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書くことと、描くこと。
少しずつnoteもマイペースに再開しようとしているのと時を同じくして、さりげなくアート活動を始めた私。
(アートについては先日の記事に↓)
アート活動なんて呼べるほど大それたことじゃないけれど、ただ自分が感じるままに目的を持たずにただ自分の中に生まれてしまったものを表現する、アウトプットするという感覚のものをアートと呼んでいいのであれば、私にとってのこれはアートと呼ぶものなのだと思う。
私にとっての表現の方法は(前回の上記の記事にも書いてあるけれど)、対象となる人のエネルギーを受けて感じて、その人から受け取ったエネルギーから浮かんだイメージをそのままその人のお顔に描くという、ボディペイントというのか、メイクというのか、そういったもの。
私は人のオーラが見えるとか、見えない何かか見えるとか、そういう才能はあいにく持ち合わせていないのだけれど、繊細さん気質(HSP)とエンパス的な感覚とは人生長いことずっと一緒に生きてきたので、「なんかこんな感じ」という、一切説明できない感覚を、このアートを通して表現してみているといった感じなのである。
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私のメインとなる仕事はヘアメイク。目の前の人が元々持つ美しさをヘアとメイクを通して表現する、引き出していくというのが私が出来ること。(プロデュース業もさせてもらっていて、それもヘアメイクと同じく、その人の内にある魅力を引き出すことをしている)そして、もう10年近くこのお仕事をしてきて、何より1番感じるのは「一人一人が持つ美しさは、全員全く異なる」ということ。
その人の持つ美しさを引き出す、その人が無意識の中で持つ美しさを意識範囲に持ってくるというか、そういう感じのことをしているのだけれど、それを私は一生懸命理論と紐づけて、論理的にわかりやすく、頭で理解しやすいように説明をして伝えようと努めてきた節がある。
でも、その人しか持っていない美しさを、私はただ全身を使って「感じている」のであって、頭だけを使って「理解している」のではない。そう思った時に、もう理解してもらおうと無理矢理言葉に落とし込んで説明するのを一切辞めて、私が受け取ったままを表現するだけにしよう、この感じたものを感覚だけで受け取ってくれる人はきっといる、そう思うことに決めたのだ。
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そして、実はこの感覚は私が『書いている』時も実は同じだったと気づく。文章を書く、これも言葉にしているという視点からすると、『書く』という行為も、説明しているとか論理的に書いているようなイメージに思う人もいるかもしれないけれど、私にとってはむしろ逆。私は、私の中に浮かんだものをそのまんま出しているだけの感覚で『書くこと』をしている。だから私の中の感覚では、説明というものは一切何もしていない。浮かんだものを、言葉で表しているのか、絵で表しているのかの違いだけだ。
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全く違うアウトプット法に思えるけれど、書くことと描くことは、私にとってはほぼ同じもの。違うことといえば、何からエネルギーを受け取るかの違いくらいで、日常的に感じることは総括して「書く」ということになるし、対象がそれが人だった場合「描く」というだけである。
私にとって「書くこと」と「書くこと」は同意義であり、そして同時に私の生活の中では必要不可欠なもの。前回の記事でも触れているけれど↓
この「書くこと」も「描くこと」も私にとっては自己開示の一つで、こうして自己開示することが、何らかの意味を持った自己表現になっているというだけである。
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