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【アジア周遊記4】バイクは轢きにいけ!/文化の生まれる場所(ハノイ・ホーチミン)

ベトナムはハノイ。
ルアンパバーンから飛行機で飛んできました!
思ってたより寒いのね。2月終わり、何も考えずちょうど旧正月テトの期間に着いてしまいました。

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閑散とする街、、、

と思いきや、中心部へ行くと人人人!思った通りのハノイ!

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がちゃがちゃしてるし、ゴミは多いし、いろんな匂いが代わる代わる鼻を刺激、、、

いろんな街を歩いてきて、ハノイは音楽を聴きながら歩けなかった唯一の街だった

そう、バイクだよバイク!すんごいんだほんと!
量もそうだし、なんだろう、容赦ないんだよねあいつら!
車の、人の、「まじか〜?いけるか〜?」というレベルの隙間を、スピードを緩めることなくするする縫って。信号が赤だろうと歩行者がいようと、もちろんスピードを緩めることなくブイーンとアクセル鳴らして。4人乗りくらいまでは当たり前で。すごい確率でなんか荷物ぶら下げて(ザルとか謎の長い棒とか大量の生きたニワトリとか)。
かっこいいんだもう!

多くの方同様「ベトナム=めっちゃバイク」のイメージがあったし、いろんな人からすごいよ〜と聞いてはいたからそれなりの覚悟はしていたけど、実際に街を歩いてみないとわからない彼らの凄みがあった。
様子を伺ってたら永久的に道を渡れないし、青だと思って警戒を緩めたら轢かれそうになるし。歩道を歩いていても勢いよくブインされるし。というかそもそも歩道がバイク。

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ハノイの街を歩きながら聴こうと思っていたアルバムがあったんだけど、そんな悠長に道を歩いてられないので断念。それより斜め後方注意!巻き込まれるな!生きて帰る!


でもめげずに街を楽しんだ。
食べ物は美味しいし、夜まで賑わうマーケットは歩くだけで面白いし、食べ物は美味しいし、お寺や公園や歴史博物館みたいな観光スポットも結構あるし、食べ物は美味しいし、マッサージは気持ちいいし、食べ物は美味しいし、安いし、美味しいし、、、

ラオスで元気を取り戻した私は、いざベトナムで食い溜め。フィリピンやタイでは具合悪くてちょっと痩せちゃったんだよな、、アホみたいに食べる。カーボカーボ!

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屋台のブンチャー。つけそうめんみたいな感じ。

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バインミー。ソウルフード。何入れても美味しい!わけじゃないが一番美味しかったこれは甘辛ソースのチキンにクリームチーズとパクチー。パンはちょいサクがいい。

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人気店のフォー。Theフォーって感じのシンプルさが一番うまい。全然お腹空いてなかったくせに一瞬で終わった。怖い食べ物。

こんなに美味しいものがそこらじゅうにあって、夜遅くまでワイワイ食べてて、みなさんよく肥満にならないよね、ずっと食べちゃうわ。

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目まぐるしくて、危なくて、エネルギッシュで、巨大な食堂のような街、そこに溢れんばかりの人々が生活をしていて、、、
おそらくハノイに住める人間は非常に限られているのではないか。
便利さや治安とかとは別の次元で。限られているというか、選ばれている??
非常に優れたいくつかの能力がなければ生き抜けない。タフだな〜と思う。東京でもそれなりにいろんな都会的能力を培ってきたと自負していたが(パズルのように満員電車に身体を押し込む私たちは外人から見れば匠の協力プレイ)、ハノイの人はもっとなんでもないようにすごい。ハノイを歩いた人は分かってくれると思う。

少しの滞在だったなりに、私にもハノイ人的優れた能力が少しだけ備わったように思う。
人が多いのにも慣れ(新宿駅の人混みにランダムにバイクが混じっただけと考えれば余裕)、マーケットの饐えた匂いにも慣れ、汚い屋台でも気にせず美味しく食べられて、道端に頻繁に現れるトラップのような生ゴミ臭いドブにもセンサーがはたらき、まだ音楽は聴けないけど鼻唄を歌いながら歩けるようになった。

そして何より、バイクへの耐性!
バイクの運河を渡るのにちょいとコツを掴んだのである。

バイクを轢きにいく!

