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数字が変わっても自分の価値は変わらない

僕らが生きてる中で結果が数字として現れる時が多々ある。

SNSのいいねやフォロワー数、今月の売り上げ成績、期末試験の点数、給料などなど…これらすべて数字で出される。

ということは、結果の上下、昇降が数字として視覚化されるということなのだ。

ここで起きるのが気持ちの変化。

「やった!いいねめっちゃしてくれた!」
「前回のテストより点数上がったわ!」

みたいな嬉しい気持ちの変化がある一方で、

「フォロワー数減っちゃった」
「先月より売り上げ落ちちゃった」

という悲しい気持ちの変化がある。

で、この「嬉しい」「悲しい」の気持ちの変化、どちらが強く認識されるかっていうと「悲しい」みたいなマイナスの気持ち。

僕もそうだ。

ここ最近は毎日noteを開いて記事を書いているが、通知欄に通知が入っている嬉しさより、入っていない時のがっかり具合の方が大きい気がする。

僕のもともとの性格がネガティブ寄りっていうのもあるだろうが、人間の危機管理能力として本能に刻まれているものでもあるから仕方が無い部分がある。

そう!仕方が無いのだ!

いいとこよりも悪いところを素早く、大きいこととして捉えないと命を繋ぐことができない。

例えば稲作をしていて雨が降ってきたとする。「作物を育てる水が降ってきた」というポジティブな面を見ることもできるが、「まずい。この雨で近くの川の水位が上がってる」というネガティブな部分をいち早く見つけないと、逃げる準備が遅れ、自分も家族も危機にさらすことになる。

悪い部分を見つけるのは生存本能。だから仕方ないこと。

だけどこれをわからずにどんどんネガティブな方へ流される人がいる。

SNSで1人フォロワーが減ったくらいで
「何か変な投稿してしまったか」
「もしかして嫌われたんじゃないか」
「これまでの投稿見直して変なの消さないと」
と、どんどんネガティブな方へ落ちていく。

たかが1人くらいなんだ?

その人の趣味嗜好が変わって合わなくなっただけかもしれない。

もしかしたら自分の発信レベルが上がっていて、その人が付いていけなくなったのかもしれない。

SNS以外でもそう。

テストの点が下がったなら、苦手分野がそこなのかもしれない。

売り上げ成績が落ちたなら、慣れが出ているのかもしれない。

数字という目の前にある結果にいちいち落ち込んでいたら気が持たない。

僕もTwitterのフォロワー増減がわかるアプリでフォロ解の通知をもらうけど、大抵がスパムアカウントの凍結だ。

いつも見てくれる人は変わらず見てくれているし、今日も相変わらずnoteを書いている。チョコはいつもの甘さを提供してくれるし、NON STYLEの漫才はいつ見てもおもしろい。

何も変わっていないのだ。

フォロワーが減ろうと、成績が落ちようと僕らの価値は変わらない。

生きて僕の発信を見てくれるだけで僕のためになっているし、変わらず
発信しているだけで僕の価値は変わらない。

僕らの未来の理想はもっとデカい数字になっている。

目の前の数字はあくまでも今の数字であり、目安程度に考えればいい。

どうせ上手くいくんだから変わらず行こうぜ。

ということで終わり!読んでくれてありがとう。またね。


過去noteもよろしく!


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