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【短編小説】硝子の糸【親愛なる、】

 降り注いだ言葉はガラス片のようにきらきらと反射しあって痛かった。私も、きっと、相手も。



 コーヒーをマグカップに注ぎ、ふわりと鼻腔をくすぐる調和のとれた匂いを感じながら椅子へ静かに座る。
 せっかくの休日だというのに外は雨で、窓ガラスにぶつかる雨粒は小さくも固い音を奏でる。その旋律は思考の渦に身を任せるのに心地良く、私は逆らうことなくゆっくりと目を閉じた。


 振り返ると子供の頃は「どうしてそんなことで」と思える理由で友達と喧嘩をしていた気がする。他の人よりも少しだけ子供の頃のことを覚えているせいか、時になんと浅はかだったのだろうと内省し、それと同時にあの頃は目の前のものが世界の全てであったことも理解できる程度には大人になってしまった。

 自分が知り得ることだけで構築される世界。だからこそ「ごめんね」の一言でまた変わらずに遊べるようになるのだろう。

 その謝罪の言葉は幼少期の泣かせてしまってごめんね、と目に見える事柄への理由から思春期の傷付けてしまってごめんね、と相手の見えない部分を思う言葉へと変化していき、大人と言われる年齢になると事情を想像できなくてごめんね、あなたにも立場があるよね…と複雑になっていく。

 けれども大人になればなるほど、複雑であるが故にそこまで立ち入ることはあまりなく、それを寂しいと感じつつも人間関係の全てで立ち入る訳にもいかず、また踏み込めば、それはそれであまりにも煩わしいと思う自分も居て、我ながら面倒な性格をしているとカップから立ちのぼる湯気を見つめて思う。

 そもそも子供の頃と比べて圧倒的に人とぶつかることが減るのだ。
 だからこそ一度の衝突でも関係性に大きなほつれを作り隙間が開いてそのまま解ける関係を時折見てきた。
 解けるのはまだ良い方で、ほつれが酷くなれば逆に絡まりおかしくなった結び目は互いを苦しめる。そうなればもう裁ちばさみで、ばつりと切らなければいけない。

 小さな溜め息をつくと湯気が慌てふためいて逃げ出し、それが少しだけ愉快だった。

「見てきた、か…他人事じゃないっての」

 瞬く間に戻ってきた白いもやとコーヒーを口に入れながら自虐的に呟いた。


 テーブルに置いたスマホの画面を人差し指で二度叩き立ち上げる。そこに友人からの新着メッセージがないことを確認すると、もしかしたらと思っていた自分があからさまにがっかりする。

「……………」

 その友人と大きくぶつかったのは初めてだった。
 すれ違い、価値観の相違、環境の違い、余裕のなさ…ぶつかった理由を言葉にしようとすればそれ以上でもそれ以下でもなく、逆にそれ以上やそれ以下の理由は悪意がなければ存在しないように思う。

 私も友人も悪意はなかった。
 ただお互いにほんの少しだけ傲慢だっただけだ。心のどこかで相手に対する期待を、期待という名の変化を求めてしまった。
 もしそれを悪意と言うならば、あまりにも悲しいではないか。

 人は大なり小なり他人に対して期待を持っていて、歳を重ねればそれなりにコントロールできるようになる。そもそも大体のことは他者に期待せずとも叶えられるからだ。
 それでも自身の思いや状況を理解してほしいという欲求だけは自分自身で叶えられない。

 分かってほしいと期待を込めて、相手が変化しなかったことを受け止められなかったのだ。
 お互いに。そう、お互いに。


 何故あの時、受け止められなかったのだろう。
 価値観は、個人の持つ世界は、全くの同一ではないのに当たり前のように重なってできている。世界の芯の部分はどれだけ親しくとも理解することもされることも出来ず、そのことをどこかで分かっているから人間は思いやるのだ。少なくとも私はそう思って今日まで生きてきた。

 けれど、私も友人も互いに芯の部分を変えようとしてしまった。どれだけ後悔しようと結果は変わらず、もしもその時に戻ってやり直せたとしてもいつかは同じ選択をするのだろう。

 芯に触れられた友人はガラス片のような言葉を投げた。それは反射的な防御反応だったように思う。ガラス片は私の頬に腕に、ところ構わず刺さった。
 痛い、嗚呼痛い。肉体的な痛みではなくとも人は十分に死ねると知った。

 けれども投げる為に掴んだガラス片で友人の手も傷付いていた。それを分かっていても尚、自身の痛みに目が向いてしまうのは仕方のないことなのか私には分からない。仕方ない、と割り切れなかった。その時はどうしても、どうしても。

 刺さったガラスは一向に抜けず、それは友人も同じだっただろう。


 もう元の関係に戻れないのはどちらの目から見ても明白だった。元のように戻りたいと泣き喚いたところでそれは友人にも私自身にも負担になる。そして何より「元のように接する」と言うことは、何事もなかったかのように、傷や痛みをなかったことにしてしまうと思ってしまったのだ。

 子供の頃のように目の前のものだけが世界の全てだったなら、また屈託のない笑顔で笑いあえたのかもしれない。
 傷や痛みを生きてきた足跡と思わなかったあの頃なら。

 けれど、目の前のものだけが世界の全てではなくなったから友人と出会えたのだ。


 価値観も自身の世界も時間と共に緩やかに変化していくだろう。その時にまた何でもない話ができたらいい。関係が解けても、また結び直せるのが友達だと思うくらいは許されるだろう。
 もしそうならなくとも友人が幸せであってほしい。期待ではなく願いを込めて、カップに入っていたコーヒーを飲み干し苦いなぁと呟いた。


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