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どっちかって言うと自分のことを「嫌な奴」だと思ってる人へ

曜日の感覚が無くなるのは、自営業あるあるだろう。

「華金」という言葉は遠い昔に行ってしまった気分。

ただの被害妄想だけど、ここ最近は誰かと遊びに行こうとすると予期せぬトラブルで流れてしまうことが多い。

まるで神様が「今は遊ぶ時間じゃない、やる事をやれ」と言っているようだ。

たしかに呑気に遊んでいられるほどお金があるわけでも暇なこともない。

正論といえば正論だ。

こっちはオンオフの切り替えくらいはした方が良いかと、自分に対して気を利かしてるつもりなのに。

自営業は自分で時間をコントロールできるので便利かと思いきや、

「いくらでも仕事して良い」という合法的なブラック体質になりやすい。

僕の周りにいる経営者の人たちは揃ってブラックな働き方をしている人ばかりだ。

「ゆとり世代」「Z世代」という言葉にあるように、近年はワークライフバランスを意識することを求められる。

そこに医学の進歩も加わって日本の平均寿命は少しずつ延びている。

さらにSDGs的な流れもあって、ホワイト社会になりつつある。

ハラスメント、コンプライアンス、モラル、人権などが昔より強く意識されれる。

国同士の争いも戦闘機や戦艦での領域侵害、核の製造、ミサイル演習など、

「威嚇」で終わることが多く、イラク戦争からウクライナ戦争の間には戦争らしい争いは起きていなかった。

人類の歴史を見てみると少しずつ暴力に訴える件数が減っていて、

「人に対して優しくなった」ように見える。

だからこそ「人に対して優しくあるべき」という強迫観念も持ち合わせていて、少しでも品のない行動を取ると炎上してしまうのも事実。

もうちょっと上手いことならんのか。


ちなみに僕は「自分が幸せになるためには周りの人に迷惑が掛かっても気にしない」タイプだ。

周りの人のことを脇役だと思っている節があるからだ。

小さい頃から親や学校の先生から、

「他人に迷惑をかけるな」
「他人から施しを受けるのは恥だ」

と教わってきた。

もちろん僕も他人から迷惑をかけられるのは嫌だ。

とはいえお互い様とも思っている。

自分も迷惑をかけている事があるだろうから、迷惑をかけられてもブチ切れることが少ない。

本当に嫌なら関わりを断ってしまえば良いからだ。

そういう意味で自分のやりたい事や、やると決めた事を実行したことによって誰かにシワ寄せがいったとしても大して気にならない。

たぶんこんなことを公の場で言うと袋叩きにあうだろう。

「自分だけが幸せになるのはダメ」
「win-winの関係でないと意味がない」

と言われるのがオチだ。

正論といえば正論だ。

ここからは僕の自分勝手な言い訳と思って聞いてほしい。

僕は昔から他人を優先して生きてきた方だ。

何か見返りがあるわけでもないのに、意味のない「奉仕」「貢献」「協力」をしている。

約束事をするときの時間や場所は相手が少し得をするようにしている。

相手のメンツを保つために汚れ役を買って出たことは1回だけじゃない。

基本的に不要な買い物はしないが、「人を紹介」「宣伝をリツイート」など自分に出来る方法で、他人のセールスには対応してきた。

チームで作業するときに明らかに疲弊している人がいたら、その人の分まで巻き取って作業することが多い。

感情的になっている人には論破せずに、ひたすら肯定し続ける。

クレームや文句は10回あったら1回くらいしか表に出さない。

女性に執拗に詰め寄る誰だか分からない男に飲み物をおごって話を聞いてやったこともあった。(さすがにやりすぎかも)

恩着せがましいだろうが、他人に対して今まで以上のことをしてやる義理はないと思っている。

というか期待をしないでほしい。

僕は僕の出来る範囲でやっているし、マザーテレサの末柄でもないんだから、「今以上に優しい人」にはなれない。

体調が悪いときはドタキャンする。

嫌いな人とは嫌いなまま接する。

サービスを提供したら当たり前の顔でお金を頂戴する。

生産性の無い相談は受けない。

一緒に遊んだことのない人の結婚式には行かない。

恐らく僕のことを「嫌な奴」だと感じた事だろう。

もちろん「嫌な奴」だ。

それで良いと諦めに近いものを感じる。

ただ万人におススメできる価値観ではないとも思う。

僕なんかより器の大きい人は、優しい人として生きて行ってもらって良い。

世の中が僕みたいな人ばかりになったら昔のような戦争メインの時代に逆戻りだ。


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