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お店のあるまち

去年の秋頃から、平日はうち、休日は父親のうち、と過ごし方を決めた息子。長い休みも半々で行き来する。いつのまにか本人の気持ちやそのときの全体的な状況や状態で、こうなっていた。

最初は、息子が休日に全くいなくなることに、「わたしでは不足なのだろうか?ほんとうは父親と暮らしたいのだろうか?」などと葛藤があって、本人に何度も確認したけれども、「そういうことではない」と何度も言われ、わたしにはわからないけど、彼にとっては今こうあるのが望ましいんだな、と思うようにしていたら、わたしの過ごし方や物事の考え方も変わってきた。息子の自然な自立のほうへついていくことは、わたしにとってもいい影響があると次第にわかってきて、今はこれが日常になっている。

父親の家で何をして過ごしているのか聞かないし、言わないし、知らない。話したいときに話したいぶんだけでいい、というわきまえも、人と人とが暮らす中では大切。家族だから、親だから、母だから、父だから、子だから、女だから、男だから、という目に見えない囚われから、まず自分が自由になる。自分で自分を自由にする。

この先はわからないけれど、息子が望むこと、わたしが望むこと、思っていることを都度出し合って、お互いの変化を歓迎しながら、尊重しながらやっていけたらいいなと思っている。

とはいえ、息子の生活の軸はやはりこのまちにある。休日をまとめて息子と過ごせるこのGWを大事にしたかったのと、天候に引きずられて体調もよくなかったこともあって、後半はあまり予定を入れずに、思いついたところに行き、楽しい範囲で、疲れすぎず、動いている。

きのうは「やっぱりこのまちはいいね」と言い合うことが何度もあった。適度なせまさ、近さ、ひらかれぐあい。そして、「お店」があることのありがたさ。商店。

このまちに来たばかりの頃、友だちや知り合いもいるにはいたけれど、日常で声をかけ合う人がまだ少なかったときに、わたしたちの存在に最初に気づいて、声をかけてくれていたのが、お店の人だった。そのうちの一人は、もうこの世にはいなくなってしまった。そのときに、人間らしい暮らしの中には、商うお店があり、お店の人との温度のある交流が、人間をさらに人間らしくしてくれる、ということに気づいた。

前のまちでは、わたしは完全でいなくてはいけないようで、苦しかった。家と外との分断が激しかった。ここでは、完全などは存在しなくて、みんな好きなようにやっていて、なければつくればいいし、今までなかったこともおもしろがってもらえる。意図してもしなくても知らず補い合っていて、循環の輪の中にいる。家から一歩外に出ても落ち着いていられる場所がたくさんある。家と外の境目はあるにはあるけれど、自然に続いていく感じが心地よい。

そういうあれこれも経て、仲良くなったお店の人に、「大きくなったねぇ」など、息子もわたしもたくさん声をかけてもらって、きのうはつながりを感じてあたたかだった。


Home is where the heart is.


「東京はお金がないと生きられないところ」というフレーズを聞いたことあるけれど、そうかなぁ?

わたしの実感としては、贈与しあって、お互いにお互いの居場所をつくりあっているところ。多様性があって、気の合う人がすぐ見つかって、会いやすくて、今は気の合わない人とは距離がとれて、息がしやすいところだなと思っている。今のところは。

どこでだれとどんなふうに暮らし働き、生きていくのか。
自分は自分のそれしか生きられないから、ときどき他の人の話を聴いてみたくなる。