ひとり焼き鳥

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私たち、きっとちゃんと家族してた

男手一つで育ててきてくれたことに感謝をしなければいけない。誰がどう見ても道理であるその事実に、私も理屈では当然ながら納得している。ただ、素直になれていないからなのか、生かしてくれたこと以外でその人を肯定できる要素がないからなのかは分からないのだけれど、そういった類の言葉をかけたことも、かけられたこともなかった。 ヒューマンドラマでよくあるような山あり谷あり、雨降って地固まるような関係は、父と私との間には全くない。ただ残された二人が生きていくためにすべきことを、淡々とこなして

    • 変わらないと、揺るがないは、たぶん違う

      「まったくどいつもこいつもさー」 髪質の良さが分かる整えられた黒髪と嫌味にならないほどよく品のあるメイク。すでに夜も深くなってきたにもかかわらず、シワも目立たず綺麗な白を保っているブラウス姿には、あまり似つかわしくない言葉たちを、私は正面で数時間受け取り続けている。 背もたれのないドラム缶のような丸椅子には、クッションのような素材がついているものの、とても長時間座るように設計されているようには見えず、トイレに立つとすっかりお尻の跡が残っているのが分かるくらいには居座ってい

      • 生徒と講師じゃ進路志望も行先立たぬ

        それなりの勉強をして、それなりの学校を出て、それなりの会社…とは縁がなかったこともあり、結局アルバイトをしていた学習塾にそのまま就職した。 特にやりたい仕事でもなかったので、第二新卒の就職活動もなんとなくしてはみたもののしっくりこず、結局これで5周目の夏期講習を迎えている。 バイト時代も含めれば10周目を目前に控え、年齢としても30の後ろ姿が見え始めている。海のある町の小高い丘の上にある個別指導塾。県内チェーンで展開しており、新設される教室もあって頻繁に校舎異動もある中で

        • 正しい顔は変顔よりよっぽど変だ

          「はい、チーズ」 カシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャ… 「何枚撮るんだよ!」 ケタケタと腹を抱えては空を仰ぎ、馬鹿みたいに笑う。そんなワンパターンの繰り返しを、飽きることもなく私達は繰り返している。 いつもの校舎やコンビニやファミレスやラウンドワンとは違い、旅先のテンションが後押ししてくれていることももちろんあるが、このメンツなら大抵いつもこんなもの。いつでもどこでも同じというと、とてもつまらなく退屈なようにも聞こえるが、当人たちからすれば、むしろ

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          ポップコーンおじさん

          朝から何も食べていない。もともと朝食はとらず、昼が最初の食事なのだが、その始まりの一食にありつくことができなかった。そうして私は予約していたレイトショーを待つ映画館のロビーにいる。 食事をしながらの映画鑑賞は、何だか食べる方に集中力の半分を持っていかれてしまうような気がして、基本的にはなるべく避けるようにしている。しかし今日は状況が違う。むしろお腹が空きすぎて集中できない恐れがある。そんなわけで開場が始まったにも関わらず、このロビーの中央で売店のメニューを遠巻きに睨み続けて

          ポップコーンおじさん

          身の毛もよだつ怖いエレベーター

          嫌いなわけじゃない。むしろ職場では頼りになる存在だ。 難しい仕事にも嫌な顔せず、粛々とこなしていく姿には尊敬の気持ちもある。ただ仕事以外で会話をするような機会はあまりなく、他の社員からもプライベートな話は聞いたことがない。 ビシッと整ったスーツ姿と、物怖じしないポーカーフェイスも相まって、なかなか砕けた感じにはなれない雰囲気があるだけ。 エレベーターの中である。 昼休み明け。いつものようにオフィスまで上がるところだが、たまたま先輩と鉢合わせになった。1階の扉の前で交わした

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          ジャングルジム・チャレンジ

          息子がジャングルジムから飛び降りたとき、私はその姿を落下点から見上げていた。 空に飛び立とうとする息子の顔は、希望に満ちていた。 彼が何を見ていたのか、それとも何も見てなどいなくて、そのときの衝動のみに突き動かされていたのか。少なくともその目だけはただただ真っ直ぐであった。 彼が着地で倒れ込むまでのその瞬間、世界はスローモーションだった。見上げる私と、おそらくは彼自身もそうだったであろう。私たちは、地上とは異なる時空の中にいた。 「いってーーー!」 涙目に張り上げられ

          ジャングルジム・チャレンジ

          何周目かの通勤電車

          「先ほどの落雷の影響により、本線は現在運転を見合わせております」 列車内のアナウンスが流れるが、こちらにはもはやどうしようもなかった。 ぼんやりとするしかない間にも、大粒の雨が列車の窓に激しく打ち付けられている。 今週末は3連休。それを見据えた夜の車内は、アルコールの匂いも相まって、こころなしか空気が明るく感じていた。課されている重圧から、一時でも逃れることができるというのは、学生でも勤め人でも、それぞれ同じだけの開放感がある。 閃光が走ったかと思うと、すぐに大きな轟音

          何周目かの通勤電車

          夏山雪男がやってくる

          教室脇の掲示板。誰の仕業か学級通信とともに、怪しげな鋭い視線をこちらに送る男の姿が貼ってある。選挙ポスターの様相を呈したそれは、オールバックの色黒男。 「亜紀は行く?ふれあいホール」 机の上からむくりと立ち上がる顔に、おかしな線の跡が間抜けについている。 「ああ。あれ、夏山雪男?どうしよっかな。遥香は?」 二人の視線は、オールバックの色黒男と合っていた。 「あたしはね、別に好きじゃないんだよ、ああいう勢いだけの笑いは」 「出た、遥香のお笑い談義」 「いじってんじ

          夏山雪男がやってくる

          口を噤んでグッドラック

          「今年も4月になりまして、新しい生活が始まられた方も多いのではないでしょうか」 いつも爽やかな朝のニュース番組から、より一層の晴れ晴れしさを誇張しようとする声が聞こえる。 「春は出会いの季節でもあれば、別れの季節でもあります。今朝も急なニュースが飛び込んできました」 そんな桜色のBGMの中、ただひたすらに続けてきたルーティンをこなし、いつもと同じ背広を着て、いつもと同じ時間に家を出る。 「ちょーショックなんだけど」 「ガチ。引退ライブとかやらないわけ?」 「なんで急に

          口を噤んでグッドラック

          本音は有料

          「本音を知るにはお金が必要だよ」 店内の席が近かったからか、さほど大きくもない声が鮮明に聞こえた。 10代くらいの女性の言葉は、目の前の中年男に向けられていた。 「さっき1個食べたじゃない」 頭を掻いた男の前で、女はメニュー表に赤く輝く苺パフェを力強く指さしている。 「でもパパ、話、聞きたいんでしょ?」 男は仕方なく店員を呼んでいる。 それから少しして、女の前には苺パフェ、男の前にはコーヒーのおかわりが届いた。 話の内容までは聞き取れなかった。 盗み聞きはよろしく