日記 2022/09/04-10

09/04(日)

書くことの動機はダレか、でも、ナニか、でも構わない。書いていると知らないうちに自分に返ってくる。いつのまにか自分に書いている。一生のあいだ誰にも口にしないはずの自分さえ知らなかった自分の思いに気づくことになり、その返答を自分に向けて書いている。これはある種の祈りみたいな、とても切実で、人間にはパンだけでは生きていけないことがよく解る、孤独で幸福な対話だ。

09/05(月)

視覚障害では色を識別できないので、却って色に敏感になる。だから駅ですれ違う白杖のひとはたいてい無難な配色を身にまとっているものだ。しかし今日のおじさんは淡い緑とグレーのチェックのシャツに明るいグレーのスラックスを合わせ、茶色い革靴と中折れ帽を身につけてなんだかイケていた。視覚健常の僕はいつものように面白味のない、街に溶けようとする色。こうだからこうというのは経験による決めつけが多く、この歳になって裏切られると嬉しい。

09/06(火)

直属の上司であるSさんは大手音響メーカーから管理職候補として採用されるかたちで僕とほぼ同時期に入社した。始めから現場の開発陣からは不評だったようで、なぜなら "自分は詳細設計には関わらない" と悪びれもせず宣言してしまったからで、実際にその通りの、言わば人を差配するだけのその名の通り管理職だった。僕はしばしば彼の審査会などで報告も進行も疑義に対する回答もすべて僕に任せる、当事者であろうとしない姿勢に辟易する。

09/07(水)

僕たちが既知の価値観をなぞった物語という形式のいわゆる読み物について感動するとき、それはきっと自分の体験や知識を記憶から読み出して、共有している、つまり物語に歩み寄って感動しているのだろう。僕は形式には感動できないし、むしろ少し鳥肌が出る。僕にとって感動とは〇〇が〇〇然としない、××が××めかない、こちらの時間が流れれば流れるほど少なくなっていくもの、それは価値の転覆と言ってもいいのかもしれない小説というものだ。決して物語ではない。

09/08(木)

僕ももう下の子に仕事を振って自分の負荷を調整できる立場ではあるので、朝から晩までほとんど立って歩いて試験に奔走するようなことはもうさすがにないのかな、なんて思っていたのだけど、15億という具体的な数字を失う可能性について耳にすれば、いずれ自分たちに跳ね返ってくるのだからと奮起し、開発スケジュールを遅らせる選択はなく、チーム一丸の本丸になってしまい、もうクタクタ。。

09/09(金)

本日の新規プロジェクトの審査会は単に成果物管理者の役割を振られているだけだと思ってリモートワークを決め込み、Teamsで聞きながら自分の仕事をしていたのだけど、ふとリスクマネジメントの計画書レビューでチーム員に自分の名前が記載されていることに気づき、終了後、担当者に連絡。成果物管理者は上位文書で管理されているため、なかば強制的にメンバーに入れちゃいました、ごめんなさい、とのこと…。

09/10(土)

子どもの頃は誰もが大人に憧れていつか来る成長した自分の世界に胸を高鳴らせるのに、いい歳を迎えた大人はいつか来る人生の折り返しや後半に誰も期待など持たない。いや、持つひともいるのかもしれないが、おそらくそれは家族や友人などの関係に起因するすでに手にした安心感からの期待だろう。そうではなくひとりの人間として自分の老人バージョンを楽しみに日々を生きたい。

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