saaikou

鍼灸師です。2020.03.03に母が亡くなりました。日頃から考えていることを書き留め…

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鍼灸師です。2020.03.03に母が亡くなりました。日頃から考えていることを書き留めることで、何かが変わるように。 鍼灸、体と心、言葉、おいしいもの、子育て、家族、運命学、相学、癌、栄養学、相対性理論、量子力学、音楽、猫。

最近の記事

4回目の結婚記念日。

全然noteの記事が更新できないまま、1年が過ぎていった。 どのくらい更新が疎かかというと、2つ前の記事が「3回目の結婚記念日。」、よもやよもやだ。 去年の7月に生まれ、9ヶ月になる末娘は、粗大な四肢運動が活発化、足で周りを蹴り飛ばすし、モノを掴んでは振り回すし、大きな音や声にビックリすると泣くし、母(ワタシ)がいないことに気がつくと泣くし、知らない人に抱っこされると泣くし、じっと見つめている人から見つめ返されると泣く。 5月で3歳になる上の娘は、絶賛イヤイヤ期を謳歌し

    • 子供たちの夢。

      3月に母が亡くなったのをきっかけに始めたnote。すっかりご無沙汰になってしまった。 あれからもう、8ヶ月が過ぎて、その間、私は無事に出産し、延びに延びた家のリフォームが完成し、慌ただしさと快適さにまみれながら、毎日を過ごしている。 新生児はものすごい早さで成長して乳児となり、2歳児はものすごい勢いで「ヤダ!」を連発する絶賛イヤイヤ期に突入し、そこへきて12歳児は、完成したピカピカの自分の部屋でのゆったりゴロゴロを満喫している(←うらやましい)。 平和だ。 私はという

      • 3回目の結婚記念日

        もうすぐ3回目の結婚記念日。 1回目の結婚記念日は、第1子妊娠中。 2回目の結婚記念日は、第1子1歳目前。 3回目の結婚記念日は、第1子2歳目前、第2子妊娠中。 順調なファミリー拡大の凝縮図のようだ。 ありがたいし、あわただしい。 結婚、出産というのは、本当に人それぞれで どちらも全く悩んだことがない人なんて いないのではないだろうか。 もし、どの経験も糧にしかならないとしたら、 自分にとって幸せを感じる経験も、 自分にとって苦痛でしかない経験も、 自分の栄養になり、

        • 小さな世界の中で。

          ふとカレンダーをみると もう3月も終わりに近づいている。 知らないうちに、季節も春になった。 私の住んでいる地域は、いわゆるソメイヨシノの桜の木はあまりなくて、河津桜というピンクが濃くて早咲きの桜が多いので、桜で春の訪れを感じる瞬間は少ないかもしれない。 そして、今年はもう、春を運ぶ美しい桜も散りはじめていることを知った。 数日前、友人が遠方から、花を届けにきてくれた。娘より半年遅れて産まれたチビちゃんと、旦那さんと一緒に。 私の、母のことなど色々心配してくれていて

        4回目の結婚記念日。

          小さくたって、役に立つ。

          今月で1歳10ヶ月になる娘。 ここへきて言葉を真似して発しようとする意欲が高まりつつあるようだ。 数日前、旦那さんと話しをしながら夕飯の支度をしていて、 そろそろごはんができる頃、近くにきた娘に 「あっちの部屋にいるじぃじとばぁばとにぃにを、ごはんだよー、って呼んできてー」 と、冗談混じりにお願いしたら、 娘自ら言葉として発したことのない「ごはん」というワードにもひるむこと無く「うん!」と大きくうなずいて、 「あっち?」 「ばぁばー!ごあぅー!」と繰り返しながら消えてい

          小さくたって、役に立つ。

          花束を家族に。

          昨日、noteを始めたと旦那さんにリンクを送ったら、 「宇多田ヒカルの、花束を君に、の歌が思い浮かんだよ、」と短い返事が来た。 母が病気になってから、一番話を聞いてもらったのは、旦那さんだ。彼のこれまでの人生の経験値と私の置かれていた状況は、全く同じではないものの、意見を聞いたり、分かってもらうには十分すぎるくらいだった。 母は最終的に緩和ケアの病棟に入ったが、入院の時に、通常の必要項目以外にも、たくさん書類に書かされる。人生で大切にしていることは何ですか?とか。どんなこ

          花束を家族に。

          仮住まいへの引っ越し。

          母の葬儀が終わったその翌日。 太平洋にほど近い場所にある関東の自宅に戻った私は、リフォームのための、仮住いへの引っ越しに追われていた。 日々というのはせわしなく流れていく。 大切な人が亡くなると、本当にふとした瞬間に声を思い出したり、笑顔を思い出したり、言葉や仕草を思い出したりして、今まで笑っていたはずの自分が、次の瞬間に、気持ちが込み上げてきて泣きそうになる。というか、ひとりの空間だったら、もう泣いている。 小学1年生の時に父を亡くしてから、30年以上が過ぎ、まさか同じ

          仮住まいへの引っ越し。