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私たち、きっとちゃんと家族してた

男手一つで育ててきてくれたことに感謝をしなければいけない。誰がどう見ても道理であるその事実に、私も理屈では当然ながら納得している。ただ、素直になれていないからなのか、生かしてくれたこと以外でその人を肯定できる要素がないからなのかは分からないのだけれど、そういった類の言葉をかけたことも、かけられたこともなかった。

ヒューマンドラマでよくあるような山あり谷あり、雨降って地固まるような関係は、父と私との間には全くない。ただ残された二人が生きていくためにすべきことを、淡々とこなしてきたということでしかないと思っている。もちろん父には父なりの苦労があったのかもしれない。でもそれは私の責任ではないのだし、特別それに何か報いる必要があるとも思えないままでいた。

幼い頃のことを思い出しても、父との記憶はあまりない。世の中にはそういった娘もたくさんいるのだとは思うが、私の場合は父子家庭なのに、である。つまり私には家族の記憶がほとんど無いのだった。

朝早く出て夜遅く帰ってくる父と、平日に会うことはなかった。いわゆる週末も、父が家にいることは少なかった。思えば休日という休日はあまりなかったのかもしれないが、仕事がないように思えた日でさえも、夜遅くに帰ってきてそのまま寝てしまった。そういうときはたいていお酒に酔っていて、まれに機嫌の良いときだけは、お菓子のお土産を持ってきていた。私は夕飯の代わりにそれを食べた。そのときでさえも、父は黙って目の前で酒を飲んでいた。

物心ついたときから、食事も含めて家のことは私の役割になっていた。はっきりと覚えてはいないが、それまでは祖母が家に来ていたことがあって、いつの間にか手伝わされていたような気がする。自分で自分の食事を用意し、その残りを父が食べた。狭い家の中で二人だけ。掃除も洗濯も、父の分までまとめてやった。

私たちは持ちつ持たれつの関係だったと思っている。父がそれに対して、私に何か言うことはなかった。詫びるわけでも、反対に私に何かを求めるわけでもなかった。ただ淡々と二人で生きてきた。ただそれだけのことで、お互いそこに特別な感情があるわけではなかった。

大学に進学するとき、一部免除になったとはいえ、学費に加えて生活費の負担は大きくはあったのだが、それでもそのタイミングで一人暮らしを選んだのは、自分の中では自然なことだった。そしていつも通り、父は賛成も反対もせずそっけなかった。

家を出てからも何度か実家に帰ることもあったが、そのときも父が自宅にいる時間は短く、酔って帰ってきてはその足で寝てしまった。大した会話もなく、そんな姿を見るためだけに往復の交通費を使うのももったいなく、帰る頻度も徐々に少なくなっていった。

久々に交わしたのは就職の話だった。大学の卒業が近づくにつれて、ひょんなきっかけでそんな話になった。私はそのときすでに始めていた仕事で生計を立てていくつもりだったが、正社員で就職して定年まで勤め上げるのが良いという父の職業観に、それは反するものだった。大学まで行ったのだからと何度も言っていた。父は高卒だった。父には珍しく語気を強めた。深く考える間もなく私もそれに反応していた。何を言って、何を言われたのかまではっきりと覚えてはいない。それからしばらく父と会うことはなくなっていた。

端から見れば絶縁関係のように見えたかもわからないが、私たちにとってそれは昔からの関係の継続でしかなかった。お互いが生きていくために、必要なときにはともに生活をし、その必要がなくなればあえて一緒にいる必要はない。私たちにとって、家族とはそういうものだった。


「あなたの心にハァートアターック!こんちゃ!“まるくす・あんとにうす・あんとにぬす”です!今日も配信見てくれてグラシアーっす! いやー暑いね、もう夏なの? ついこの間まで寒い寒いって言ってたらすぐ夏じゃん。いったい春はどこ行ったんだよ!って」

使っていた配信プラットフォームの隆盛と同じ時期だったのが幸運で、一人で食べていく程度には収入が得られるようになっていた。自分のライブ配信以外の仕事も少しずつもらえるようになってきた。そろそろバイトも辞める目処がつきそうだ。

「夏といえば夏休みですねー。夏だからといって、はしゃいで遊ぶようなタイプじゃないんですけど、学生の頃は私もたまにですけど、実家に帰ったりしましたね。帰省シーズンでもありますよね。貴重な交通費使って、忙しい中ね、この年頃の女子のね、貴重な時間を使ってですよ、人里離れた実家に帰るわけですよ。たまには親に元気な顔を見せないとね、ということで。

