の実母の病状が急速に悪化した一週間、
悪い事態を想定しないようにと、必死に考えをクリアにしようとしていた私が、
「これだけは絶対にイヤだ」と思っていたことがあった。

それは、葬儀などで、まだ何も分からない1歳の娘が、母の遺影などをみて、「ばぁば、ばぁば!」と場所やタイミングをわきまえずに指さして、騒ぐのではないか、という妄想。

せめて、もう少しわかるようになってからがいい。
いたずらに娘がばぁばと呼び求める今この時期に、母を失いたくなかった。

...実際どうだったかというと。

葬儀の最中は、アンパンマンのラムネを筒から出し入れする遊び食べを延々繰り返したり(←この日初ラムネ)、小さなノートに絵を描いたり、柿の種(減塩)を旦那さんから与えられたりして、二日間、大泣きしたり大騒ぎしたりすることなく、無事に葬儀に参列できた。

告別式の朝、ばぁばにおはようを言おうねと、寝起きの娘と一緒に棺の前に行くと、それまであいさつ言葉は言えなかった娘が、ばぁばーと指差し、「おあよー」と言った。

悲しい朝も、そんなことだけでずいぶんやわらかい気持ちになれた。

母が病院で亡くなり、葬儀までの数日間、自宅に一緒に帰ってきたときも、「ばぁばはね、ねんねなんだよ」と説明して、「いい子いい子してあげてね、ドーンてしないよ」と言うと大きくうなずく。

とはいえ、突如脈絡なく「ばぁばー!」と叫んでトコトコ小走りで部屋まで行き、髪の毛をいい子いい子と撫でて、「ねんねー!」と言いながら自分もその白い布団の隅に寝ようとし、足でばぁばの枕を蹴るなど、終始目が離せない。

けれど、母はいつだって「いい子だねー。世界で一番いい子だねー。」と孫をいたく可愛がっていたので、きっとこんな騒ぎも許してくれているだろうと、もう目を開けることはなくなってしまった母のやさしい表情を見ながら、娘を布団からはがしとって抱き上げ、枕を整えた。

娘の無邪気さに振り回されることで、日常がいつも通り過ぎていく。

斎場でばぁばを呼び続ける悲しい妄想は、現実にはならなかった。

数年前。
私は結婚に縁がないかもと思っていた時期があり、結婚せずに子供も生まない未来も想定しながら生きていた。

けれど、子育てには参加したいと思っていて、単身者が里子をとるには、看護師か保健師か保育士なら独り身(成人の同居人は必要)もいけるらしい、と何かで知識を得て、37歳の時に保育士の免許を取った。

鍼灸師で保育士なら、ベビーシッターの仕事も受けつつ、忙しい子持ちママたちの治療ができる、というメリットも感じていた。

実際その方向性はこれからの私にも必要なものだし、保育士の勉強はすごくためになった。今でも、勉強して良かったなと思う。

...結局、この時の妄想も杞憂に終わった。
保育士試験に合格した翌年には結婚し、夫の連れ子がいてくれたので、妻と同時に母にもなれたし、跡取りを産むプレッシャーもないまま、次の年には娘が産まれてきてくれた。

人生というのは分からない。

私は1歳の娘が、そのうち母のことを忘れてしまうだろうとは思っているものの、産まれて4ヶ月の頃から、ばぁばに会うのに病院にも実家にもずっと付いてきてくれてたこの子が、これからどんな風に育っていくのかは、分からない。

私自身、どうだっただろうか。

遡ること十数年前、私が会社員で昼も夜もPC作業に明け暮れていた頃に、オーバーワークながら、鍼灸学校夜間部に通うことにした時も、母は、一体この子は大丈夫なのだろうかと思っていたに違いない。

でも、母が体を患ってから、鍼灸師の職についたことのありがたさを、母も私も身にしみて感じたと思う。

体を触って感じ取れることがある、脈やその他の状態から、体の中で何が起きているかを想像することができる。

私が大人になって、万年肩こりだった母の肩を叩くとき、治療をするとき、母はよく、
「あんたが小さい頃、小さな手で肩を揉んでくれた時は、正直くすぐったかったけど、「上手ねー、ありがとう!」って言い続けて良かったわ、今こんなに恩恵を受けられるなんて。」と言っていた。

そして、腹水のせいで母の脚がむくみでパンパンになったとき、足を擦っていたところに娘が来て、左足を指差して「ママ!」、右足を指差して「うーうー!(←自分のこと)」と言って、見よう見まねで、その右足を私と同じように擦り始めた。

「そっちの足をやってくれるの?ママがこっちをやるの?」と聞くと「うん!!」と言う。

なんてこった。そして結構うまく擦っている。(リンパドレナージュは力をかけないマッサージなので)

今は幼いけれど、周囲に愛想を振り撒き、盛大に駄々を捏ねる。そして時々、役に立つ。

これからだんだん大きくなって、親の手を離れても、母が私にしてくれたように、私も、口を出すより静かに見守って、大変なときにはサポートできるような母になっていきたい。

いただいたサポートは、子供たちが喜ぶことに使いたいです。そしていただいたサポートの一部は、子育ての合間に何かを作り出す時間を増やしていくための資金として大切に使わせていただきます。