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幸福な恋が終わりを迎えた日

仕事終わりの帰り道。
スマホの通知を確認すると、彼の名前が表示されている。

返信がきた。3か月ぶりに送ったLINEのメッセージに返事がきた。
叫びだしそうな気持を抑えながら駅へと向かう。はやく見たいけど、落ち着いて見られるところに着くまでは我慢。
次第に速まる鼓動を鎮めながら、駅のホームで電車が来るのを待つ。ファーーッという音とともに滑り込んできた車両に乗り、座席に腰を落ち着けてからスマホの画面を開いた。

息を飲んだ。

彼は丁寧に、私ではダメだった理由を書いてくれていた。

自分でもわからない
好奇心が動かなかったのかな
ほんまにわからんから堪忍して


あいまいな言葉でも、彼の本心であることはわかった。
「わからない」ということが、彼にはわかっていた。

「どうして私じゃダメだったんだろう」
何度も繰り返し自問し続けてきた問いの答えが初めて示された。

あなたがわからないこと、私にわかるわけないよね。
そんなこと、考えてもしょうがなかったんだ。

身体の力が抜けていく。端の席に座っていてよかった。頭を斜めにもたげ、角にすっぽりとおさめる。せり上げてくる涙をぐっとこらえるので精いっぱいだった。

足早に家路をたどる。家の玄関をくぐったところが限界だった。もう体を支えていられない。部屋の奥に進み、同居している友人に抱きついて泣いた。声をあげて泣いたのは何年ぶりだろう。嗚咽しながら、わんわん泣いた。


好きだった人にフラれた。
ちゃんとフラれた。
告白したのも初めてだったから、フラれたのも初めてだった。

25歳の初告白と初失恋。痛すぎて、イタすぎて、いたい。みんなこの痛みを10代のうちに経験していたのだろうか。すごい、25歳の私、初めての傷心に耐えられない。でも、私にとっては今がその時だった。


3日泣き続けて立ち直り気づく「この恋は幸福だった」

翌朝になって目が覚めた時、ごみ箱には大量のティッシュがあふれていた。涙と鼻水の大量にしみ込んだ紙くずの山が、傷の深さを物語っている。こんなにブルーな日にも会社を休まない自分の頭を自分で撫でてあげる。だけど、仕事をしていても急に思考が止まって、気づけば目には涙が充満した。

彼にフラれてから3日間は、毎晩布団の中で泣いていた。
彼からの返事を何度も読み返して、一文字一文字を胸に落とし込んでいった。咀嚼して、飲み込んで、吐き出してはまたかみ砕く。消化されるまで1週間かかった。

だけど、たった1週間で立ち直れた、ともいえる。それは、これまでの3か月間、自分の心と散々向き合ってきたから。
石垣島のお兄さんの言った通りだ。彼がどう思っているかがわからないからモヤモヤしていただけで、「彼の感情」という最後のピースが埋まると、むしろホッとした気持ちになった。心のざわめきが鎮まった。そうなれたのも、彼がちゃんと返事を書いてくれたからだと思う。

無視されると思っていた。律義な人だ。彼は人間が好きだから、人間の気持ちをないがしろにできるような人じゃないのはわかっていた。
優しい人。優しいけど、残酷。やっぱり、私の好きになった人だった。


彼でよかった。好きになった人が、失恋した相手が、彼でよかった。
ちゃんと好きだった。好きになれてよかった。この恋は幸せだった。

彼を好きでい続けた4か月の間、死ぬほど痛い思いをしたし、苦しくてしんどくて壊れそうになったけど、「好きな人がいる」という幸福の方が遥かに勝っていた。

彼のことを考え、想い、愛おしむことが、そしてそれによってもたらされる気持ちの高ぶり、胸のときめき、指先まで満たされる潤いが、私の日常を輝かせていた。

楽しかった。彼を好きでいた日々はとてつもなく美しかった。
こんなに世界がきらめく瞬間を、私は他に知らない。
25歳にして初めて知った恋の効能。それは日常に喜びをもたらし、人生を幸福にするものだった。


私を成長させてくれた彼に告ぐ

「もう恋なんてしない」

そう思ってもよかったのだけれど、それほどに彼が好きだったのだけれど、あんなに美しい世界が見られるのなら、また恋をしてもいいかなとも思うんだ。
きっと、傷つくことがあるだろう。苦しんで痛くて立ち直れなくなることがあるかもしれない。そんな未来があったとしても、それでも、私は恋をすることを選ぶ。もう、あの美しさを知らなかった頃には戻れない。

マッチングアプリを始めた半年前には考えられなかったことだ。
恋愛にまったく興味がなかった人間なのに、あっという間に恋に溺れ、溺死しかけたところを人々に助けられて這い上がり、終わった恋に別れを告げて、ひとりの人間としてまた立っている。

だけど、まるで別人のよう。
彼に好かれたくて服や美容にお金をかけ始め、半年前よりはるかにあか抜けた見た目。人を好きになることがもたらす喜びを知ってしまった心。この半年間で明らかに成長している自分がいた。

自分をほめてあげたい。
いっぱい傷ついたのに、よく頑張った。たくさん恋を学んで、「好き」を知って、ひとりの人を愛おしく思ったんだね。
恋愛が自分の気持ちだけでは思い通りにならないことを知って、終わった恋の断ち切り方も知ったんだ。
きっとまた、人を好きになれる。そして今の私なら、以前のように恋に臆病になったりしないで、丁寧に「好き」を伝えることができると思うんだ。

私をこんなに成長させてくれた彼に心の中で告げる。

ありがとう。大切な人だった。
今でも尊敬していて、どこかで頑張っているあなたを、遠くから応援しています。
どうか、お元気で。


壮大な失恋が、ようやく終わりを迎えた。



「好き」の定義

片思いをした彼との話は、ここで終わります。
「好き」がなにかがわからなかった人間が、恋をして気づいた「好き」とはなんだったのかを考えると、結局、答えは見つかっていません。
いまだにわからないけれど、彼に興味を持っていたことは確か。尊敬する人で、人として好きだったけれど、それが恋愛対象としての「好き」だったのかと問われると、自分でもわからないのです。

でも、会いたいと思った。また会って話したいと思った。いや、話すことができなくても、せめて一目でいいから遠くから眺めたい。

それが、ひとつの答えであるような気がしています。
4か月も会いたいと願い続けていたことが、すでに「好き」な証拠であると気づきました。

でも、これはまだ2020年12月時点の暫定の答え。
実際、この失恋から約1月後、初めて彼氏ができたことで、また「好き」の定義が変わっていくのでした。

その話については、また次回。

<つづく?>


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