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ショートショート#17『路傍の戯言』②完

 

 不気味な発言をするホームレスに、しかし心のどこかで興味が湧いている自分がいた。きっと、仕事も探す気にもなれず、特段の趣味もなかった俺は、暇つぶし程度の感覚だったのだろうが。

 それからはほとんど毎日、決まってその公園を訪れた。ホームレスはそこにいることもあれば、どこか配給品を求め出かけているのか、留守のこともあった。顔を合わせたときには、お互い暇をつぶすように生産性のない話をだらだら続けた。

あるとき

「仕事は見つけないのかい?」

 ホームレスは尋ねた。そう言われる度に、俺は今自分がしなければいけないことをまんまと言い当てられたようで、居住まいが悪くなる心地になった。

「あなたには関係ないでしょう。」

 つい尖った言い方になった。これでは図星だということがバレバレではないかと自分を恥ずかしく感じ、肩をすぼめた。それに反して、ホームレスは、俺の語気の強さなど全く気にしていない様子で、

「仕事はしたいかしたくないとかの問題じゃねえんだよなあ。」

 そう空を見ながら呟いていた。

「それはそうでしょう。だって、働かないと食ってけないんだから。」

「それさね。働かないと食ってけないから、働いて、そのうえでみんな自分の趣味なり、楽しみを見つけて、満たされてる気になってるんだろうね。」

 ホームレスは続けた。

「国のシステムに準じていりゃ、まあ不自由なく楽しく暮らせるんだろうなあ。でも、そうしないと生かしてやらないともとれるわけさね。みんな、楽しいと勘違いしているだけなんじゃないか。自分は自由だと思い込んで......この国の保証を受ける義務があると胸を張って求めること自体が当然なんだと思い込んでることこそが、もうこの社会なしでは生活ができなくなるんですって降参してることだと皆分からないんさね。なあなんか社会のシステムの手のひらでくるくる踊ってるみたいじゃないかねえ。」

 この人は、明らかにひねくれている。そんなことを言って、ただ反発して、自分の生活の首を絞めているだけではないか。

「あんた、馬鹿なのか。」

「かもしれないな。」

 げらげらと笑っていた。

「結局、配給品やらに生かされている時点で、もう社会に踊らされてるんだろうなあ、わたしもなあ。みんな、システムが体に染み込んじまってんだよなあ。」

 自分のことを話しているのに、どこか他人事のような言い方をするのは、何かから大事なものを守っているように感じた。

 公園からの帰り道、制服を着た学生と度々すれ違った。会社帰りなのか、スーツを着た人を何度もも見かけた。みな違う人のはずなのに、なぜか同じ顔に見えて仕方がなかった。通行人の話し声が笑い声が、頭の中で反響して、吐き気がした。


 それからもあいかわらず公園に住み着く彼のもとに足を向けている。

 しかし、いつの日か、彼はその段ボール製のみすぼらしい自宅を留守にしていることが多くなった。

 顔を見なくなってから2週間が経った。あるのは、1畳にも満たない茶色の塊だけで、彼の姿は全く見ることがなくなった。

 瞼の裏側に光が差し、俺はその眩しさに目を覚ました。段ボールの天井に穴が空いている。その隙間を朝日がすり抜け、俺の目を照らしていたようだった。
 近くにあったガムテープで内側からその穴を塞いだ。

「もうすぐこの家も替えどきか。」

 俺はそうひとりつぶやいて、自宅から顔を出した。

                   完

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 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。以下、ちょっと言い訳がましいつぶやきです。

 もう6月もおしまいだなあと、ふとカレンダーに目を遣ったとき

「6月25日……。」

 何かあったようで、なかったようで、ちょっと頭を捻って思い返すと「あぁ、フーコーの命日か。」と( ´∀` )


ミシェル・フーコー(Michel Foucault )
(1926年10月15日~1984年6月26日)
フランスの哲学者、思想史家、作家、政治活動家、文芸批評家。
フーコーの理論は、主に権力と知識の関係、そしてそれらが社会制度を通じた社会統制の形としてどのように使われるかを論じている。

Wikipedia


 せっかくだから何か読んでみようと、自宅の本棚から彼の著作を引っ張り出すも、重いし読み返すのにも骨が折れる……。


 ということで、代わりといってはなんですが、フーコーの入門書『フーコー 主体という夢:生の権力』貫成人著 を読み返した次第です\(^^)/


 舞踊学を専門とされる著者。まさに言葉で踊るような律動的で洗練された文章です。それをもってして、分かりやすく解説してくれるこの作品と著者にいつもいつも、頭が上がりません。


 というわけで、著者から見たフーコーについて、考えながらぼんやりと書いた短編ですが、結局のところ彼の思想とはずれにずれきった話に(笑)

 加えて、勢いで書いたので、文章もはちゃめちゃです。

「やっぱりフーコーすごいなあ」「それをかみ砕いて文章に起こす著者もすごいなあ」と、安直な感想しか出てこない(笑)

乱文失礼しました。


「こうして自分にとっては好ましくない規則に囚人は自ら従うことになる。本人の意に反して、本人の行為を制御する規範が、こうして「内面化され、当人が自ら従うようになったものをフーコーは、「規律」とよぶ。規律とは内面化された規範だ。これが生の権力における規律化のメカニズムの縮図である。」

「学校教育とは、放っておけば多種多様でありうる各自の行動・思考様式を「規格化する装置なのだ。」

ともに『フーコー主体という夢:生の権力』貫成人

         


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