空っぽ

止まる日常。
時間は刻一刻と動いているけれど、その時間によって作られる日常というものは、どこか止まっているように思える。
変わらない日常。
物は刻一刻と変化し続けるけれど、その物から作られる日常というものは、変わらないように思える。

日常というものが確固とした形や定義があるわけではない。しかし、僕らは時折、これこそが日常である、と感じる。

感じるということは、決して頭から何かが湧き上がるのではなく、心から何かが湧き上がってくる感覚が近い。
何かを捉えるとき、構成要素のいくつかの項目があり、一つ一つチェックをつけていき、全ての項目にチェックをつけ終わったところで、湧き上がってくる。これは、頭から何かが湧き上がってくることであろう。心から何かが湧き上がってくるということは、決してそうではない。空っぽの中に、何かが湧き上がり、満たされていく。このような感覚が近いのかもしれない。
空っぽにすることで満たされていく。

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