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人の役に立てるのは自分に価値があるから

『映画 五等分の花嫁』に関しておもしろいnoteがあった。

まず、初手から何の前触れも無くネタバレを食らわすところ。

もう原作もアニメも終わってるからネタバレも何も無いのだけど、ここまで注意喚起も無く、さらっと物語最大の見せ場をバラすのには大爆笑した。

ただこの爆笑だけではスキを押しただけで終わっていた。

ここからがもっとおもしろい。

四葉は生産性至上主義に囚われている。

この視点は無かった。

誰かの役に立っていなければ自分の存在理由が無い。

そしてそんな自分でいるのが怖いから、誰かの役に立つために人を手助けする。

価値を生産し、自分の存在理由を確立する。

きっかけとしては、幼少期の風太郎が自分と他の姉妹を見分けられていないというトラウマがあるから。

だから「自分」というのを確立するために、勉強で姉妹のお手本になろうとしたり、さまざまな部を兼任して活躍したりした。

「私が四葉である」

そうしないと姉妹と見分けてもらえないから。

そしてこの主義は現代社会にも通ずると言う。

会社では生産性が命だ。役に立たなければ、居場所を失う。家庭ですら「働かない嫁はニート」的な風潮が幅を利かせている。子どもすら「将来の納税者」という扱いを受ける。これも生産性至上主義だ。

ものすごいところに繋げるよね。

マンガの1キャラが現代社会の性質に繋がるというnote。

おもしろ過ぎる!

そして結論として、「自分の存在理由を捨てることは難しいけど、たまには意味の無いことをしてもいいじゃないか」とまとめる。

いいよね。もっと気楽に生きようやって感じ。

『五等分の花嫁』って物語は「四葉を苦しめて解放してあげる物語」だなと思った。

もしも四葉が風太郎と出会わなければ
もしも風太郎が四葉を見分けていれば
もしも四葉が勉強を頑張る理由「母」が生き延びていたら

いろんな「もしも」が存在するのに、その「もしも」はすべて現実とならなかった。

それは四葉を生産性至上主義の渦の中に放り込み苦しめるため。

そしてそこから風太郎と結ばれて「意味の無い自分にも居場所がある」ことをわからせて四葉を解放してあげる。

これができたのは四葉が他人軸で生きている人だから。

一花は女優
二乃と三玖は料理
五月は先生

という感じで「自分は自分であり、自分のやれること、やりたいことをやろう」みたいな自分軸がある。

「生産しないと価値がない」という人に認められないと生きていけないわけじゃなく、「自分には価値があり、人がそれを必要としている」というスタンスで生きるから、ほんとに人から必要とされるようになる。

四葉もやり方は間違えていないのだ。

人助けは「自分のやれること」しかできないからね。

だけど「人助けできない自分は価値がない」というスタンスだから自分を追い込みぶっ倒れる。

だけど倒れて空いた穴は四葉が助けた人達によって埋められた。

人は持ちつ持たれつつだ。たまにはお前(四葉)が持たれたっていい。

『五等分の花嫁』13巻

こうやって気づかせてくれる人、生産性至上主義の渦から救い上げる人が風太郎だったのだ。

自分軸スタンスで生きましょう。

こうやって振り返ると放り込んだのも風太郎だよね。

僕は「五つ子の中で誰が好きか」と聞かれたら「四葉」と答える。

なぜならcv.佐倉綾音さんだから。

ということで終わり!読んでくれてありがとう。いいねやコメントよろしくね。

じゃあ、また。


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