予定と予定の間に 時間ができて 私は一度家に帰る 街の喧騒 家の静寂 その空間で 私は 「いま」を取り戻す 日々の忙しさは うるさい 自分は自分の見失っていく その中で 家に帰ると 私は 「わたし」を思い出す 暮らすことが全て 暮らしこそが全て そんな空間 家 外は うるさい 車の音 余計なもの 街の喧騒 家の静寂 そんな中 家に帰ると 私は 「いま」を取り戻す 日々の忙しさは うるさい 自分は自分の見失っていく 街の喧騒 家の静寂 そんな中 家に帰ると 私は 「わた
吉本隆明は、「人間、この劇的なるもの」の影響を受けたのかな? 「人間は運命に従っているのが幸せ」などの考えがまるで同じ。 作家としてのモチベーションがどこにあるのかを、僕は知らなかった。しかし、自分がこれ(note)を書いてるモチベーションと似ていることは意外であった。 (一括りにしていいかは置いといて)吉本隆明の考える良い文学作品の条件は、面白かった。人間の根源という観点は持っていなかったため、これから新たな見方ができる学びであった。 見出しの答えを明確に答えていなか
からっぽのときに からっぽに こころを流される時間
感情という花の根っこは どうなってるんだろう ある時 これだ、と思っても 別の時 別の これだ、がやってくる どうやら一輪の花には 奥深く たくさんの根っこが広がってる
自分を守るため 私は いろいろなことをした 友達が離れていくのは 悲しいから 自分の言いたいことを 我慢した ノリが悪いと 思われたくないから 行きたくなくても 着いてった そうやって 気付いたときには 私は 自分を守るために 自分を殺した。
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困ってるから、助けてあげたい、と思っていた。しかし、ただ僕を利用したかっただけ。 信じていたのに、裏切られたことに悲しくなる。 結局誰でも良かったのではないか。都合よく自分を利用したことへの苛立ち。 信じていたのに、裏切られたことへの悲しみ。
空っぽの中に、あらゆるものを受け入れてゆく。 一つ一つ、唯だ受け入れてゆく。
止まる日常。 時間は刻一刻と動いているけれど、その時間によって作られる日常というものは、どこか止まっているように思える。 変わらない日常。 物は刻一刻と変化し続けるけれど、その物から作られる日常というものは、変わらないように思える。 日常というものが確固とした形や定義があるわけではない。しかし、僕らは時折、これこそが日常である、と感じる。 感じるということは、決して頭から何かが湧き上がるのではなく、心から何かが湧き上がってくる感覚が近い。 何かを捉えるとき、構成要素のいく
カーテンの合間から差し込む太陽の光に、優しい柔らかさを感じるのは、なぜだろう。 その光は、部屋に直接射し込んではいない。狭いところから、滲み出て、ゆっくりと、ゆっくりと、拡散していってるようだ。そこには、美しさというより、優しさがある。そして、その優しさが、部屋全体を優しく包み込んでいる。 包み込むということ。この言葉を聞いて、何を想像するだろうか?パイ生地が具材を包み込む。会場全体を包み込む歌声。さまざまな使われ方がある。その中でも、僕が想像するのは、自分が人生では経験
すみれはすみれのように咲けばよい。 春の野にどのように影響を与えるかは、すみれのあずかり知らないことだ。 図書館から見る景色は、いつも似ている。 様々な色の表紙をもったたくさんの本が、内容ごとに分類されて、置かれている。そして何より、決して、それらは動かない。毎日変わり映えすることなく、ただそこにあり続けている。この景色が変わり映えをするとしたら、それの主体となるのは、人である。 今僕の目に映る景色には、「2つ」の、人がある。 変わり映えのないこの景色の中にある人は、景色
その先に、何があるのか。 何を、君は作り出すのか。何を、君は生み出すのか。 望んでいたものが実現できると、嬉しい。そして、その喜びから、それを通して、自分が何をしたかったのか、吹き飛んでしまう。だけど、本当に大切なのは、この吹き飛んでしまう部分。 本当にそれを望んでいたら、いろいろなことが吹き飛ぶくらい嬉しいのは、仕方ない。だからこそ、吹き飛んでることに気づいたら、もう一度、向き合おう。 何かに通る。受かる。いける。それはただ、喜びを消費しただけ。
友人が、「ビタミンCを電流に乗せて、皮膚に流すことでニキビを治す」という怪しい治療を受けた。 治療に対する感想 ビタミンCを電流に載せることは、経皮吸収量を増やすことはできる。しかし、ニキビに対するビタミンC投与は、ガイドライン上では推奨されてない。つまり、電流を流して投与量を増やしたとしても、現在の科学では、それがニキビに効くとは言い切れない。 一部の情報は正しいから、なんとなく他も正しく聞こえてしまう。 ああ、怖い。
心が窮屈になったり、どこか怒りを感じていたり、どこか不安に感じてる時がある。そんな時は、 感情を表現する。全力で。 駄々をこねる自分や、怒鳴り散らかす自分。さまざまな自分が、自分の中には存在する。それを表していく。一つ一つ。ぶちまける。 これらの自分を心の中にだけ留めて、頭で解決しようとした結果、本当は何を思ってるのか、分からなくなり、辛くなる。 思いっきり、表現する。演技でもいいし、文章でもいいし、歌でもいい。とにかく自分の感情を一つ一つ表現していく。 感情を表現
人には、人の環世界が存在する。 それは決して同じでない、可笑しく、素晴らしいもの。 それぞれの人が、それぞれの人の環世界を愛し、表現していく。 多様なものが多様なままにあり続ける枠組みとしての社会に、在り続けたい。
時代の流れを掴むために、論文を読んでいる。しかし、テーマが大きければ大きいほど、点を一つずつ打っているだけで、全体の流れが見えてこない。 これで大丈夫なのだろうか?箱から床へばら撒いてしまったレゴのように、点は点のままごく僅かの繋がりとともに終わるのではないだろうか? 流れを読むために、読んでいるのに、バラバラの点で終わることが不安であった。 そこで、一度立ち止まり考えてみた。どうすれば、論文を読んでいて、流れが掴めるようになるのか? 結論からすると、keywordを