でもまあそこは親子ですよ、そう素直にはなれないと。父ぃー、娘ぇー、とはならないわけで。顔を見るなり仕事の話ですよ。まあこうやって配信で稼いでたことにも賛成じゃないっていうか、そもそも親自身が見ないので、説明もできないから理解ができないんですよね。大学まで行ったんだからちゃんとした仕事に就け、と。そんな得体のしれないことじゃなくて安定した稼ぎで生活しろ、と。博打みたいなことしてないでしっかりするんだ、と。

もうしばらく長いこと言われてましたからね、こっちは。反論も何もしませんよ。はいはい、と。分かっていますよ、と。そうしたらあっちはあっちで言い応えはないですからね。早めに収まってどっかに出掛けていくわけです。まあ、そうは言っても親子ですからね、口論にはなってもその日くらいは泊まっていきますよ。交通費はたく代わりに食費なんかはとりあえず浮くのでトントンかなとも思いながらね。

そしたら気分でも害したのか、父が夜まで全然帰ってこない。こんなんですけど心配して電話もかけたんですけど全然繋がらなくて、結局帰ってきたのが夜の10時とかで。久しぶりに娘が帰って来てるのに、ですよ? で、帰ってきて早々なんて言ったと思います? 「今日晩飯無しだ」って。

いやそんなに怒ってるなら早く直接言ってよ、と。途中で逃げないではっきり言ってくれよって。分かり合えないならそれはそうとして、こっちも早く帰ったりできるんだしさ。なんでこんな時間になってから、って言ったら、ちゃぶ台の上にバンって。財布を放り投げたんですよ。「全部飲まれた」って。その日はパチンコだったみたいですね。昔から休みの日は入り浸ってたんですよ。

おいおいちょっと待て、と。ちゃんとした仕事しろって?安定した稼ぎだって?博打みたいなことしてないで? …どの口が言ってんだよ?って。もちろん言いませんよ。そんなこと言えないくらい悄気げちゃってるんでね。口にはせずに、心の奥にぐっと押し込むんですよ。遅くまでやってるスーパーが近くにあったんでね、そこでパッと買ったもので簡単に作って食べて、ちょっと寝て、始発ですぐ帰りましたよ。多分もうあれから帰ってないなあ。

…ということで! そんな苦い記憶を思い出す時期でもあるのですが、こんな親孝行な私がですね、父親の仇を打つべく、こんな企画をやっていきたいと思います。“一日の配信で稼ぐ金額分、ギャンブルで勝つまで帰れません”~ 」


初めてテレビに出ることができたのが、若手のピン芸人を限定にしたお笑いコンテスト番組だった。しかし結果は大敗。そもそも私は動画配信者のライバーであって、お笑い芸人ではない。毎日、板の上で芸を磨き続けている彼らと並べば、その差は歴然だった。それは実際に壇上に立った私が実感したのだから、一線を戦い続けている一流芸人でもある審査員たちに見落とされるわけがなかった。

点数通りの大敗であるはずだったが、いわゆるネットのライブ配信を見慣れてきているファンたちにとって、対戦相手のいわゆる本場の漫談は、その面白さも熱量も伝わりづらかったのかもしれない。さらにはネット上では彼らの声が強く見えてしまうこともあった。それが、出来レースなどという根も葉もない冤罪が広まることになった経緯であろう。

「あなたの心にハァートアターック!こんちゃ!“まるくす・あんとにうす・あんとにぬす”です!今日も配信見てくれてグラシアーっす! …じゃねえよ!「笑コン」よ!なんだよ、全然歯が立たないじゃんよー。むしろなんで決勝上げたのよ?準決勝の審査員、ザルかよー。こっちが恥かいたよぉー。芸人すごすぎ。

…ということでね、今日は企画を立ち上げる元気も気力も無いので、皆さんからチャットを募集します。テーマは「もし、“まるくす・あんとにうす・あんとにぬす”が優勝していたら」。あったかも知れない未来での優勝コメントなんかをじゃんじゃん送ってください。それを代わりに演じて傷を癒やしていきたいと思いまーす」

