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変わらないと、揺るがないは、たぶん違う

「まったくどいつもこいつもさー」

髪質の良さが分かる整えられた黒髪と嫌味にならないほどよく品のあるメイク。すでに夜も深くなってきたにもかかわらず、シワも目立たず綺麗な白を保っているブラウス姿には、あまり似つかわしくない言葉たちを、私は正面で数時間受け取り続けている。

背もたれのないドラム缶のような丸椅子には、クッションのような素材がついているものの、とても長時間座るように設計されているようには見えず、トイレに立つとすっかりお尻の跡が残っているのが分かるくらいには居座っている。厨房かどこかからやってくる煙の香りが充満するその居酒屋の店内は、賑やかさのピークを脱していた。そんな環境もまた彼女の容姿には全く似つかわしくないなと思った。

会社や取引先、友人やその他多くの男たちの癖のあるエピソードトークを、こうしてマシンガンのように定期的に浴びせてもらえる。もう何年も続いているということもあってか、私の体はそれを受け取るのがすでに習慣化されてしまっている。

今回はそれに旦那の話が加わった。以前の話を前段とすることはあれど、同じ話は基本的にしない。常に新ネタをベースに展開してもらえるその寄席は、私はいつも一人だけの特等席にいることができる。人がどうかはわからないが、私自身、うんざりするようなことはこれまで一度もなかった。それが分かっているからこそ、そういった他者の感情にも敏感であるはずの彼女も、比較的好き勝手に話していることができるのだろう。

「そこまでいうのになんで結婚したの?」
「こんなもんタイミングよ、タイミング。今さら何が一番良かったとかじゃないでしょ。運命みたいな絶対的なもんがあるわけじゃなしに」

この世界に絶対なんてものはない、というのは昔から彼女の口癖だった。

彼女との付き合いは幼少期まで遡る。幼稚園の3年間と小学校でも4年間はクラスが一緒だったが、さすがに学校もそれを見かねてか、5年生になって初めてクラスが分かれた。色々あったこともあり、中学校ではまた3年間一緒で、そこからは学力の差も相まって別々の道を進んだ。

とはいえ実家は近所のままなので、放課後や週末には頻繁に会っていたから、実際に会う頻度が少なくなったのは、彼女が大学進学のために上京するようになった頃が最初だった。溜まりに溜まった愚痴を受け止めるこの儀式が定期的に訪れるようになったのは、思えばその頃からだったかもしれない。

私は高校を卒業した後はそのまま地元の会社に就職することができた。彼女以外に友人が多いわけではない私にとって、彼女から聞く東京や大学の話は、彼女の口癖とは対照的に、皮肉にも絶対的なものだった。

同じ地元で同じような幼少期を過ごしたにも関わらず、こうまで人間に差はつくのかと何度も考えたことがある。性格も言動も容姿も、一緒にいること以外は全て真逆だった。彼女は昔から頭も良くて勉強もできて、運動もできて、友達も多く異性にも好かれ、私はそうじゃなかった。ずっと一緒にいることが誰から見ても不思議だったであろうくらいに。

いつも私の知らないことを教えてくれるし、なにか困ったことや迷ったことがあったら、彼女に聞けば、たいてい答えを出してもらえた。いつもどんな問いにも、ピシッとした姿勢と真っ直ぐな眼差しから、よく通る声で、理路整然と正論をかざしていく。理屈が立っている言葉には、ときに痛いくらいの鋭さや冷たさが含まれることがあるが、不思議と彼女の言葉にそれを感じることはあまりなかった。そんな彼女の言うことが私にとって絶対的だったのは、いわば必然だったのかもしれない。

「もうだめかもぉー別れるかもぉー」

深夜の公園のベンチの上。私にとっての絶対が、ミネラルウォーターのペットボトルを握りしめながらうなだれている。私は居酒屋にいたときと同じように、うんうん、とうなづきながら聞いていた。

「どうして一緒にいてくれるのぉー」

絶対は、今にも泣き出しそうな声で言った。と思う頃には涙が頬を伝っている。その目はすでに開ききらなくなっていた。

実は私も同じ質問を彼女にしたことがあった。もちろんそのときは未成年なので、目はしっかり開いていたし、顔もこんなに真っ赤にしていない。

彼女と違って私は誰とでも馴染めるタイプではなかったので、集団から意図的に省かれることもわりとあった。自然とそうなってしまうのは自分のせいなので仕方がないと思えるのだが、同じ状況であっても、他者の積極的にそうしようという意思を感じられてしまうときは、こんな私でもそれなりに傷ついた。

それが初めてあったのが、ちょうど彼女とクラスが分かれた小学校高学年の頃。彼女からすれば、こんな私に構う必要なんてなかったのだと今でも思う。他の子達と同じようにしていたって、今と同じように、いやむしろ今よりも順風満帆な生活を送ることができていたであろう。

でも、彼女はそうしなかった。というより、彼女はそのときも何も変わらなかった。それまでと同じように私と一緒に学校へ行き、一緒に帰り、放課後も遊んだ。もちろん彼女のことなので、いつも二人きりではないから、一緒にいた彼女の友達は居心地を悪そうにしていた。そうして彼女自体が集団から省かれたときもあった。それでも彼女は変わらなかった。

「どうして私と一緒に帰るの?」

そんなときに聞いたのだった。どうして?何それ?、と彼女は言った。

「当たり前すぎて考えたこともなかった」

そっか、と言って、そのときも結局いつもと同じように帰った。

今も昔も彼女の言うことややることには、言葉で説明できる明確な理屈があった。だから、そうじゃないものもあるんだなと、あの日に私は思った。理屈のないもの、理屈を考えるまでもないもの、いや、理屈や言葉にしてしまえば中途半端なものにしかなり得ないから、そうする意味がない、と言っていたような気がする。多分、そのときに表せるような丁度よい言葉がなかったから、私たちは当たり前としか言うことができなかったのかもしれない。

そしてそれを20年越しに逆に質問されて、そうか、私の言語力は結局成長することはなかったのだな、と思わされていた。

「君が当たり前だって言ったんでしょうが」

もう帰るよ、と言って肩を貸しながら立ち上がらせる。あたりまえー、とどこかで聞いたことがあるような無いようなメロディーでボソボソと歌い始めた。駅と逆方向に歩いてきたので、タクシー乗り場までは少し距離がありそうだ。小さくため息をついて、もう一度気合いを入れて担ぎ直す。

「これが当たり前じゃないからな?」

私の中の絶対は、いつも揺らいでいる。私の肩の上で、開ききっていない目から時折涙を流しながら叫んでいる。絶対なんてものはない、をまさに地で行っているといえる。揺らぎ続けているから、信じようと思える。だから大切にしようと思ってしまうのである。

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