轢かれたくなければこっちからバイクを轢きにいく。
バイクとバイクのスペースに合わせるのではなく、バイクそのものにミートするようにぐんぐんと歩いていくと(あいつらスピード緩めないから)ちょうどバイクの通り過ぎた0.3秒後を安全に通過できるのである。
スペースに合わせると遅いんだよな、次来てるから次。


てなわけで3日間、たくさん歩いて、食べて、鼻すすって、ハノイ人的能力を身につけレベルを上げた私は元気モリモリ。
もうちょっとベトナムいたい!と、ホーチミンにも寄ることに。

寄ってよかったホーチミン!
ハノイと全然違って、シティー的おしゃれな建物がブランドの名前を煌々と光らせ、シティー的若者たちがこなれた様子でタバコを吸いながらたむろしている。みんなの握りしめるスマートフォンのライト、ビュンビュン風を切るバイクのヘッドライト(バイクの凄さは変わらない)、そんな光らす必要ある?ってくらい競い合うようにイルミネートされているビルたち、夜になっても眩しいほど明るい。

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見てください、ユニクロもおしゃん!(久しぶりに見る日本企業のロゴは異常な安心感をくれた!)
この辺りはベトナムの銀座とも言われているエリアで、西洋風の白い建物に高級ブランドがこれでもかというくらい並ぶ。

聖堂やタイムズスクエア前の広場にはちゃんと屋台もあって、そういえばベトナムだったと思い出させてくれる。

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若者がたむろ。
私もホーチミンのシティガールだったら、んじゃあそこで集合ね!的な感じで、男の子にしがみついて毎晩ここへバイクで乗り付けるんだろうか。そんな日々もいいなぁ。

スマートフォンに照らされた顔で大量の煙を吐き出して、足元には屋台で買った食べ物のゴミ。地べたに座わりイヤホンを片耳ずつ分け合いながら、時折大きな口を開けて楽しそうに笑う。
少し浮かれて見えたあの若者たちは、一体どんなことを話していたんだろう。
友達のこととか、恋愛のこととか、学校や仕事の些細な鬱憤とか、この音楽がいいだとか、、きっと日本の若者と同じようなことを話しているんだろうけど、なんだかとっても生き生きとしていたなぁ。

ベトナムを、特にホーチミンを歩いていて、一番印象に残っているのは人々の表情だった。(もちろんバイクもだけど)
人々がどんな顔で移動したり買い物をしたり食べたりしているか。どんな顔で話をしているか。身振りや目線や声の大きさ、たぶんそういうものが社会のムードを表す。
どんどん経済が豊かになって、それはもちろん新たな貧困と格差と競争を作り出しているのだけど、それでも「きっと明日は今日より良い」という基本的な社会のムードが人々を忙しなく動かしていた。ただ道に座ってたばこを吸ったり屋台のお風呂のイスみたいなのに座って麺をすすったりしている人々からも「僕らはどこかへ向かっているんだ」という勢いが感じられるくらいに。

「一昔前の日本にもきっと似たような空気が流れていたんだろうな」
もうすっかり経済の低迷した、あらゆる物事の皺寄せが社会の歪みとなって表出した時代の日本に生まれ、育った私は、そんな風に思いを馳せる。
「僕らはどこへ向かっているんだろうか」という混迷とした、悶々としたうねりの中で、「成長」や「富」といった安直な幸せを定義し直して、信じ切ってきた日本神話を書き直して、なんとか平成という時代をくぐり抜けたんだろうけれど、

「それでも結局、僕らは一体全体どこへ向かっているんだっけ??」


きっと彼らには少しだけ違った色の未来が見えている。
同じようなくだらない話をしながらも、我らとはきっと少しだけ違った色の明日が。
いつか私たちがしていたよう、夜を引き伸ばすように、また明日になればやってくる日常を遠ざけるように、ビールを流し込むのとは少し違っているんだ。
まぁそんな飲み方も、もうしなくなったけど。

地上2メートルまではベトナム、屋台に群がる人々とやっぱり饐えた匂い。上を見上げれば高層ビルや高級ブランドのロゴが闇夜を照らす。
この不思議なアンバランスの中で、若者たちは夜を語らって、大量のたばこと電波を消費し、彼らの新しい世代観を構築していく。
そこから新しい文化が生まれていく。雑踏の中から。

つまり、
ここ数十年の日本が作り出してきた文化が、社会の抑圧や昏迷に対する反作用的なフォースによって助長され、消費されたのだとすれば(私は大方そう思っている、良くも悪くも)、彼らのフォースはきっと違ったものなんだろうなと、そういうことを思った次第です。
最近ベトナムや他の東南アジア出身のアーティストの勢いがあって、敵わないなぁと感じていたので、ホーチミンの夜を歩き若者たちの表情を見て、なるほどなと合点がいったのである。
斯く言う私も、この世代のニッポンの作り出すモノを信じてはいますが。


でもホーチミンで一番好きだったのは、どこでも爆睡するおじさんたちでした。
どこでも寝るおばさんは見なかった、おじさんに限るらしい。
バイクの上、路肩、屋台のイスの上、ほんとおじさんたち、上手く身体をフィットさせてどこでも眠るのね。

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ハンモックまでかけちゃったよ。
いいなマイハンモック、私も持ち歩こうかな。

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