もちろん冤罪にされた芸人にもダメージはあったであろうが、彼の芸風からしてそれは美味しい餌でもあり、すでに柔道の巴投げを返すかのようにその大きな反響をきれいに笑いに落とし込んでもいた。負けた方が現実を一番分かっているから、むしろ堪える。擁護される“被害者役”だったはずの私がモロに喰らい続けている。

配信の終わった真っ暗な部屋の中、ディスプレイの明かりだけが私を照らしている。“まるくす・あんとにうす・あんとにぬす”を応援するコメントが、チャット欄を流れ続ける。私はそれを目で追うこともできずに、一人ぼんやり眺めていた。

この配信自体も全盛期はすでに過ぎていた。今では別でお呼ばれするような収益源に頼るようになっていて、それもまた単発的なもので不安定だった。ちゃんとした仕事とは何だろうなと、ふと昔の父の言葉を思い出していた。

ちょうどそんなときだった。暗闇で振動するスマホの画面にメッセージが浮かび上がっていた。

― お前、もしかして面白いのか?

父がお笑い番組が好きだったというような記憶はなかった。それよりも、私のライバーとしての名前、芸名とでも言うべきか、それも直接伝えたことはない。動画配信の話をすれば、どうせ喧嘩になるから、できる限り詳しい話はしてこなかった。

思えば仕事が軌道に乗り始めてきてからも、こうしてメッセージを送ることさえ無くなっていた。タイムラインを見返すと、今届いたものが数年ぶりのものだった。

― どこが?

少し間が空いて返した言葉にしては素っ気なかったかとも思ったが、そんなことを考える間もなくすぐに既読のマークがついた。

― 露出の高い衣装

― 変態かよ

― ちゃんと働いてるんだな

― お父さんの、ちゃんとが分かんないんだけど

― 飯、食えてんだろ?

― まあ今はなんとかね

― ちゃんとしてんじゃねえか

思えば、父はとてもシンプルな人だった。良いものは良い、悪いものは悪い。そういった基準がいわば明確で、分かりやすかった。彼にとってちゃんとした仕事とは、お金が稼げて生活できる仕事。その基準一点だったのかもしれない。だから先の見えない状態だった動画配信という仕事には反対し続けていた。それがお金の稼げている仕事だと分かれば、彼の中でそれはちゃんとした仕事なのだった。

父との会話が少なかったのには、それもあったのかもしれない。はっきりとした性格なので、一つのことをうだうだと掘り下げるような話ができないのだった。好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌い、それで話は終わり。

そしてそれは生き方としても同じで、父親としてできることは子どもを食わせるために働くこと、そのくらいにしか考えていなかったのかもしれない。一人で働いて稼ぐためには、ある程度の家事は犠牲にせざるを得ない。だから早いうちから私と役割分担ができるようにしていたのだと思う。本当に淡々と生きている人なのだなと思った。そしてそんな父との関係や、一緒にいた無言の時間が、私には実は心地よかったのかもしれない。

そうして小さな頃と同じように、床に力なく寝そべって、何もない暗闇の天井を眺める。お父さん、私たちよく生きてこれたよね。


もう一度、スマホが振動した。今度は父ではなく、マネージャーさんからだった。今回のコンテスト出場をきっかけにして、テレビなどのメディア応対をマネジメント会社に委託していた。周りにそういった細々としたことのできる人間がいなかったので大変助かっていたのだが、今届いたメッセージは珍しく誤字脱字が多く、どうやら慌てている様子だった。

指示にある通りにSNSを開いてみると、リプライの通知件数が見たこともないことになっていた。どうやら例の出来レース騒動が、実際に“被害者役”のこちらにも飛び火してきたらしい。ちょうど先ほど上げていた配信動画の切り抜きが、湧き出るようにタイムラインに流れ続けている。

炎上まがいは何度か経験してきたが、やはりテレビの力はまだまだ侮れない。父も然り、世間も然りである。しかしさっきまでの不安はどこへやら、私の口元はむしろ緩んでいた。

自分の面白くなさに打ちひしがれたのは、この先求められなくなるかもしれないという恐怖からだった。しかし今、私は求められている。一時的な泡沫のネタ扱いであったとしても、だ。お金の匂い。香ばしい香りに腕がなった。全身に血潮が勢いよく行き渡り、熱気を帯びていくのが分かった。

やっぱり、私はあなたの娘だよ。
騒動も長く見てひと月かそこらだろう。お盆の休みには収まっていそうだ。久しぶりに実家にでも帰ろうか。濁流のようにコメントの流れる画面を前に、私は思った。

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